2022年2月の日記

・2022.2.28

ずっと前から少しずつ読んでいた荒井裕樹さんの『まとまらない言葉を生きる』を読み終える。大切な言葉、はじめて知った方、いろいろノートに書き写した。「誰の人生も要約させない」という言葉の力強さ。読み進めているカロリン・エムケ『なぜならそれは言葉にできるから』とも重なる部分があると思った。簡単に言葉にできないということ、それでも言葉を探していくこと、その両方を大事にしていきたい。横田弘さんの『われらは愛と正義を否定する』が読みたい。

・2022.2.27

休まないと、という気持ちで代々木上原をひさびさに散歩。昔このへんで一人暮らししてたけど、全然店を知らない。どこに住んでいても「その街で顔馴染みのあの人」みたいになることってこれまで一回もなくって、これからもなさそう。

Los Papelotesで古本を3冊くらい買った。店に入ってきた二人組が「本を読む人になりたいんだよね」と話していて、本を読む人になる、ということについて考えていた。前も2回くらいきたことあるインド料理屋、窓から差し込む光がやたらときれいで、壁に書かれた「spice+milk+something nice=chai」という言葉もかわいい。きらきらした街の隙間の違ったきらめきに、ほっとした。三軒茶屋でひさびさのtrope、luikで春の赤いコートを買った。

・2022.2.26

基本的に土日休みにしているのだけれど、なかなかうまく休みがとれていない。休まないと平日力が出ないのでバランスをとらなくてはいけないのだけれど。自分にとっての休み、が何をもって休みなのかがもはやよくわからない。でも、つい根詰めて集中しすぎてトイレに行くことさえも忘れてぶっ通しで仕事をしてしまうことがよくあって、そういう感じだとなかなか身体が持たないことはやっと理解できるようになってきた。そういう感じにはならないように、外で仕事して、暗いニュースばかり目をやってしまうので、明るい色のワンピースがほしいなあなんてことばかり考えていたらあまり仕事がはかどらなかった。

夜、アリ・フォルマンの『コングレス未来学会議』という映画を家で見た。主役のロビン・ライトが「俳優の絶頂期の姿をスキャンしてデジタルデータ化し、多くの映画にそのデータを用いる」という契約をする、という物語。ロビン・ライトは役者の名前そのままで出ている。デジタルデータ化については近い未来起こりそう(もう起こってる部分もある)と思うんだけれど、途中からアニメーションと実写を行き来して、現実と虚構がわからなくなる感じをかなり「起こりそう」な感じで描いていて、それがおもしろかったし、恐ろしかった。そもそも実体とは何なのか、2月はそういうことばかり考えている。

・2022.2.25

この日の日記はme and youのニュースレターに書きました。

・2022.2.24

お父さんとLINEでやり取りをしながら、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻のニュースを憂う。まだいまいち状況が飲み込めない。これまでもさまざまな戦争が起きてきたけれど、恥ずかしいことにその一つひとつに自分なりの言葉を持ててこなかった自覚がある。命が奪われることはあってはならない、戦争反対という考えをはっきりと打ち立てながら、なぜこのようなことが起きてしまっているのか、歴史を知り、同時にいまどのような情報が行き交っているのか見ていかなきゃなと思う。日本国内で起きている、この状況への反応も含めて。戦争、というと遠くで起きていることだと感じてしまうけれど、自分の生活の延長線で起きることだと感じる。自分自身や近くで起きていることも含めて、そこに繋がっていくような行動や考えが存在していないか、注意深く見ていきたいなと思った。

・2022.2.23

朝、お風呂の中で谷口菜津子さんの『今夜すきやきだよ』。最高の二人。出てくる登場人物がみんな好きだった。

下北沢で『春原さんのうた』を観た。そこにずっと暖かい温度が通っているようで、嘘のなさ、のようなものを感じた。一人ひとりそれぞれに何かを失いながらも光を見つけ、そこで生きている。沈黙を愛したいなと思ったのと、ショートカットに戻そうと思った。みんなでキノコヤに行きたい。

フレンテ明大前店のスープストックに行ったら、2007年からあったこの店が来月閉店してしまうようで、付箋でたくさんの声が集まっていたのを見て泣きそうになってしまった。喪失への感受性が豊かになったからかな。この場所に集っていた人の姿が目の前に浮かぶような気持ちでスープを飲む。本当は下高井戸シネマで映画を観ようとして明大前まできていたのだけれど、この気持ちのまま家に帰ろうと思って反対の電車に乗った。家に帰って畳で寝転びながらパンフレットを読んで、また泣いてしまった。

・2022.2.22

眠気がずっと続いてしまっている。愛さんの紹介で、仕事の合間に表参道の「美肌室ソラ」へ。すごく気持ちよかった、今度体験レポートも書く予定です。押すとこりがほぐれる場所についても教えてもらって、早速電車の中で押しながら帰った。近頃ヨガを始めたりストレッチもやったりスキンケアもいろいろ模索してるけれど、誰かに触れられる、触れられなければ叶えられない、ということも存在しているのだなあ、と考えた。

・2022.2.21

わたしたちのスリープオーバー収録。お風呂で最近の流れで気になって買った『Spectator vol.48 パソコンとヒッピー』を途中まで読む。

・2022.2.20

大学の美学美術史学専攻のゼミの子たちとcavemanでごはん。コース料理というものが久しぶり、ごはんに合わせてお酒が出てくるペアリングが大好きだったことを思い出した。卒業して10年以上経つけれど、ゆるやかにこうした繋がりがあることがとても支えになる。

上北沢のOpen Letterというスペースで河合浩さんの展示。河合さんが、作品の行き着く場所については「誰かの部屋にアクセントとして飾られた状態」だと話されているそうで、その姿勢がすごくいいなあ、と思った。いつかわたしの家にも飾りたい。スペースもとても素敵な場所だった。

マップをいただいたので、見ながら散歩。「カモシカ」と書いてある場所を探したけれど、見つからず。神田川沿いをひたすらに歩く。随分冷える日で、行き着いた公園の自販機で温かい飲み物を買おうとしたら、前に買っていた小さな子供がコーヒーを2本買っていて、1本手に取り「飲みますか?」と話しかけてくれて、びっくりしている間にどこかに駆けて行ってしまった。優しさであることは間違いないはずなのに、こんなことあまりないだろうから、この公園自体が幻のように思えておもしろかった。

薫さんとのぞみんと飲む。見たい映画、読みたい本がたくさん。飲んでると忘れちゃうから、もっとメモしておけばよかった。

・2022.2.19

朝、布団の中でたまたま見つけたDOZiNEの「現代魔女たちは灰色の大地で踊る──「思想」ではなく「まじない」のアクティビズム|磐樹炙弦 × 円香」という記事が最近lainやアマリア・ウルマンなどを見ながら考えていたことと繋がる感じがして興奮して晃生にシェアした。超長い記事なのでまた読み直したい。

下北沢SPREADで山本達久さん、石橋英子さん、日髙理樹さんのライブ『ヘルシーライブスタイル2022 [コロナ路地にて生まれた健康法は多々あれど、音楽はそうは行かぬと言語道断の雨霰]』。タイトルすごい。その場で、目の前で音楽が生み出されていくというのはライブでしか味わえないもので、SPREADはお酒もおいしくてそれもよかった。どこか遠くの国にいるような気分になって、ラーメン食べて帰った。

・2022.2.18

急に眠くなって深い眠りに落ちた。目覚めたらすごく元気に。ドラマ『恋せぬふたり』を続きから見る。世の中のほとんどのドラマが恋愛することが当たり前で、かつ異性愛が当たり前な中で、こうした登場人物たちがいつかもっと当たり前に登場してほしい。商店街のポイント交換のシーンよかったなあ。

・2022.2.17

恵比寿映像祭でアマリア・ウルマンのレクチャー・パフォーマンス集。パワーポイントを駆使して、消費社会、性差、ルッキズムなどの問題にユーモアを交えつつときにどきっとする表現で切り込んでいって、揺さぶられた。彼女もティーンエイジャーの頃インターネットではコミュニケーションができる感じがあったという話をしていて、同い年だけあって急に親近感が湧いちゃった。近頃、イメージ、リアルについて考えていたことなどといろいろ重ねながら見ていた。アマリアはlain見たらどんな風に思うんだろ。

・2022.2.16

小学生くらいから今に至るまでお話する機会があって、話しながら漠然と存在していた点と点が線で繋がっていく感覚があって、ヒーリングみたい、と思った。常に居心地の悪さを感じていた、というのが自分の原点で、いじめに遭っていたわけではないのだけれど、教室にいたくなくて保健室にいたこと、体育でペアになる相手が見つからなかったこと、一人で帰る帰り道にイヤフォンで聴いた音楽、誰とも会わずにインターネットに費やしていた時間、それらの一つひとつがなかったら今のようにはならなかっただろうから不思議だなと思う。日々が辛くて明日朝起きたら大人になってたらいいなと本気で思っていた、あの頃の感じはもう忘れてしまったようで自分のどこかで生き続けている。

・2022.2.15

そんなに多くのものはいらないから、健康に生きたいな、と思った。

・2022.2.14

テーブルに置けるIHヒーターと土鍋を買ったのだけれど、この冬買ってよかったものとしてNintendo Switchの次点くらいに入るなあ。90年代のアニメの話をしていて、『はれときどきぶた』のことをいつぶりかわからないくらいに思い出した。

・2022.2.13

恵比寿映像祭で海さんの『重力の光:祈りの記録篇』。見ながらぼろぼろ泣いてしまった。そこにいる場所にいる人たちが関わり合いながら、手を取り合いながら生きていて、作品も生きることも、みんなで作り上げていく姿に胸が打たれた。共に生きていくということ。上映後のトークで、海さんがかっこつけなくてもいいと思ったんです、といったことを話していて、それもよかった。短編『汚れきった天国』の次が『重力の光』で、二つの作品の繋がりを感じた。

六本木でSINA SUIEN有本ゆみこさんの展示会場にて、小林エリカさんと有本さんのトーク。トークの参加者の方々ひとりひとりの声が混ざり合うようですごくいい空間で、自分はどんな感覚を大切にしていきたいのか、思い出すような時間だった。zoom越しでしかお会いできてなかった杉原さんにも会えた。そのあとちらと海さんの上映の打ち上げに参加して、短い時間で会いたかった人にたくさん会えたりして、やっぱり街に出るっていいなあ。

・2022.2.12

1か月ほど働き詰めてしまいここ最近はあまり寝れていなかったからか、楽しみな用事があったけれど駅で具合が悪くなってしまい帰宅。やるせなさで落ち込む。10代の頃に見て衝撃をうけたアニメ『serial experimental lain』を見る。当時はこんなに皆インターネットをしていなかったし、SNSもなければVRもなくて、GAFAも台頭していなかったから、今見るとまた全然見え方が違うアニメだなと思った。何がイメージなのか、何がリアルなのか。

・2022.2.11

メディア立ち上げ大詰め、結局一日遅れてしまったし、夜になってしまったけれど、新しく始まった場所がとても愛おしく、一通り公開作業が終わった後もお風呂の中で携帯を開いて、端っこから端っこまで眺めていた。変わらない芯の強さと変わっていく柔軟さを共に大事にしながら、長く続けていきたいし、振り返りながら、積み重ねていきたい。一つ一つゆっくりと。She isをつくった時はずっと駆け抜けていて、そのときとはまた異なる気持ちを抱えている。

・2022.2.10

メディア立ち上げ大詰め、日記は書けず。

・2022.2.9

立ち上げ大詰めなので集まって仕事。こうやって何人かで近くで作業することって、前までは当たり前だったのだけれど、もう2年も基本的にリモートで仕事をしているから、新鮮すぎてつい話しかけちゃう。お菓子食べますか? とかそういうコミュニケーションでさえ懐かしい。

帰宅後も作業だ、と思いながら立ち寄った韓国料理屋で嬉しい偶然の出会いがあった。

・2022.2.8

安田菜津紀さんをお招きしてヒルサイドテラスでイベント。前回に引き続き学びにあふれていて、これから自分がどう行動していけばいいのかのヒントもいただいた。家帰ったらイメージ・フォーラムに行ってきた晃生から映画『牛久』の予告編を見た話を聞く。年始にたまたま寄った牛久に東日本入国管理センターがあることをまったく知らなかったのではっとして、自分たちの日常のすぐそばに問題は存在しているのだと改めて感じる出来事だった。映画は2月26日から。

・2022.2.7

わたしたちのスリープオーバーの収録。この日は日記書けてない。

・2022.2.6

寝起きに思いついた言葉で検索していたら、3つ目くらいにpdfファイルが出てきて、開いたら知り合いの演劇にまつわる資料だった。こんなことあるのか。

なんでもない日に突然手紙をもらって、それがすごくうれしくて何度も見返した。

・2022.2.5

お酒飲んでなんか変な感じになってしまったり、文字のコミュニケーションの難しさでやきもきしたり。ずっと通常運転でいるのはなかなか難しい。

2022.2.4

きれいごとのような言葉がますます苦手になってしまったなあ、と思う。必要以上に美しく見せたり、大きく見せる言葉には気をつけたい、とここ数年ずっと考えている。

喫茶店で仕事をしていたら、横のおじさんのiPadから何か音がしていて、目をやると将棋の対戦のYouTubeを見ているようで、熱心に何かを書き込んでいた。イヤフォンをしてくれないだろうか、とも思ったのだけれど、彼にとって何か大事な時間であるということが伝わってきて、誰にとってもこういうかけがえなのない時間ってあるよね、と思って少し幸せな気持ちになった。

2022.2.3

朝、合唱曲の話をしていて、YouTubeで「心の瞳」を見てぼろぼろ泣いた。合唱大会とか大嫌いだったのに。今後の人生で大勢で同じ曲を練習して歌う、ということはあるのだろうか。

00s nostalgia、という言葉を見かける。2000年代はたしかに自分にとってノスタルジアなんだけど、自分にとって見慣れないのは00年代のことがまだ消化しきれていないからなのかな。90年代の古着は近頃もうよく着るようになったけれど、00年代の古着はいまだにどきっとしちゃう。なんなんだろうか。

・2022.2.2

連絡がくるはずの相手から返ってこない、ということが連続して、なんだかしんとしてしまっているとき、自分がいない世界に迷い込んだような気分になる。編んでいたものの編み方が全部違っていたことにだいぶ進んでから気づいて、引っ張って全部解いたのが気持ちよかった。完成を望むのではなく編んでいる過程に癒しを感じていたから、大したことなかった。

・2022.2.1

Spotifyの背景に様々な問題が存在していることで、Spotifyで音楽聴くたびに複雑な気持ちになる。ニール・ヤングもジョニ・ミッチェルも撤退していて聴けない。いつの間にか音楽を聴くこととSpotifyを開くことがイコールになってしまっているけれど、Spotifyは一つのプラットフォームであり、そこには思想が宿るもの。とはいえ引き続きSpotify使っているんだけど、続報に耳を澄ませたい。

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