2021年9月の日記

2021.09.30

感情を押し殺して淡々とやりすごしていた作業があって、ふとした瞬間にわっとなってしまってまた少し泣いた。大人になったら大丈夫になる、という言葉をたまに聞くけれど、わたしはあまりそう思えない。またあらたな困難がいくつも生まれている。それともわたしはまだ大人ではないのか?

そんななかで、すごく新鮮な気持ちになる、心に気持ちのいい風が入りこむような収録と取材が2つあった。それにすごく心が救われて、自分自身の考えも整理された気持ち。ありがたいことだ。今日話していた、なにか文章を書くときに、嘘をついていないか、注意深く観察するということ。過剰に誇張していないか、こう見せたいと思っていないか。嘘をついていない、その人自身からそのまま浮かび上がってきたような文章が好きで、わたしもそうありたいなと思う。

お風呂上がり、水滴の音がたたたんたんというリズムでなんかうれしい。今日はWilcoを聴いていた。

2021.09.29

朝、数日ぶりに6時台に起きれた。喫茶店でモーニング。夏の始めから読み始めた滝口悠生さんの『長い一日』を読み終えて、喫茶店でぽろぽろ泣いてた。彼らと過ごした時間が終わってしまった気がして少しさみしい、でも、書かれていないところでも人は生きているということ。喫茶店の店員さん、横に座っているおじさん、商店街を行き交う知らない人、一人ひとりがこの場にくる前、ここから向かう先にある生活、人生を想像する。家に帰る道でなぜだかまた涙がこぼれた。

渋谷で取材。千疋屋でデザート買って帰る。帰り道の電車の中で、また読み終わった本のことを思い出して、泣いてしまった。疲れていたのもあるかもしれないけれど、同時に自分にとって大切な人たちのことが本当に大切で愛おしく感じられて、あの本に描かれていたさまざまな人々の眼差しがそうさせているように思った。

夜、疲れ果てていたからか、つくおきして放置しすぎてた惣菜が冷蔵庫から落下。ごま油で滑って転んだ。思わずラックにかかっていた「バケタン」という機械で簡易的にお祓いをする。彼氏が昔買ったおばけ探知機で、ボタンを長押しすればバリアモードが発動してマイナスのエネルギーが中和される。らしい。よくわからないけれど、今週のお祓いは二回目。

2021.09.28

打ち合わせで曙橋。いまだに打ち合わせが連続しているときの移動時間がうまく見積もれない。ある打ち合わせで、わたしのInstagramに載せていた本の写真を見て、同じ本を持っていることを教えてくれた方がいた。二人とも海外から取り寄せていたみたい。ハレル・フィッチャー&ミランダ・ジュライの『Learning to Love You More』、ソフィ・カルの『Take Care of Your Self』。

2021.09.27

なんだか調子が悪い一日。自分自身のどうしようもない部分にいちいち目がついてしまう。ああ、なんてだめなんだろうなあと思いながら洗い物をしていたら、長く使っていたコップが静かにぱりんと割れて、背筋が伸びた。こういう日がないとわたしはきっとぼんやりと落ちていってしまう、コップが割れてくれてよかったのかもしれない。

2021.09.26

朝起きると、隣の部屋からAndy Shaufが流れてくる。自転車で喫茶店に行って、聴いたことがあるメロディだなと思ってShazamしたらやっぱりAndy Shaufだった。いままでのアルバムも好きだけれど、『Wilds』は特別好きかも。ずっと聴いている。イメージフォーラムに行ったり、帰りに青山ブックセンターに寄ったり。

2021.09.25

朝、國分浩一郎さんの『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』を読み終える。それ自体として善いもの悪いものがあるわけではなく、喜びをもたらす組み合わせを見つけること。人々がうまく組み合わさって、一人ひとりが真の意味で「自由」であることで、社会の安定にもつながるということ。女だからこうしろ、男だからこうしろ、ということに対する違和感も、スピノザの考え方からも説明ができるという発見。すごくおもしろかった。昼、代々木公園で友達に少しだけ会って、前の会社の同僚とひさしぶりにごはん。話したかった話がたくさんあって溢れ出た。花を抱えて帰った。

2021.09.24

朝、作業のなかでうまくいかないものがあって、それで完全に脳がストップしてしまった。独立してから経理や法務関連の業務が会社員時代から比べると少し増えて、でもこの部分を自分たちでどうしていくか考えて決めていけることの面白さを感じる。どの業務でも、散らばっていたものに何らかの秩序をもたらしていくことは気持ちがいい。ただ何か行き詰まった部分があると、その行き詰まりが気になってほかが手つかずになるときがある。この状態を逃れるための方法をいくつか用意したいけれど、取り急ぎ散歩して、深呼吸をしたら少しよくなった。

慣れないことをしていたり、追い詰められたりしているときに、何かできないことがあったとしても、いかに誠実であれるか、ということについてよく考える。自分自身のこれまでを振り返ると、不義理なことをしてきたこともあると思うし、それを振り返るといつも苦しい。その苦しさを忘れてはいけないなと思う。冷笑したりするのではなく、逃げずに向き合っていくことについて。相手とも、自分とも。

夜、テレビを見ていたら、熱いお湯ではなくぬるめのお湯でお風呂に入るのが自律神経にいい、高反発枕と抱き枕で横向きに眠ると睡眠の質がだいぶ改善する、と言っていた。さっそくぬるめのお湯に浸かったら、一日のいろいろがじわりと流れ出た。気がする。

2021.09.23

昼、夜、ひさしぶりの人に会ったり、友達とごはんを食べたり。お酒は本当に飲めなくなったな。

2021.09.22

この日のことは、me and youのニュースレターの日記文通で書きました。

2021.09.21

朝、散歩して近所の公園で朝ごはんを食べていたら、犬を連れた人たちが次々と現れ、犬の会合ができあがっていた。なんだか最近ずっと犬のことを考えている気がする。最近観た『ウェンディ&ルーシー』にも、『ドライブ・マイ・カー』にも犬が出てきたし。まだ読めていなかった太田靖久さんの『犬たちの状態』も読み始めたい。仕事の合間にギターの練習をしていた。いい気晴らし。

2021.09.20

今日まで夏休み。この夏休みに一番得たものは朝早起きできるようになったこと。朝方の光が美しく入り込むリビングや和室で過ごす時間、澄んだ空気を吸える散歩の時間は、夏休み後も続いていくあたらしいたのしみ。朝9時の映画館で『ドライブ・マイ・カー』を観る。今日という日に、この時間に、この映画を観れてよかったな、と思った。映画館を出て、まぶしい光のなか、辛いことはいろいろあるけれど、生きていこう、という希望に満ち溢れた気持ち。自分以外の誰かの心を覗き込むことはどんなにがんばってもできないけれど、自分に向き合うことはいくらでもできる。伝えること、聞くことについて。いろいろ考えた。持て余した午後の時間を渋谷散策につかったけれど、小さな頃から毎日通学路で通ってすっかり慣れたこの街も、いつしかわたしの街ではなくなってしまったな、と感じた。

2021.09.19

朝5時に起きて、つくばを散策。彼のお姉ちゃんの運転であちこち連れてってもらった。ケーブルカーで筑波山の山頂に。山の新鮮な空気っていつぶりだろう?そのあと、筑波大学のすぐ側にある千年一日珈琲焙煎所でサンドウィッチをいただいて、隣にあるPEOPLE BOOKSTOREという本屋さんへ。古本も新刊も、zineやレコードもあって、店主の方の愛のあるコメントが素敵なお店だった。いろいろおしゃべりして、つくばで以前ライブをしたというMOCKYの好きな曲が入ったアルバムのレコードと、Elliott Smith Fan Comic Zine『エリオット・スミスのあれか、これか、それか』を購入。「あり得たかもしれない出来事や、ものがメッセージの媒体になっていくことについて」。それぞれの街にある個性のある本屋さんに立ち寄るとそのまわりに広がっている文化を知ることができる気がして、それがすごくたのしい。またつくばには遊びに行きたいな。

2021.09.18

初めてつくばエクスプレスに乗って、つくばへ。わたしの家の近くも空が広いと思っていたけれど、比にならない広さ。ひょろりと細長い、見たことのない木が生えている。夜ごはんでいただいたルッコラと蓮根がほんとにおいしかったな。食後は猫と遊んだりした。猫と通じ合うためにはじいっと見つめるのではなくてゆっくりとまばたきをするといいってこと、初めて知った。ひさしぶりに自宅以外の場所で眠った。

2021.09.17

この間、あゆさんと花月さんとpodcastの収録で話したときに花月さんがTikTokの話をしていて、わたしもダウンロードしていろいろ見ていた。いろんな国で暮らす人たちのvisual diariesを見ていると旅行でさまざまな場所の景色を窓から眺めているような気分になってたのしい。好きだな、と思うアカウントを探すために好きなアーティスト名などで検索している。「#sibyllebaier」で検索して出てきた女の子の何気ない弾き語りにやられて、わたしもSibylle BaierのTonight弾けるようになりたい、と思い立って9900円でヴィンテージのクラシックギターを購入した。唐突ではあるけれど、パソコンを使わないあたらしい趣味がほしくて模索中なのでわくわくする。

夜、これもpodcastであゆさんが話していた映画、『スモーク』を観た。このことは今度podcastで話したいなと思うからあまりここには書かないけれど、わたしにとっても何度も観返したい映画になった。偶然が積み重なって今ここにいること。嘘とほんとう。ポール・オースターやっぱりだいすき。『リヴァイアサン』を読み返したくなったのと、まだ読んでいない作品を図書館に借りに行こうと思った。

2021.09.16

朝、晴れていたから川沿いへ。多摩川はきらきらしてて気持ちよかった。真夏は暑すぎてなかなかできなかったからこそ、朝のサイクリングがうれしい!

近頃胃の調子がよくなく、食べるとすぐ気持ち悪くなってしまうこと、足のだるさが気になって、たまたま時間ができたので中国式マッサージへ。痛すぎてもう行くことはないかもしれないけれど、身体は軽くなったし胃の調子はよくなった。足つぼやリフレクソロジーが世界中で自然発生したということは不思議なことだよなといつも思う。うちにも青竹踏みがあり、同居人はずっと乗っかってて調子がよさそうなのでわたしも日課に加えたい。東京都写真美術館で『リバーシブルな未来 日本・オーストラリアの現代写真』へ。リバーシブル、というコンセプトを汲み取るのがわたしにとっては難解だったけれど、石内都さんと畠山直哉さんの作品が同じ空間に展示されているところで、コンセプトにもあった「過去と未来、生と死、記憶と忘却のサイクル」について特に考えさせられた。

2021.09.15

原稿を書き終わり、写真の現像に行く途中でお気に入りの噴水の前でぼんやりしていた。夏休みだけれど特になにかをしているわけではなくて、Instagramのリール動画ばかり眺めたりしている。

2021.09.14

自転車で半日ずうっと街をぐるぐるとまわっていた。少し進むだけで違う風景に変わるから、飽きない。この街に住んでいてよかったなと感じる。

夕方、半年ぶりくらいに実家に帰った。実家から割と近くに住んでいるのに、なかなか帰れなかったのはもちろんコロナのせい。やっとワクチンを2回打てたので、久々に両親と夕飯を一緒に食べてうれしかった。ロッキングチェアに揺られながら、亡くなったおばあちゃんのこと、飼っていた犬のこと、たったの数年で変わっていった変化の数々を思い出す。すっかり忘れて、自分のなかで都合よく解釈していたいろいろのことも思い出した。わたしが大きな声や誰かが不機嫌な状態に対しやたらと敏感で、息が詰まりそうなほどびくびくしてしまうことの原因は何なのか、ぼんやりしていたけれどはっきり思い出した。

家に帰り、もうすっかりわたしにとってはこっちの家が「家」で、実家は「行く場所」なんだなと感じて不思議な気持ちになった。親ともっと話したい。話したいのに話せていないことはいっぱいある。

2021.09.13

早朝の公園、いつもの猫と、猫をかわいがってる人たちの集会にすれちがう。「最近もう一匹の子を見ないのよ」と話しかけられる。人間同士が唐突になにか親密な雰囲気で話し合うことなんてめったにないのに、猫や犬など動物を介すと驚くほど普通にそれが行われることの不思議さはなんなんだろう。今日から夏休みなんだけれど、終わっていない仕事をいくつか進めた。夜は銭湯へ。脱衣場での会話が耳に残っている。菓子パンはからだに悪いらしいよ、癌の薬は飲みづらい、こんなご時世だからなんの楽しみもない、ひとりじゃ何もつくる気がしない、みんなそうだと思うけどね。自販機のリポビタンDが売り切れなの、みんな頑張ってるのかしらねえ。おやすみなさい、と声を掛けてくれて、優しい気持ちになった。

2021.09.12

同居人おすすめの漫画『ヨコハマ買い出し紀行』を読みはじめる。すっごく好きだった。いい時間が流れている作品で、全然違うんだけど志村貴子さんの漫画をひさしぶりに読みたくなりました。比較的近場に温泉があることを発見し、電車でひさびさの遠出。小田急線を乗りっぱなしで到着する、鶴巻温泉という駅。かつては温泉地だったみたいなんだけれど今はあまり栄えてはいない。駅から徒歩数分でたどり着く「陣屋」という旅館がとても立派で、日帰りプランがあったので行ってみた。立派なお庭を見ながらランチを食べ、すいていたから一人で広々温泉に入れてよかったな。ゆっくりした帰りに川崎市アートセンターでホン・サンスの『逃げた女』を観た。秋はキム・ミニみたいに黒タートルを着る、絶対。この映画もいい時間が流れていて、観終わったあとに女友達とのたわいもない会話の大切さに気づいた。彼に「男の人同士ってこういう感じの会話しなそうだよね」と話したら「たしかに」と言っていた。映画を観る直前に、わたしたちの目の前に鳩かカラスがフンをして、本当にぎりぎりだったのだけれど、あのぎりぎりで逃れた感じはいったいなんだったんだろうなあ。

2021.09.11

朝は散歩して、喫茶店でモーニングをした。意外といけるじゃないか。家に帰って、podcastの収録。歳が少し離れた女友達ができたような感じでなんだかすごくうれしい。まだ会ったことはないのに、なんだか不思議だ。今日はやっと美容院に行ってずっと気になっていた襟足を切れて、しゃんとした。ショートにしてから1年以上経つけれど、そろそろ伸ばしたくなってきた。年内には顎くらいまで伸びそうって。そのあとは豪徳寺周辺の古着屋さんへ。Gouldで女の子が5人並んだブローチと、Scholeで総レースなんだけど裏地がビビッドなブルーで、綿が入っててもちっとしたワンピースを買った。もうそろそろ秋の服が着たいね。

2021.09.10

朝7時に起こされ散歩に連れ出される。数日間家から出てなかったので、玄関出た瞬間に立ちくらみがした。身体がびっくりしたのか。数分間歩くだけできつかったけれど、朝の空気は誰にも触れられていないような特別な気持ちよさがある。気持ちいいことはわかっているのにな。毎日行けないのはなんでだろ。知らなかった花畑と出会えてうれしい。道端に巨大なきのこを発見して、家に帰って調べたら毒きのこだった。いくつかの打ち合わせをして、いいなと思ったら、相手に素直にそのことを伝えるのがとても大事だなと思った。

2021.09.09

昨日に引き続き、ほとんどの時間がオンラインミーティング。いくつかの取材を通じて、子供時代の原体験は思った以上に色濃く残り続けるものなのだなと感じる。わたしもきっとそうだな。2日連続でUber Eatsだった。久しぶりにビールを飲んだけど、1本飲み切るのがきつい。アルコールを求めているのではなくて、炭酸を求めているだけな気がする。身体がだいぶ変わってしまったんだな。

2021.09.08

ほとんどの時間、オンラインミーティングしてた。同居人が早寝早起きになった関係で、わたしも生活サイクルが変わり始めている。21時くらいになるともう眠い。日が昇るとしっかり起きる。人間だなって思う。

2021.09.07

Internet Archiveを使って当時見ていた女の子による日記サイトを探して読んでいた。あのときの、憧れの手触りを思い出す。だれかの何でもない日々の記録が更新されるのを待ち望んでたあの感じ。そして、何時間も検索してついに16歳のときに書いてた自分の日記を発掘した。なんでそのことを書こうと思ったのか、なんでそうした言葉を使ったのか、その色で、その文字で、とすべてが目の前に浮かび上がる感じがした。数年後にまたその感じを取り戻したいなと思い、ここでもとりとめのない日記を書いてみようと思います。

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