2023年1月の日記

・2023.1.31

「耐えられるDV」という言葉の恐ろしさよ。

晃生に上高地のすばらしさを教えてもらって、YouTubeでいくつか動画を見た。保坂和志の『人生を感じる瞬間』のなかのエッセイに出てくるらしい。読まなくては。

ここ最近は落ち込むことなどもいろいろあったけれど、上高地のことを考えてなんとかやっていく。

・2023.1.30

疲れがどっと出てしまい昼くらいまで眠って、晴れて気持ちがいい天気だったので散歩に出かけた。最近できたパン食べ放題のお店、スーパーでかかってるみたいな音楽が流れてて、店を出たあとも頭のなかでずっとループしていた。あれは何ていうジャンルなんだろうか。もう少しカフェっぽい曲がかかる有線もあったはずなのにあの曲を選んだ理由はなぜなのかすごく気になる。夜はいつものエプソムソルトにヴェレダのバスミルクを追加でいれて、追いラベンダーにした。

・2023.1.29

ヒカリエでイベント。あまりにも反省だらけだけれど、無事終わって一安心。これから2023年をなんとかやっていくのに支えになるような言葉をいくつももらった。そういうふうに感じてもらえるイベントになっていたらいいな。

・2023.1.28

翌日のイベントに備えて、一日準備。ポスターをぎりぎりで入稿したり、必要な資料を印刷したりして、夕方は日本橋までポスターを取りに行った。帰り道、100均で必要なものを買い込む。最近の100均は本当に何でも揃ってる。ひさしぶりのイベントで緊張感強め。

・2023.1.27

夜、あいこと代々木のTYONというお店でごはん。普通の民家で、実家に帰る気分で玄関のドアを開ける。店主の方がすべて一人で切り盛りしていて、食べたことのないスパイスの料理などが作家さんの素敵な器でいただける店。おいしいごはんとワインとかっこいい音楽で酒が進んで、気づくとワインをボトルで2本もあけてしまった。

あいこと閉店ぎりぎりまで話していけれど、彼女と話しているだけで安心して、自分のしょうもなさも含めてこのままで大丈夫かもという気持ちになる。うじうじとした話は人によっては「そんな話言われても」と拒否されたり「悩んでてもしかたなくない?」と言われるときがあるけれど、何でそういう気持ちになるのかとか、状況が発生する原因についてあれこれ話している時間が自分にとってはすごく大切だと感じる。

・2023.1.26

仕事後、カウンセリングに行く。最近悩んでいたことや、小さいときからずっと苦しめられている考え方について話をしていたら、涙が止まらなくなった。この場所ではわたしは何でもなく、誰かの目を気にすることもなく、どんなに複雑な感情でも出してもいいことになっている。そうした場所があることの大事さについて。学生のときに不安障害で心療内科に通っていて、そのときは薬での治療が中心だったけれど、こうやって話して自分自身の根っこのほうに絡まり付いたものを解きほぐす作業をもっと早くしたかったなあと思う。わたしはつい「もっと早く〜したかった」と思ってしまいがちだけれど、同時になんだっていつからでも遅くないといつも思っている。

・2023.1.25

今日の英会話のレッスンはここ最近の勉強時間の不足や自信のなさなどが相まってなんだか全然話せなかった。落ちこんだけれど、今日はもともと話すのが苦手なZoomだったし、そもそも今あまり元気がなくて日本語でもそんなに元気に話せない状態だから、しかたがない。家事があんまりできていないこともストレスで、たてなおさないと。

・2023.1.24

ふとした言葉がトリガーになって、気になっていた出来事の理由がひょっとしてこうなんじゃないか、と根拠もない妄想をしてしまい、さらにそれが別の妄想をよんで、大きな不安に駆られてしまった。これはわたしのよくない癖で、すぐに暗い渦の奥底に迷い込んでいってしまう。書くことでだいぶ整理できた感じ。運動したりお風呂に入ったりして、なんとか少し這い上がれた。

・2023.1.23

夕方、あゆさんがうちに荷物を届けにきてくれる。仕事が終わっていないまま、少しだけ休憩がてら近くのバーへ。旅行先で見つけたお酒がたくさん用意されていて、おつまみも本当においしくて、炊きたてのご飯を知らない人と一緒に囲んで食べる時間。つい仕事をしていると根詰めて永遠にやってしまうことが多いから、いい気晴らしになった。

・2023.1.22

新宿。一人で食事を食べるのが苦手で、いつも通り選ぶ気力が失せてしまい、適当に入ったらだいぶ後悔した。いつか上手に食べれるようになる日はくるのか。かわりに、家に帰って適当につくった夕飯があまりにもおいしかった。料理はなるべくつくったほうがいいのだ。晃生に教えてもらってケネス・アンガーという人の『マジック・ランタン・サイクル』をU-NEXTで少しだけ観る。魔法的な世界。

・2023.1.21

等々力でうどんを食べて、電車で尾山台に行った。尾山台の駅前の商店街の感じがだいぶ好きで、不動産屋さんの物件情報をちらちら。今の自分の生活だと、電車のアクセス的に少し厳しいのだろうか。いつか住みたい。WARP HOLE BOOKSに立ち寄ったら、わたしとあなた本を面で出してくださっててありがたかった。子ども向けの本も多くて、読まなくなった本をエピソードとともにまちの誰かへとつなぐ「まちの人へとつなぐ本」というコーナーがとても素敵で、ますますこの街に住んでみたくなった。

・2023.1.20

仕事後、あまりにもひさしぶりの眞木会。カラオケは楽しい。

・2023.1.19

連日の悪夢。昨日は自分がなにかしらの仮想世界に存在している夢を見た。RPGの主人公のような目線で、オープンワールドのゲームみたいな世界にいるわたしはだいぶ苦しんでいた。前日、一瞬だけメタバースとセカンドライフの話をしたことが影響しているのかな。今日はゆっくりと死に至る薬を身体に打ち込まれる夢を見た。これは何が影響しているのかがわからない。朝起きたときに現実と夢との境がわからなくて、ベッドのなかでしばらくぼんやりとしてしまった。しんどかったけど、メタバースと死について考えるいい機会にはなったのか。なんなのか。

仕事をしてから、お昼休みにだいぶひさしぶりの英会話へ。この教室には数か月前に通い始めたばかりだけれど、英語のレッスンでもありながら、ただ会話を楽しみに行っているような感覚がある。先生はジェンダーや人種などによる差別の問題や広告表現、環境問題、政治のことなどの話を投げかけてくれて、今まで日本語でさえ話したことがなかったようなテーマについてもこの時間に話している。自分の英語が拙いこともあってなかなか言いたいことが表現できないときがあるのがかなり歯がゆいけれど、話しているあいだは自分の英語の拙さを忘れてしまう。

目の前に心から話したいと思う相手がいたときに、言葉が拙くても、あるいはまったくわからなかったとしても、伝わっていく・伝わってくる感覚ってたしかに存在しているなあと思う。このあいだチャン・リュルの『福岡』という映画を観て、とってもよかったのだけれど、そのなかでも韓国語で会話する登場人物たちが、言語がわからないはずの日本語や中国語の話者と言葉を交わすシーンがあった。論理的にはそんなことがありえない、ということであっても、わたしはそっちを信じてみたくなる。わかること、伝わる、ということ。今年は英語に加えて、韓国語や中国語を学ぶことも少しずつ始めてみたいなと思っているけれど、伝わるということの不思議さも引き続き考え続けたいことのひとつ。

英会話の先生と話すこと、あるいはカウンセリングの先生と話すことや美容師さんと話すことは、友達やパートナーや親などの近しい人と話すのとは異なる発見がそれぞれにあるなと思う。最近読んでいた、宇野重規さんが豊島岡女子学園で行った講義をもとにした本『未来をはじめる 「人と一緒にいること」の政治学』でも「弱いつながり」の話に触れられていて思い出したのもあるけれど(もともとは情報を伝播するうえで重要であるという言葉だったと思うけれど、この本では政治においても「弱いつながり」を大切にしたほうがいいことに触れられていた)、毎日のように顔を合わせるわけではなく、「お金をはらって、月に1回や数か月に1回、顔をあわせる相手」という関係だからこそ、それぞれに話せることがある。友達やパートナーや親のような「強いつながり」ももちろん大事だけれど、「弱いつながり」にも支えられているのだということを忘れないようにしたい。

家に帰って、打ち合わせがないからデスクに向かって集中して仕事をしていた。いろんな作業をしながら、わたしは「しっかりと積み重ねられていく感覚」におもしろさや喜びを感じているのかもしれない、とふと思った。まだうまく言葉にはなっていないかもしれないけれど。同じ仕事をしていたとしても、人によって何におもしろさや喜びを感じるかは違っているはずで、普段はそうしたことを見過ごしてしまいがちだけれど、まったく異なる作業の意外な共通点から思わぬ発見があるなと感じた。わたしだけがわかるひっそりとした喜びをちょこちょこ見つけてそれを育てていくのは、日々のさまざまなことを新しく見せてくれそうだなと感じてちょっとうれしくなった。(me and youのニュースレターより)

・2023.1.18

母からLINE、ジムの友達がわたしの活動を見てくれているらしい。そんな意外なところまで届いていることもあるんだな、と思い勇気づけられる。

「うまくやっとく」「それっぽく見せる」「よく見せようとする」みたいなことが本当に好きじゃなすぎて(もちろん場合によりけりではあると思いつつ)、とにかくニセモノっぽいものがきらいなんだけれど、気づいたら自分がそうなっていたらあまりにも悲しいので自省を忘れないようにしたいとか考えていた日。

・2023.1.17

夜、柏井さんちでみんなで集まった日。

・2023.1.16

冬の雨の日はだいぶ冷え込む。渋谷や下北沢で打ち合わせ。

・2023.1.15

日曜の朝に、テレビでYouTubeをSpotifyを見ながら晃生と一緒に好きな音楽を流しまくる時間がなによりたのしい。豪徳寺、ハッカニブンノイチでぱっと気持ちが明るくなるピンクの花と、Tsegue-Maryam Guebrouのレコードを買う。帰り道に電車にいたおばあさんが、杖を持つ手に2本のバラを握っていた。

・2023.1.14

今年の日記の使い方を考えていた。紙の日記帳には、見たり読んだり聴いたりして刺激を受けたものたちを文章だけでなく絵や写真もふくめてコラージュして記録するノートにする。文章で書き残すことはデジタルでやったほうが自分にとっては向いていそうで、でもそれでは補完されないイメージを残していくノートにしたい。

夜、近所の友人たちとごはんを食べて、その流れで本当にひさしぶりにオールナイトイベントへ。といってもWWWだから馴染みの場所ではあったけれど。Oil XL、Royksoppのepleかけてくれて最高にあがった。Perfumeも。玉名ラーメンの二人も出ていて、かっこよかった。普段0時には布団に入ってるから2時すぎには眠気で断念して帰宅。音楽はやっぱりいいよね。

・2023.1.13

ぎゅうぎゅうのスケジュール。

なにか行き違いやもやもやしたことがあったときに、「私だったら相手を思ってこうするのに、なぜ相手はしないのか?」と思ってしまいがちだけれど、それはあまりにも相手に自分と同じレイヤーの考え方を求めすぎているよなあと思う。もっと怒りや悲しみなどの感情をいったん手放して、フラットに「なぜそういう言動をするに至ったのか」と疑問をベースにしながら話していくことのほうがいいんだろうなあ。ただ同時に、「自分はこう感じた」という感情は絶対おざなりにしてはいけないと思う。こういうことは本当にいつまでも答えがなくてわからないけれど、みんなどうしているのか。

ここ最近ひさしぶりにMBTI診断をしたらやっぱりINFPで、いろいろ調べながら自分の内向性について考えている。昔からこういう診断系はおもしろくてついのめりこんでしまう。もちろんINFPだから◯◯、みたいにすべての型に当てはまるとは思ってはいないけれど、いろんなタイプを眺めているだけでも「そもそもこんなにも人々は違うのだ」ということを知れるのがいい。

・2023.1.12

早朝から撮影。眠気のせいか、「足が早い」と「耳が早い」を混同して使ってしまった。

・2023.1.11

母に贈ったプレゼントが無事届いたとのこと。思ったよりも喜んでくれて、うれしかった。カフェで仕事をして、近くの美術館で作品を観る。自由な色彩に触れて、少しだけ遠回りして家に帰った。こういう余白を大事にしたいと思いながらつい最短距離で帰る癖がついてしまっているから、一歩踏み出した気分になった。

・2023.1.10

昨日は学校生活がもうすぐ終わることを一日一日たしかめるような感覚を得る夢を見た。何かが終わっていくことを感じるときの、特有の寂しさ。表参道で、銀行に行ったり保険のことだったり、かためな用事がいくつか。風がやたらと強い日。

・2023.1.9

美容院に行って、チコさんとごはん。自分のペースを大切にすることについて。何を一番大事にしたいかはその時によって変わるから、自分自身の声にちゃんと耳を澄ませていきたいなあと思った。

・2023.1.8

抗原検査をして陰性であることをあらためてたしかめてから、実家へ。お雑煮を食べる。我が家はいまだに感染対策でテーブル間の距離をもって会話をしている。この距離が解消されるタイミングはいつかくるのだろうか…。晃生の家族とも会って、ごはんを食べた。猫がわたしの上にぴょんと乗ってきて驚いた。猫の足も、わたしの太もももだいぶ緊張していた。

・2023.1.7

また新宿武蔵野館へ。チャン・リュル『柳川』。流れている時間がすごくよかった。柳川、は北京語だとリウチュアンと読むそうで、この物語にはリウチュアンという女性が出てくる。漢字は中国から伝来してきた文字で、日々のなかでは忘れてしまいがちだけれど、そのことを思うと心の距離がぐっと縮まる。同時にニュースに流れてくる米中の緊迫した関係、日本の立ち位置を思うと、複雑な感情が湧き出る。

携帯料金が高すぎていたのでキャリアをやっと変えた。5年前くらいから考えていたのにやっと。韓国料理を食べて帰宅。

・2023.1.6

休もう、と思っていたけれど少しだけ仕事。おいしいおにぎりの具材を贈りものでいただいたので、おにぎりを握ったけれど全然うまく握れなかった。コップを倒したり不注意の極みみたいな一日だった。

・2023.1.5

仙台二日目。大学生の頃に行ったぶりの松島へ。震災時に、この高さまで波が押し寄せたという印が道にあって、前行ったときは震災前だったなあ、ということを思い出す。かつて泥で覆われたという瑞巌寺、とても美しく静かでいいお寺だった。松華堂菓子店でカステラとホットミルク。短い滞在だったけど、牛タンを食べて東京へ。

・2023.1.4

友達に会いに、仙台へ。やまびこでゆったり向かった。空気が澄んでいた。いろは横丁や文化横丁の感じがすごく好きで、いくつかのお店をまわった。食事メニューはなく、お酒を1杯頼むごとにお通しがついてくる、という「源氏」という店がとてもいいらしく、今日はあいてなかったけど次は必ずいきたい。ドーミーインの快適さよ。

・2023.1.3

新宿でチャン・リュル『福岡』。幽霊みたいな存在、魔法みたいな時間、そういうものが特別なものではなく日常のあちこちに紛れ込んでいる、そういうマジカルさを信じたくなる。ふとした瞬間に永遠に会えなかったかもしれない人に会うことができるようになるし、超えられるはずがない時間を越えることができるかもしれない。この世界で生きていくことがうれしく感じる映画だった。韓国語で交わされる会話を聞くのが好きで、やっぱり少しでもわかるようになりたい。

新宿2丁目でパスタを食べる。行きたかったパスタ屋は土日は休みなのだった。毎回忘れてしまう。次は忘れないようにしたい。新宿伊勢丹も流し見したけれど、混んでいる場所が苦手だから何も買えないまま店を出た。

家の近くで熱燗飲みながら夕飯。たまたま明日から行く仙台の日本酒「阿部勘」だった。映画でも話していた話、「緊張せずに気楽に楽しむ」ということを忘れないようにしたい、2023年。

・2023.1.2

ここ最近全然出かけていなかったこともあり、街に出たくなり日比谷へ。正月は街に人が少ない。いつも賑わっている道もだいぶ空いていた。日比谷で『ケイコ 目を澄ませて』。作品の中で流れている時間とその空気が劇場にいる自分にすっと入り込んでくるようで、終盤ぼろぼろ泣いていた。伝えること、伝わることの映画でもあるように感じた。わたしたちは本当に、いろんなものを使って人と伝え合っているんだ、ということに泣いたのかもしれない。もんじゃ焼きを食べて帰った。

・2023.1.1

元旦。抗原検査は無事陰性だったけれど、まだ体調が本調子ではなくって、すぐに疲れてしまう。正月は毎年お兄ちゃんの家族が実家にきてみんなでおせちを食べているけれど、今年は姪っ子たちも体調を崩し集まることができなかった。おせちだけいただきに、実家にタクシーで向かう。近頃タクシーで運転手さんと話すことも少なくなったけれど、今日は運転手さんがいろいろ話してくれた。元旦の日は高齢の運転手さんはお休みしてることが多いようで、いつも六本木あたりを走っているという若い運転手さんだった。最近はタクシーを利用する人が前とだいぶ変わって、スーツを来た会社員のような人よりも若くてラフな服を着ている起業家みたいな人が多いらしい。タクシー券を使う人もいなくなりましたねえ、とか。電通のビル前にずらりと並んでいるタクシーももういなくなったとか。

実家で家族と少し話して、お兄ちゃんと甥っ子二人が来てたから少しだけ話して、家に帰って晃生とおせちを食べた。お母さんの作ったいつものおせちはおいしい。数年前まではおばあちゃんたちと食べていたなあ、と正月はやっぱり家族のことをたくさん考える。来年はみんなで集まって食べたいな。

疲れて気づいたら少し寝てた。晃生が『イルマ・ヴェップ』を観ていてわたしも久しぶりに観たけどやっぱりかっこよかった。LunaのBonnie and Clydeはわたしにとって大切な曲の一つ。イルマ・ヴェップ、新しいドラマの方も気になるけれどどうなのか。

夜はSwitchで「世界のアソビ大全」を買って気づいたら何時間も遊んでいた。ヘックス難しすぎるのと、マンカラというゲームがおもしろすぎた。マンカラは紀元前から遊ばれてきたゲームで、起源であるエジプトでは穴を掘ってそこに石を撒いて遊んでいたらしい。いつの時代も普遍的におもしろいと感じられることが存在しているのってなんだかいいなあ。

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