2021年12月の日記

・2021.12.31

朝ごはんを食べに行きがてら、掃除用具を買いに100均へ。こんなニッチな掃除用具があるのか、と感動していろいろ買い込んだ。明日ひさしぶりに兄の家族に会うので、なにか買わなきゃなと商店街の和菓子屋さんへ。包んでもらっているときに、わたしはもう米寿なの、でも元気だから全然負けないんだからね、と威勢よく語りかけてくるおばちゃんは生き生きしていて、近頃疲れ気味だった身体にエネルギーを吹き込んでもらったような気がした。シンプルだけれど難しい、元気であることについて考える。わたしも元気でありたい。

5時間くらいかけて大掃除。だいぶ疲れ果てた。部屋の隅々まで見渡しながら、リビングのドアにガラスがついていたことについて意識できていなかったことに気づく。そこの場所にはすでにあるのに意識ができていなかったこと、長く共にいるのに、いるからこそ見えなくなってしまうものについて考えることが増えた。

2014年からずっと続けている、一年の振り返りと来年どういう年にしていきたいかのまとめをせっせとつくる。例年通り、7割くらいはやろうとしたことが叶えられていた。昨年書いていた来年やりたいことの一つに「日記を書き続けること」があって、今年も同じことを書きたいなと思った。

2021.12.30

どうにか運動をはじめたい2021、ということで年末に滑り込もうとパーソナルトレーニングを予約していたのだけれど、お店の前まで行ったら真っ暗で、もう年末年始のおやすみに入っていた。わたしが何か見落としてたのかもしれない。こういうことってわたしの日常ではよくあるので、気を取り直し、あいてしまった2時間を何に使うかあれこれ考える。こういう、急に生まれた時間がだいすきで、誰かとの待ち合わせで1時間くらい相手が遅刻してきたとき、ちょっとうれしい気持ちになったりもする。結局、デニーズでだらだらしていた。

のぞみん、ももちゃんとごはん。たくさん笑って、忘年会って感じだった。みんなどうしようもない日を抱えて生きているのだな、部屋に縮こまっているとわたしだけかなと思うけれど、友達に会えるっていいよねと近頃あらためて考えている。

・2021.12.29

生まれて初めて競馬した。馬がすごくかわいくって、家に帰っていろいろ調べていたら引退馬協会という活動があることを知った。近頃犬を飼いたくて、保護犬についても調べ始めているけれど、さまざまな問題が広がっていることを知って、動物の権利のことについて全然考えきれていなかったな、と自覚した。

・2021.12.28

大学の友人たちとごはん。髪の色を変えたことや服装をいいかんじにいいねと言ってくれる友人たちの、その感じがすごくいいよなと思う。婚姻制度についていろいろ話した時間がよくって、そういえば男の子も交えて婚姻制度の疑問についてここまで突っ込んで話すことって数年前はなかったなと思う。1年に1,2回おいしいものを食べに行く関係がだいぶ前から続いているけど、こういう友達との関係が自分にとって本当に大きいもので、会わない間も支えられているなと感じた。

・2021.12.27

年末最後のわたしたちのスリープオーバーの収録。終わったあと、ゆめさんと二人で忘年会をした。一杯だけ、と言っていたけど、結局夜深くまで積もり積もる話を話した。いい夜だった。こうやって終わらない話を続けるということは、自分たちにとってすごく大切なことだ。ソースをかなりダイナミックに落としてかなり自己嫌悪に陥ったんだけれど、店員さんがそのあとボトルを落としていて、「落ちやすいみたいね」と言っていてだいぶ救われた。

わたしとあなたは異なるものである、という前提について、親しい間柄になればなるほど意識的にならなくてはと近頃思う。同時に、異なるからこそのおもしろさや、こんなにも異なるのに重なることの奇跡に目を向けたい。

・2021.12.26

なんだか元気が出ない日で、いつのまにか一日が終わっていた。『ブックオフ大学ぶらぶら学部』という本を読んでいて、ブックオフの思い出がいろいろ蘇る。学生時代、お小遣いを握りしめてブックオフで掘り出し物の本や漫画がないか探すことや、TSUTAYAで「A」の列から眺めていって気になったアーティストのアルバムを借りていくのがなによりの楽しみだった(たしかThe Apples in StereoやAshはそれで知ったバンドだったな)。選書が光るお店もだいすきだけれど、ブックオフのようないい意味で秩序のないお店は、日常で接しない本のタイトルが飛び込んできて、自分が透明になったような気分になる。どこかの街に行ってブックオフに立ち寄りたい。

・2021.12.25

朝、下北沢をぶらぶらして寄ったBookshop Travellerという本屋さん、はじめて行ったのだけれど棚貸しもやっている本屋さんで、だからこそ棚ごとに異なる色があって心地の良い混沌さがあってとてもたのしかった。レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』、ポール・オースターの『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』を買った。

渋谷で『語りの複数性』展。物事や感情などをどう受け取りどう表現するかは人それぞれだということ、頭ではわかってるはずなのに思った以上に想像できていなかったことにはっとさせられる。百瀬文さん、山本高之さんの映像作品のことずっと考えている、まだまとまっていなくて、また書きたい。紗織ちゃんの作品、五線譜に包まれると音楽が聴こえてくるようで、窓の向こうには渋谷の喧騒が広がっていてそのコントラストもよかった。

夜、冷蔵庫を買おうと思って家電量販店に行ったけれど、お目当ての冷蔵庫が在庫切れで、なぜだかNintendo Switch買って帰った。

・2021.12.24

クリスマスイブだ!ということでケンタッキーに行って、ブックオフに行って、夏の写真を現像した。

・2021.12.23

me and youで開いた、ささやかなオンライン忘年会。She isで行っていたShe is meetingを思い出す時間で、はじめましてだけれどはじめましてじゃないかんじ、場所が離れていても、年齢も職業も違っても、部屋と部屋が繋がっているからか親密な空気が生まれるかんじがひさしぶりで、愛おしかった。

2021.12.22

昼ごはん、下北沢でゆかさんとカレー。いろいろ話しながら、「アソートとコースが好き」ということを自分で話していて、ああそうなんだと再確認した。アソートは選べる楽しさがあるから好きなんだけれど、コースは選ばなくて済む楽さがあって、どちらもそれぞれの良さが最大限発揮されてるから好きなのかな?などと考えた。

鍋の季節、常夜鍋がおいしすぎて毎日これでもだいじょうぶだなと思いながら、名前通りのことを思ってしまったことになんだか悔しくなった。

・2021.12.21

メディアのデザイン、すごくいいものになりそうでどきどき。疲れていたのに、一気に疲れが吹き飛んで帰り道の足取りも軽く、紀伊国屋で一番食べたいものを買って自分を癒やした。

・2021.12.20

取材や収録でばたばた。

・2021.12.19

朝抜けに同居人とGaragebandで適当につくった曲が絶妙におもしろくて、腹を抱えて笑い転げて、着信音にした。

夜、あゆさん、花月さんとHomecomingsのライブを観て、ごはん。二人とはまだ出会ったばかりだし、年齢も違うけれど、なんだか昔からの友達のように感じる。ひさしぶりのHomecomingsのライブはあたたかくって、福富さんがMCで話していた話がとても心に残った。やさしい人でありたい、わたしも。

この日記を読んでくれている方がたまに感想を教えてくれて、それがとても照れくさくて、代えがたいほどうれしい。

2021.12.18

昨日まで心に暗闇が広がり息苦しさがあったというのに、生理がきた途端に優しい気持ちが急激に広がって、ああ本当にホルモンに翻弄されているなあと思う。高校生の頃から、生きていける気がしない、と、生きるのってすばらしい、を一ヶ月の半分半分行き来し続けている。PMSに悩み続けはや15年、前と比べたらだいぶよくなったと思いこんでいたけれど、今回はきつかった。やっぱり波があるのだな。

夜のトークイベントに向けて、日中、映画をみながらあれこれ調べものをしたり、考えたり。その時間がすごくよくって、こういう時間が自分にとって癒やしなのだと気づいた。

下高井戸シネマでグレイ・ガーデンズのトーク、緊張したけど自分たちらしく話せてたのしかった。きみちゃんやグッチーズさんの優しさに心がほだされる。それぞれの場所で活動している個人や小さな団体に力をもらう日々。ここ数年、特にその繋がりの尊さを強く感じる。

2021.12.17

いかにも師走、あまりにも慌ただしく体力が持たない、日記も簡素になっちゃう。隙間をぬって、恵比寿で折坂悠太さんと青葉市子さんのツーマンライブ『漁火』。つかの間の幻みたいだった。恵比寿のきらきらのなかを駆けながら、頭のなかで歌声がリフレインしていた。家に帰り、お風呂でINAさんの『つつがない生活』を途中まで読んで、よすぎてちょっと泣いちゃった。

・2021.12.16

この日のことはme and youのニュースレターに書きました。

・2021.12.15

考えの余地があるときに悲観的な想像で埋めてしまう癖があって、またあれこれ落ち込んでしまった。だめだなあ。夜、写真美術館でエル・プラネタの試写。母と娘の関係、着たい服を着ること、社会からこぼれおちてしまう状況、いろいろグレイ・ガーデンズと重なった。央子さんとハルさんのトークもすごくおもしろかった。アマリア・ウルマンのことがすごく気になって、しばらく彼女のことを考えてしまいそう。

・2021.12.14

間違えて窓を開けたままにして寝てしまったせいで震えながら起きて、熱出した。わたしは何をやってもだめだな、というモードに入り込んでしまってなかなか抜け出せない。なにかのせいにしておきたいから、寒さのせいだということにしておく。

・2021.12.13

ふと思い立ってひさしぶりに髪を明るくした。夜は下北沢で飲んだんだけど、酔っ払って何を話したのかほとんど覚えていなくて、こういうのもひさしぶりにいいよねと思う。

・2021.12.12

晃生とかおるさんと三人で世田谷美術館でグランマ・モーゼス展。日々の暮らしやまわりの人のことを大切にすること、いくつになっても始められるということを思い起こさせてくれる素敵な展示だった。絵を描きたくなる。一時期ボードゲームやカードゲームにどっぷりはまっていた時期に買ったカードゲームをいくつか持っていって、カフェで延々やっていたら夜になっていた。ゲームやってると余計なことをすべて忘れてリラックスできる。ニムトは本当にたのしいから年末またやりたい。

・2021.12.11

マッサージでいろいろと憑いてしまったものがすっかり落ちた気分。明日のアーを見るために、大鳥居へ。道端の「振替納税推薦の町」の表記と、なんだかぐっとくる公園が忘れられない。明日のアーを見ると年末を感じるようになった。面白かったし、すごく笑ったのだけれど、いくつか気になるネタがあって、終わったあと考え込んでしまった。いつか大北さんに聞きたい。帰りに飲んだ鉄板ジョニーというお店は安くておいしかった。

・2021.12.10

朝、白湯を飲んで身体をあたためるのがいいよと聞いてやってみたらすごくよかった。早起きして、近所を冒険。野道をかきわけ、気分的にはだいぶ登山に近い感覚。わたしの同居人はよくこんな道を見つけるな、と思う。夜は前の会社の同僚たちと会ったりした。ちょうど去年の今頃、会社辞めること決めたんだっけ、とか思い出した。

・2021.12.09

撮影があったから、大好きな古着屋さん、梅ヶ丘のscholeで買ったレースのワンピースをおろした。スカイブルーのキルティングがもちっとしてて身体中が守られている感じ。愛さんがscholeのことを書いていた記事も読んで、ますますお店のことが好きになる。取材、銀杏並木が美しかった。去年のこの時期ってまだイチョウって咲いてたっけなあ。枯れてたような気もするけれど。

昨日から胸のあたりに蕁麻疹のようなできものができてしまい、夕方には手や足にも広がってしまって数ヶ月前の帯状疱疹を思い出してしまった。身体が先か心が先かわからないけれど心の調子もよくなくって、やばいなと思っていたけれど心のほうは同居人にだいぶ助けられた。ぼんやりするとすぐに自分という存在がなにもない、あまりにも取るに足らない存在なのではないかという考えに落ちていってしまう。自分って最高、って思える日もないわけではないのだけれど、自信を保つのって難しい。何歳になってもこういうことで悩み続けてる。

そんな気分だったから母親からの連絡につらくあたってしまい、即座に謝ったら、「いいわよ、わかってるから」ときて、電車の中でちょっと泣いた。

夜のインスタライブ、Snow Shovelingの中村さんとおしゃべり。束の間だったけれど元気出た。

・2021.12.08

打ち合わせ3本、その後もかなり集中して仕事できた。いい感じの日。

あまりにも美しく整った世界、一つの考えに統一された世界よりも、複雑さや混沌と渦巻いているような、そういう感じの方を見ていきたいよなあとなんとなく思った。きれいごと、みたいな世界に触れると歯痒い気持ちになる。わたしもそういう部分少なからずあるのだろうけれど、なるたけそうなりたくない。新井英樹の「ひとのこ」を読んだ感想はまだまったく言葉になっていないのだけれど、そういうことを最近ずっと考えている。

・2021.12.07

年末はいつも調子を崩している気がするけれど、今年もなんだかこの季節はぼんやりしてしまう。打ち合わせで昔したアルバイトの話、eスポーツの話をした。なかなか遠くへ行きづらい日々の中で、画面と向き合っているときの方が遠くへ行けることがある、ということに毎日驚いている。そんなことを考えながら帰った夜、テレビで日本で初めて電灯がついたときの様子が描かれた絵を見た。その眩しさに卒倒した人もいたという。1882年、今からたったの139年前だ。わたしのひいおばあちゃんは、わたしがまだ幼いときに103歳で亡くなった。いつも鳩サブレをくれてたひいおばあちゃんにいまの生活の話がしたい。

トスカーナのUNTOというブランドのオリーブオイルをいただいた。デザインかわいい。使うの楽しみ。

2021.12.06

引き続きあまり調子がよくなかったけれど、夜あったかくしてごはんを食べたらわりと解決した。

・2021.12.05

昼間、バスに乗っていたら急に悲しくなってきて、本屋に行って店から出た瞬間に涙が溢れて、声をあげて泣いてしまった。こういうとき、悲しみが悲しみを呼んで、そのへんに落ちている悲しみも全部引き連れているような気分になる。迷惑をかけていると思うけれど、まわりのひとに本当に助けられている。夜には回復して、サイゼリヤでたらふく食べていい感じだった。

・2021.12.04

今日一日、服屋さんなどを巡っていたときのこと。店員さんと他愛のない話になって、「会社をやっている」という話をしたら「女性なのにかっこいいですね」と言われ、「セール品に弱いんですよね」という話をしたら「女性らしいですね」と言われた。決して馬鹿になんか一ミリもしていない笑顔で。無邪気だって罪である、と思うと同時に、ここで小さく争うことがいいのかわからず笑顔を返す。「なんでそう思いますか?」と聞くこともできたのかもしれないけれど、未だにどうしたらいいかわからない。自分も過去にこういった言葉を投げかけたことはあると思うから、なおさら。

本屋さんですれ違った人が言っていた「私たちの時代は左利きを直すのが当たり前だった」という言葉を思い返す。9割の人が右利き、1割の人が左利きだと記事で読んだ。社会が右利きに合わせて作られているということもそうだけれど、マジョリティである右利きに合わせるように「矯正される」ことの苦痛を想像してぞっとする。小学生の頃、左利きの人が特別でかっこよく感じて、自分も左利きにならないか練習していたことがある。そのときのわたしは、左利きの人が抱える苦痛を考えてはいなかったと思う。自分の当時の行動も無邪気でぞっとするけれど、一つ一つ立ち返って考え続けたい。

コスメキッチンで買ったgiovanniのシャンプーが最高、シャンプーを変えるとなんでこんなに世界が変わって見えるんだろう。

・2021.12.03

とてもありがたい撮影でカラオケへ。楽しかった。

ここ数日ぼんやりと考えているのは、なぜ複数の人が集まったときに「ノリ」のようなことが発生しがちなんだろうということ。ノリという言葉がいいのかわからないけれど、例えば決まったタイミングで決まったことを言うとか、お決まりの言葉とか、同じポーズをするとかそういうのが幼少期からずっと苦手で、上手にできなかった。大人になったらこういうのはなくなるだろう、と思っていたけれど、ふとした瞬間にそれは現れ、ああ無理だ、となる。ときには結束感をもたらすものにもなるから、そこにノレないことは疎外感にもつながっている。こういうことで老後も悩んでいるのかなとか考えていた。

・2021.12.02

この日のことはme and youのニュースレターに書きました。

・2021.12.01

あまりにもきれいな夕焼け、思わず写真を撮りたくなって携帯を取りだすちょうどそのとき、目の前の人が同じように写真を撮ろうとしていた。そのまま道を歩いていくと、どうしても動かない意固地な犬に困って笑う人と目が合い、この街のことやっぱりなんか好きだな、となった。

ゆめさんと一緒に、She isのときにもお世話になったメディテーションスタジオmedichaさんへ。携帯もPCも開かず、何かを読んだり見たりすることもなく、ただそこにいる自分自身と静かに向き合うことができる。4つの空間にわかれていて、初めは真っ白な空間と暗闇の空間を自由に行き来する時間、そのあとにドームのような空間でオーディオプログラムを聴き、最後は茶室のような空間でお茶をいただきながら気づきを書き残すという流れ。マッサージにも近いのだけれどそれとも違っていて、少し疲れている誰かを誘っていきたくなる不思議な場所。

下北沢でLaura Day Romanceのライブを観た。ひさびさのベースメントバー。花月ちゃんのまぶたが光って輝いていた、きらきらした楽曲たちに元気もらった。

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