2022年10月の日記

・2022.10.31

雲のない青空、あまりにも気持ちがよくて絶対に公園に行きたいと思った。ちょっと高いけどおいしいパンを買って、公園で昼ごはん。ビルも見えず人もほとんどいない、広い広場に寝転がっている瞬間が一番生きていることを感じられる気がする。定期的に土を踏まなくてはいけない。帰り道に小学生とすれ違ったときに「ポリコレ」と聞こえて、思わず振り返った。

月末なのでお金まわりの整理。源泉徴収について作業しながら、これはナチス・ドイツにならって取り入れられた制度なんだよなあ、と思うとげんなりする。由来を知ってげんなりすることが多い、特に仕事においては。「戦略」という言葉もなるべく使いたくないけれど、無意識に使っている戦争に由来したビジネス用語も多い。

ここ最近急に外出が増えたこともあって、日々積み重ねていったルーティーンが崩れて少し不安定になっているように感じる。ひさしぶりにYouTubeを見ながらストレッチ。コメント欄で同じストレッチをしている人たち同士を応援しあう文化とってもいいよね、と思ってる。いくつか回遊していたら、ビュー数が多い動画では英語やさまざまな言語で「今日は忙しくてあんまりできなかった」とか「がんばったから自分を褒めたい」とかそういうことが書かれていた。国を問わずみんな悩んでいたりすることがあって、こうやって共有できる心強さってあるよなあ。そしてこういう「場所や言語などをこえて、個人的ななにかしらで繋がる」ということにどうしてもいつだって惹かれてしまうのだということを再確認した。

・2022.10.30

朝、ボーナストラックで日記の会。毎回この会はものすごくきれいな青空で、風が抜けて気持ちがいい。飲みすぎたせいか昨日の夜はあまり眠れなくて、靄の中を歩いているような気分で電車に乗った。大人になったら計画的にお酒を飲むことができるようになると思っていたけれど、そんなにできていない。むしろやや酒癖が悪くなっているような気がして自分のことが心配になる。

晃生と待ち合わせをして、府中の競馬場へ。天皇賞があるからたのしみに前から入場券をとっていたのだった。駅についたら大量の人、受付で入場用のバーコードがうまく表示できずあたふたする。大体の入り口で突っかかる人生を送っている気がする。嫌な予感はしていたけれどやっぱり混んでいて、混みすぎている場所が苦手なわたしたちは次第に口数が少なくなり、一レースもしっかり見ずに帰宅することにした。馬も全然見れないし。コンディションがよくないときは自分の境界線が薄れるのか、まわりの人の言葉や感情がどんどん自分に染み込んできてしんどい。結局家に帰って、ベッドに寝転がってスマホで漫画を読んでいた。漫画サイトでレコメンドされた『九条の大罪』を一気に読む。恐ろしい、けど実際に存在しているこの社会の黒いところをどっと浴びつつ、なにがよくてなにが悪いかを判断するということがときに困難になるこの世界を思った。

テレビもSNSもあまり見ていないせいで、梨泰院で起きた事件に気づくのにだいぶ時間がかかってしまった。

・2022.10.29

英会話へ。準備がいろいろ間に合わず宿題もできぬまま出かけた。がんばって早起きしたんだけど、他にやるべきことがあったりして、時間が足りていない。慌ただしい気持ちでいくつかの予定がある日に突入するのはあまりよくない。来週あたりから立て直さなきゃ。

大学の友人たちとの集まりで、カルディでワインとおつまみを買って家へ向かった。卒業後はしばらく会っていなかったけれど、25歳とかそれくらいのときから1年に1,2回集まっていて、もう10年近く経っている。大学時代、ライブでダイブしたり中指を立てて舌出して写真に写っていたような友人が、不動産業で都内のビルを動かす仕事をしていて、「でも家を買うのはフィーリングでしかないよ」と話していることとか、だいぶ感慨深い気持ちになる。友達が好きな人と出会う過程を話してくれるなかで、「小一時間話した」じゃなくて「小二、三時間話した」と言っていたのが話す時間がたりなさすぎる感じがあってすごくよかった。しょっちゅう会うわけではないし、普段過ごしているコミュニティもそれぞれ全然違うのだけれど、なんとなく思い出して連絡し合ったりしている関係がいくつかの場所に存在していて、それがわたしにとって心地の良い距離感なのかもしれない。

晃生と国際映画祭でやってるノア・バームバックの『ホワイト・ノイズ』を観に日比谷へ。身近に存在している死をテーマにした作品でありながら、この現代社会に対する風刺たっぷりにコミカルに描いていて、アダム・ドライバーやグレタ・ガーウィグの演技もよかったし、最後の曲はLCDサウンドシステム!すごくおもしろかったし、今考えたいことが詰まっている作品だった、と思う一方で、国際映画祭という場所では映画館とは異なり多くの人が声をあげて笑うことが許されるシチュエーションで、その笑いに暴力性を感じる瞬間が何度もあった。特に、終盤にかけて。性暴力を告白するシーンがあって、そこで笑っていた人のことをわたしは絶対に忘れない。群衆による熱狂の怖さを風刺している作品でもあると思うから、その「笑い」についても考えてた。NetFlix配信が始まったらもう一度観たい。

終わったあと、日比谷の飲み屋街で晃生とごはんを食べに行って、気づいたら深夜1時をまわっていた。晃生は飲み屋で、横の席にいる知らない人に話しかけるということをよくするのだけれど、そのたびに、本当は隣にいる人といくらでも出会えるはずなのに、日常の中で隣のいる人が永遠に交わらない存在として過ごしていくことがほとんどで、そのことを不思議に感じる。

・2022.10.28

えりさんと「アイスクリームが溶けても」の収録。食べものやお酒の話をした。いつも思うけれど、話すという行為は予定とは全然違うところに自然と進んでいくからおもしろい。だいぶ昔に感じたり考えたりしていたけれど、そのままどこかに眠ったままになっていたことが、話すことで引き出されたり、広がっていく経験。今日もそんな話ができた気がする。

ニュースレターを書いたり、ばたばたと仕事をしながらゆめさんと軽く打ち合わせをして、蟹ブックスへ。花田さんと話をしながら、ここ数年で働き方の変化がいろいろあることを振り返っていた。なんかそういう機会が最近ぎゅっと集まっている気がする。終わったあとにゆめさんと高円寺で軽く飲んで、これからのこととかを話した時間がよかった。

・2022.10.27

夜、つめをぬるひとをお招きしたつめをぬる会でゆったりした時間を過ごした。日記は書けず。

・2022.10.26

生理のせいなのかなんだかわからないけれど、頭痛がひどく体調が悪くなって寝込んでいた。イベントの出演があるのに。熱もないし咳もなくて、たぶん生理のせい。晃生にいろいろと買ってきてもらって、ありがたかった。朝の打ち合わせはお休みさせてもらって、ロキソニンとチョコラBBと鉄分のサプリメントを飲んで2時間くらいしっかり寝たらびっくりするほどすっきりした。眠って起きるくらいのときに、身体にまつわりついていた重いものが外に出ていくようなイメージが湧いた。シャワーを浴びたら、何だったんだろう?と思うほど普通の状態に戻っていた。

エトセトラの松尾亜紀子さん、佐藤亜沙美さんとのトーク。黒鳥社若林さんとヴーヴ・クリコの方と。なかなかお金まわりも含めた経営のことについて話す機会がなくって、新鮮な機会だった。起業や独立という言葉にまとわりつくなんとなくきらきらしたイメージがあるけれど、まったくそれだけではなくって、わりと現実的な、地に足がついてないとやっていけない部分があることについてもっと話していきたい。前に進んでいく勇気をもらったし、いただいたワインが本当においしかった。

・2022.10.25

興奮したからか、あんまり寝れなくって、そのまま朝8時からme and you clubのお茶会。寝れないとどうしてもぼんやりしてしまって、この日は日記を書けなかった。

・2022.10.24

あゆさんから内見に同行するという謎の誘いがきたとき、おもしろすぎてすぐに返信した。内見ってだいすき。2軒周ったけれど、一つはとてもよくって、不動産屋の人よりもこの物件の良さを推してしまったような気がする。似合うよ〜って服を勧めているようなカジュアルさで物件を勧めてるけど、家はそんなに簡単には決められないものだよなあ。

代官山でTaiko Super Kicksのライブ。情景がそこに立ち上がるようで、とても感動した。一人一人がそれぞれでありながら、共にある、を表現の中でやり遂げていて、彼、彼女たちにしかできないことをやっているんだなあと思った。身内であるとか友達であるとかそういうことは関係なく。12月のWWWもたのしみ。終わったあと、あゆさんと飲んだ時間も良かった。

・2022.10.23

ワタリウム美術館とかそのあたりを散歩しようという話をしていて、外苑前に行く電車に乗っていたけれど間違えてしまって、代々木公園の駅で降りることに。中国点心専門店ができてて、わたしが住んでいた頃にはなかったよねと話しながらお店に入った。すごくおいしくて、充実した気持ちになる定食、住んでたときにあったらよかったのにな。もう外苑前に行かなくていいのでは?となり、適当に渋谷あたりを歩くことにした。予定を決めて、次にここ、次はここ、とするのはそんなに得意じゃなくって、毎分変わっていく気分に合わせて変えていく、という感じの方が休日を感じる。渋谷の馬券場で2レースだけ見た、当たると思ったけれど全然当たらなかった。

家に帰って黒沢清の『回路』を観た。黒沢清のホラーのやつ、わたしはかなり怖がりでホラーとかそういう怖いのはあまり観ないようにしてるんだけど、90年代独特の怖さのようなものに触れたくなって晃生と観ることにした。おもしろかった。死んだらどうなるのかは決してわからず、みんなが共通して持っているわからなさのこと、その中で今ここにある生を生きること、つながることができる、ということのおそろしさと希望、昨日観たドラマと伝えたいメッセージは一緒なのかもしれないなあと思う。永遠の死ももちろん怖いけれど、永遠の生もわたしは怖い。

・2022.10.22

朝、英会話でアイルランド・ダブリンの話を聞く。英語が使われているけれど、それとは別にアイルランド語があること。調べてみたら第一公用語であるアイルランド語の話者はたったの2〜3%しかいないらしい。けれど、見せてくれた免許証はアイルランド語で書かれていて、彼は「読めない」ということ。言語の歴史を辿って、侵攻の歴史をちゃんと知りたい。

そのまま出かけようと思ったけれど、どうしても着ている服が気に食わなくっていったん家に帰った。服を着替えて、銀座へ。渋谷駅で乗り換えようとするときに、急に大学時代のときに仲良かったある友達の顔が浮かんだ。恋愛で起きたしょうもない話が中心だったと思うけれど、彼女には何でも話せる感じがあって、話している時間が好きだったこと。なんで全然会わなくなっちゃんだろう。自然とそうなったのかもしれないし、わたし側に何かあったのかもしれない。数年前に一度LINEの履歴が全部消えてしまったから、どんなやりとりをしていたかも思い出せない。あの頃って、誰かとのやりとりはもうLINEだったんだっけ?一応彼女のことを検索していたら、ピザとワインのアイコンで存在していた。トーク画面まで開いて、「久しぶりに飲もうよ〜」って書きかけたけれど、さすがに急すぎるかなと思って少し思いとどまった。

銀座で、資生堂ギャラリーの展示へ。それぞれの作品がそれぞれでありながらゆるやかに呼応しているところや、余白や過程、考え途中のことなどをたい切にしているところが面白くて、小さな展示室が誰かの日常やどこか遠くと繋がっているように感じる体験だった。目 [me] による河川敷の映像がすごくよくて、たまたま同じタイミングで隣に腰をかけた人と一緒に夜の河川敷にいるような気持ちにあった。会場を張り巡らせるロープが、隔てているようで、行きやすくしている感じもあって。見えないものが見えるようになるような、そんな展示だった。

銀座の歩行者天国ってだいすき。いくつかお店やギャラリーを回って、カフェで昨日TOUTEN BOOKSTOREさんから届いた『言葉の展望台』をちょこっと読んだ。予定を詰めずに、一人で気ままに過ごす時間の大切さ。晃生もわたしが忙しい日にそういうことをやっていて、お互いにそういうふうに一人の時間を大切しているところが自分たちの関係性の好きなところだなと思う。

『モダンラブ・東京』の黒沢清が監督した回だけ見たけどすごくよかったな。恋愛をテーマにしたドラマのはずだけれど、恋愛!という感じの話ではなく、生きていくこと、死んでいくこと、そういうことを考えるドラマ。でも人を愛することと生きることは深く関係しているのだから、と、まとまらないことを考えながら眠った。

・2022.10.21

夜、あっこゴリラさんのライブを観に、新代田Feverへ。みっちゃんとハルさんに受付でばったり会う。らなさんにも会えた。GOOD VIBRATIONSはつながりを大事にしているイベントのようで、アーティストの方々を見ても、お客さんを見ても、こういう場所が存在しているということ自体を楽しんでいるように思えてとてもいいイベントだった。あっこさんの音楽とともに、音楽と音楽の間の言葉も印象に残っていて、同じ旗を振ろうとわたしは言わない、けれどそれぞれの旗を掲げてほしい、という言葉が残っている。たとえ言葉で言わなかったとしてもそのことが伝わるような、音楽の力を感じた。

みっちゃんとハルさんの靴下がピンクと緑で、ホームの向かいに座ってるときに靴下がちらと見えてかわいかった。

・2022.10.20

柏井さん、横田さん、ゆめさんと夜ごはん。新しい会社を始めたばかりの柏井さんがすごく眩しく見える瞬間があって、何かやりたいことをやろうとしている人しか放たない煌めきってあるよなあと思う。わたしたちも、She isを始めるとききっとそういう眩しさがあったのかもしれないな。me and youも新しいことではあるけれど、どちらかというと「新しい」よりも「続いている」「続けていく」の方に意識が向いているから、眩しさとは違うのかもしれない。二人がわたしたちのことをバンドとして表現してくれたの、面白かった。わたしはリードギターらしい。

・2022.10.19

こないだ土曜に働いた分休もうと思い、午前中を休みに。朝は英会話に出かけた。話の流れで、トランプの話、そこからキャンセルカルチャーの話になって、自分の意見を言いたいのにうまく言葉にできず、それが考えとしてまとまっていないからなのか、語彙力が足りていないからなのかわからなくなったけれど、多分どっちもなんだと思う。ちょうど『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』を読もうとしていたところだったから、ますます読みたくなった。

この間バーに行ったときにTelevisionの話になって、中高生の時に一時期やってたブログの名前を「see no evil」にしていたのに(恥ずかしい)最近全然聴いていなかったなあと思って聴いていたら、やっぱり涙が出るほどすごくかっこいいし、再生前から頭の中でギターのリフが再現できて、やっぱりたくさん聴いていた曲ってそうなるんだなあって思った。わたしの頭の中には何曲くらいそういう曲が入ってるんだろう。

・2022.10.18

打ち合わせと収録と。とにかく小さいことでイライラしてしまって、人格が変わってしまったような感じがするけれど、多分生理が来るんだと思う。生理が始まる7〜10日前くらいからいつも感情がおかしくて、生理中は感情はましだけれど体調がそんなによくないから、冷静に計算すると生活の二分の一がよくない状態って思うと本気で悲しくなるから計算しないでおく。

・2022.10.17

9月に買った「弱さ」の哲学特集の『群像』を少しずつ読み進めている、頭から。文芸誌、いつもなかなか読み切れないのだけれど、気になったときにちょこちょこ読むように置いておきたい。上田岳弘さんの『多島獣の話』続きが気になる。

今日は朝、窓の外から「ママはミーアキャットが〜〜」と聞こえて、駅から帰る時にも「ミーアキャットは別に猫じゃないんですけど〜〜」と聞こえて、ちょっと怖くなった。こういうよくわからない偶然が重なると、ミーアキャットにわたしは何かしてしまったのか?という気持ちになる。

夜、寝っ転がりながら『七年目の浮気』を観た。

・2022.10.16

昨日飲みすぎてしまったからか何もできなかった。二日酔いの日ってなんでこうなってしまうんだろう。絶望的な気持ちで目覚めた。昨日は帰りながらかなり悲観的なことを口走っていたらしいけれど、全然覚えていない。

たまたま目にした「産み控え」という言葉の、残酷さ。クーポンという手法もそうだけれど、この名前に宿る残酷さってなんなんだろう。

夕方、アイコと晃生と新大久保へ。今度韓国旅行に行こうという話をしていて、その打ち合わせも兼ねて。韓国食材をたくさん買えてうれしい。大学一年の時にフランス語のクラスが一緒だっためぐとも15年ぶりくらいに会って懐かしかった。韓国人の友達に教えてもらったという、チャミスルの瓶の蓋の裏側に書いてある数字を当てるゲームをしたりした。前にイギリスに行ったときにイギリス人の友達にビールを使ったゲームを教えてもらったことを思い出した。日本ってそういうゲームあったっけなあ。

・2022.10.15

取材。駒沢公園はワンコフェスをやっていたので犬が大量にいた。花壇のまわりに並ぶプードルたち、もうちょっと寄って!と写真を撮る風景に気持ちが和む。ひさびさに駒沢にきたので、ピキヌーでカレーを食べた。ライスにナンプラーをかけて食べるのがおいしくて家でもやりたい。

電車で用賀へ行って、そのあと家まで歩いて帰った。涼しくなってきたと思って長袖ででかけたけれどあたたかい陽気で、40分くらい歩いていたら汗がにじんだ。イヤフォンもせずに、ただ何も考えずに歩く。乗り物に乗って移動するのは早いけれど、隙間も余白も生まれない。そうした時間がとれるような日々を送りたい、来年はなるべく。

夜ごはんを食べに近場のお店でごはんを食べた。酔った勢いで晃生に「わたしは何を人生のテーマにしていると思う?」という雑な質問をしたら、まじめに答えてくれた。ものごとの表だけでなく、裏側を覗こうと、めくろうとするところがあるよね、といったことを言われて、たしかにそういった面はあるかもしれないと思った。また誰かに聞いてみたい。店を出て、この間行ったバーにレコードを忘れたから、と一杯だけ飲もうと立ち寄ったら、きづいたら4,5杯ジントニックを飲んでいてべろべろに酔っ払ってしまった。政治の話や女性の扱われ方について、もはや何を話したのか覚えていないしどうやって帰ったかも覚えていなかったけれど、携帯のメモを見る限りそういうことを話したんだと思う。いい時間だった。

・2022.10.14

近頃しらたきばかり食べている。しらたきでつくる豆乳担々麺がかんたんでおいしい。気にいるとそればかり食べてしまう。集中して仕事ができて、身体が整っている感じ。とてもいいこと。

夜、パルコのシネクイントでM.I.A.の映画を観た。M.I.A.は大学生の頃にエレクトロにはまっていてKITSUNEのコンピを聴き漁っていてそれで知ったのをよく覚えている。けれど、彼女の背景については全然知らなかった。なぜ知ろうとしなかったんだろう。音楽でこんなにも伝えようとしていたのに、と自分自身に少し歯がゆい気持ちが湧いた。

印象に残っているのは、自分の中で譲れないもの、人生のなかでやっていくべきことを見つけている、彼女の表情だ。憧れのマドンナの舞台に出たけれど、いい顔をするのではなく、譲れないからこそステージ上で中指を立ててしまう彼女の「そうせざるを得ない」というところも。難民問題、マスメディア、女性の人権。いろんなことを考えた映画だったけれど、何より音楽が持つ力を信じたくなる映画だった。肌蹴る光線による上映で、きみちゃんが「見えていないものを考える」というテーマでこの映画を選んだ、というのがすてきだなと感じた。好きな女の子たちも何人もきていて、テンションがあがった。飲み行こうぜという話もあがったけれど、次の日の取材に備えておとなしく帰宅。えらい。

・2022.10.13

あすけんで記録しはじめて体重が2kg減っていて、やればできるじゃないかとやたらと自信が湧いてくる。昨日までできない感覚に襲われていたはずなのに。数字がすべてではないと思っているはずだけれど、数値によるわかりやすい変化が自分を保たせてくれるときがたしかにあって、今回に関してはそれだった。歩数を稼ぎたいという目的のもとなるべく歩くようにしていたことで、考えが整理されたり身体が動いているという気持ちよさが手に入ったし、カロリーを減らしたいという目的のもとやっていた運動は、普段使わない筋肉が動くことでリラックスできたし。しばらく続けてみる。

朝は取材があって、今まで話したことがない話ができたのがよかった。昼、道玄坂にあるタイ料理屋さんでゆめさんとごはん。あすけんの話などをする。わたしは記録癖のようなものがあるから合ってたけれど、果たして他の人に勧められるものなのかはよくわからない。お会計をするときに、店員のお姉さんが「お久しぶりですね」と声をかけてくれる。覚えててくれたんだ!といううれしさ。また来よう。

しばらくオンラインで定例会をやっていたけれど、最近はなるべく会って行うようにしていて、それがすごくいい気がする。何でも話せる気分になって、なぜか口をついて「私って何が得意だと思う?」とゆめさんに聞いてみた。唐突すぎだよと思ったけれど、なんか聞いてみたいと思ったのだ。もらった回答は、わたしがやっていけたらいいけれど自信がなかったことと重なっていて、ああやっぱりがんばろうという気持ちになれた。それくらい自分で見つけて人がなんと思おうと自分でしっかりと掴んでいなさい、という見方もあると思うけれど、自分で考えるとわりとボヤッとしてしまうので、信頼している誰かに聞くことで自分が無意識にしている行動や考え方を教えてくれるんじゃないかなと思う。他の人にも聞いてみたいな、と思う。

・2022.10.12

三軒茶屋のtwililightで打ち合わせ。9月から『わたしとあなた 小さな光のための対話集』が書店に並び始めて、twililightさんでもお取り扱いをしてくださっている。できたときからずっと行ってみたかったけど行きそびれていて、この打ち合わせで初めて訪れることになった。階段をのぼり、「ニコラ」を通り過ぎ、さらに階段をのぼってドアを開けると、店主の熊谷さんの人柄が滲んでいるようなやさしい空間が広がっていた。そして目に飛び込んできた『わたしとあなた』。この場所をつくりあげる一部になっていてすごくうれしい…。取り扱っていただいている本屋さんに一つひとつ足を運べたらな。

屋上にあがらせていただき、茶沢通りを眺める。twililightのすぐそばにはこれまた大好きなTROPEというお店がある。わたしが暮らしていたときとそこまで大きく変わらない風景に安心する。柴田元幸さんが訳し、カナイフユキさんが絵を描かれている、レベッカ・ブラウンの『ゼペット』と、江國香織さんの短編集『ぬるい眠り』を買った。最近、麦島汐美さんの『アケルマン・ストーリーズ』を読んでいて、そのなかの日記で江國香織さんの小説が何度か出てきたから、ひさしぶりに読みたいと思っていたのだ。誰かの日記が次に手に取るものを連れてきてくれることが、最近すごく多い。

階段を降りて、茶沢通りに出る。ゆめさんと別れ、ごはんを食べに向かった。三軒茶屋はわたしが生まれ育った街で、4年前くらいまでここで暮らしていた。コロナ後も何回か訪れていたけれど、一人で来たのはひさしぶりで、ああそうだ、親とよく食べに行っていたイタリアンに行こう、と思い立った。お酒が好きな親とはよくごはんに行っていたけれど、コロナになってから外食を控えるようになって、この店にもまったく行けてなかったのだ。

目的のイタリアンは満席で、あいたら電話します、と言われる。その間にトイレに行こうと思って、キャロットタワーの2階に向かった。当たり前だけれどトイレは全然変わってなくって、手を洗おうと鏡に向かったら、ふと絶望してトイレに駆け込んだときの10代のわたしが現れて、どきっとした。

結局電話はかかってこなくて、チェーン店のイタリアンに入ってパスタを食べて、次の予定まで時間があったからスタバの2階で仕事をすることにした。大学に入ってすぐ、ここのバイトの面接を受けて落ちたなあ。そういえばわたしは郵便局の年賀状バイトさえも落ちているのである。おしゃれなお店に一人で入るのが苦手だから、スタバはちょうどいい時間を潰すための場所で、学生時代によく訪れていた。2階の窓から見える景色に、制服を着たわたしが通り過ぎたように思えた。彼女はきっと、246沿いにある今はなきレコード屋の「フラップノーツ」に向かう。そして偶然ジャケ買いしたビキニ・キルの「Reject All American」をきっかけに、ライオット・ガールのことを知るのだ。多分。

変わらない風景に安心していたはずなのに、気づくときれいな思い出よりも消してしまいたいような思い出ばかりが浮かび上がってきて、胸が苦しくなってしまった。三軒茶屋にはあまりにも多くの思い出がありすぎる。途切れずにそこで暮らしていたときにはまったく気づかなかったけれど、この場所を離れたからそう思うのだろうか。

動揺していたからか、次に向かうべきなのは目黒駅だったのに、18歳のときにスタバの面接に落ちた代わりに働けることになったフレッシュネスバーガーがある中目黒駅についてしまった。何をやってるんだろうな。

・2022.10.11

晴れてすごく嬉しい。やっぱ晴れじゃなきゃだめだ。曇りや雨の日が続いていたからこそ、晴れの日の嬉しさを実感できるということもたしかにあるのだけれど。

六本木に収録に向かう。行きの電車で見た空があまりにきれいだった。山崎まどかさんにゲストとしてお越しいただき、ある往年の映画について、そして近日公開される映画についてお話を伺った。まどかさんの話を聴いたり、本を読んだりすることで、自分が何を大切にしていきたいかをいつも再確認させてもらっている。

学生のとき、社会人になってからも、自分があまり本数を観ていないからというので「それも知らないのに」とあしらわれる経験があって、それがきっかけで映画が好きだと言えない日々が続いていた。けれどここ2,3年仲良くしている映画が好きな人たちは、自分が人生の中で大切にしたいことを忘れずに映画を観ていて、映画を通じて自分が大切にしたいことについて考えているところがあって、そういう人と映画の話をするのはすごく楽しい。意見が違っていたとしても。まどかさんもテーマを持って映画を観ていくことのお話をされていて、わたしもそうありたいし、そう考えるとわくわくする気持ちが湧いてくるのだった。

・2022.10.10

最悪な夢を見た。定期的に見るから日記にも度々登場してるかもしれないけれど、バンドでステージに立ってギターを弾けない夢。毎回、みんなに失望されてしまう。今日見た夢では、もう一人のギターの子のとてもうまい演奏とともに彼女の手元に映像が寄って、ノートが見えるのだった。ノートには切り貼りしたギターコードとメモが詳細に記されていて、努力していたことがわかる。わたしは何も努力していなかったのだ。その後場面が変わって、エスカレーターに乗っていたわたしが手でしっかりと掴んでいた何かが、エスカレーターの強い慣性の力に引っ張られて持ちきれなくなり、どこかへ勢いよく飛んでいってしまう。全体的に「できない」という感じが強い夢で絶望する。幼少期からのこの強い「できない」の感覚に襲われていて、いつか解き放たれるのかな?

朝、読書。読みかけのデヴィッド・グレーバーとマーク・フィッシャーの本を読みたいと思って、少し前の方に取り出した。ここ2か月くらいで読み終わった本をNotionにメモする。読んだ本のことをすぐ忘れてしまうので、忘れないようにすべてメモしている。メモしない間はまだ読み終わっていない感覚なのだ。できれば、本の感想について話すときはこのメモを見ながら話したい。記録に対するこの強い執着はなんなんだろう。

昼ごはん、中華料理を食べに。帰り道に近所の神社に行って、お参りをして出ようとしたら「がんばってね!」と声をかけられた。知らない人だったけれど、エールを送られるのは今のわたしにはうれしく感じて「ありがとうございます!」と答える。状況によってはがんばれ、が重荷に感じることはあるかもしれないけれど。わたしは特にどこの宗派というわけではないけれど、ご都合主義的に神様を信じていて、こうしてお参りをすることで神様に許してもらえるんじゃないかと思っているところがある。

夜は『サポート・ザ・ガールズ』のトーク。話すことについてもっと精進しなくては、と反省しながらも楽しい時間だった。ケア、寄り添うこと、どれだけコミットするかの難しさについてはもっと考えたいし、学びたい。終わった後me and you clubのメンバーの人たちが集っていてとても心強かった。

・2002.10.09

日記の会。自意識と自我の違い、エモい日記の話などが印象に残っている。書き始めて自分が変化したことについて、など。帰りに月日さんに立ち寄って、懐中日記という小さな日記を買った。書く欄は罫線がなくスクエア型で、何を書こうかな?描くのにも向いていそうだ。月日さんの前あたりにりんご屋さんがいたので、赤いりんごと青いりんごを一つずつ買った。

急に化粧品がほしい、と思い立って渋谷に向かった。スクランブルスクエアの化粧品コーナーでいくつか見て回る。コロナ以降まったくコスメカウンターに行っていなかったし、オンラインで化粧品を買うこともだいぶ増えたけれど、もともとは百貨店の化粧品コーナーがだいすきなのだった。OSAJIで気になってた香水とシャドウを買って、アディクションでリップを買った。セルヴォークにも立ち寄って、試してから買おうかなと思ってフルでメイクをしてもらった。普段自分ではこんなに下瞼にメイクしないけれど、だいぶ雰囲気が変わる。眉毛の形を褒めてもらえてうれしい。眉毛は前髪でどうせ見えないし、と適当にしてたけれど、メイクしてもらうとやっぱり違う。自分の手で施す仕事をしている方への尊い気持ちが湧いて、やさしい気持ちになった。行きは渋谷の雑踏に消えちゃいそうな気持ちだったけれど、下瞼のキラキラのアイラインが自分をしっかりと守ってくれてる感じがする。午後をほかのことに使おうかなと思っていたけれど、今日はこれが正解だった気がする。

・2022.10.08

小田急線に乗って適当に降りてみる遊びをたまにしている。今日は鶴川駅で降りてみた。駅を出て適当に歩き出す。一駅変わるだけで景色もだいぶ変わるし、その街で過ごす人たちも違って見える。その街を構成する要素、例えば建造物や自然のバランス、坂道の多さ、空の抜け具合が異なるから違うというのもあるし、その場所を選んで暮らしている人たちが無意識に生み出している場所の空気感もあるから、なんとなく合う街と合わない街、どちらでもない街があるなあと思う。

武相荘という白洲次郎と白州正子が暮らしていた家があるというので、行ってみた。白洲次郎のようなスーツでキメた人が何人か目の前を歩いている。本気のファンじゃないと入れないのではないかと思い一瞬不安になった。農業をしながら暮らしていたという邸宅は美しく、かつ完璧に整った美しさではなく、白州正子は「無駄が多い」と言いそこに美しさを見出していたそう。今すぐじゃなくてもいつか自分の自由自在に変えることができる一軒家に住んでみたいかもしれない、けれど一箇所に根づさずにあちこちを点々としてもいいかもしれない、わたしはまだ決めきれないなあと考えた。

・2022.10.07

粛々と調べて記録していくことが好きだなあ、ということを最近思い出していた。仕事柄、腰を据えてずっと同じことを調べ研究し続けることは少ないけれど、自分が好きで得意だと思うことにもっと立ち返らなくてはなあと感じる。学生のとき友達に「検索ちゃん」と呼ばれたことも急に思い出した。老後は検索が苦手な人のために代理で検索をして調べあげるサービスとかしようかな。需要あるのか。

夜、Twitterの裏アカで美容アカウントのことをずっと見ていたら時間がだいぶ経ってしまっていた。お尻と脚がとにかく痩せたくて、ストレッチ動画を漁る。自分のなりたい姿になるために努力している人がこんなにたくさんいるのか。わたしは自分のありのままの姿をどうがんばっても愛せず、学生時代に悩みすぎて醜形恐怖症になり病院に通っていたことがある。そういうこともあるからか、ありのままを愛そう、という直球のメッセージは自分にとっては眩しすぎて、厳しく感じられることが多かった。だからなりたい姿になりたい、変わりたいと思う人たちの気持ちが痛いほどわかる。けどその「こう変わりたい」という姿が社会によって押し付けられていないか、メディアによって醸成されてないか、ということはルッキズムについて知っていく中で考えるようになった。ありのままの自分の姿を愛せなくさせている社会の方に目を向けるべきだし、その中で努力して変わりたいと思うことはその人なりの生き延び方なのだから、絶対に奪ってはいけないと思う。ぼんやりそんなことを考えていた。

KYOTO EXPERIMENTもあいち2022も取りそびれて自分の計画性のなさにうんざりする。百瀬文さんの見たかった。

・2022.10.06

寒くて冬だった。昨日からあすけんを始めたので、食べるごはんはあすけんの未来先生の言いなりになっている。明らかに食べる量が減ったから、おなかが空いて次のごはんが待ち遠しくて仕方がない。ごはんを出すときに回転しながら求めてくる犬の気持ちがわかる。

夜なんとなく見始めたドラマ「モー/Moo」が面白くて続きを見ようかなと思った。アメリカで暮らすパレスチナ難民のコメディアンであるモー・アマーさんの自叙伝的なドラマで、労働許可証がないからクビになったり、宗派の異なる彼女が家族に受け入れられなかったり、度重なる苦難にぶつかりながらもふてくされつつ乗り越えていく、コミカルなタッチの作品。日本で生まれた日本人で、日本語を話すわたしが、いかに自由に選択できているか、ということに気づいたのは恥ずかしながらここ数年のことだ。やりたい仕事にどんなにつきたくてもつけない人や、逮捕に怯えながら生きている人はこの国にも存在している。あとでA24が手がけていることを知った。

・2022.10.05

「言ってやった」や「論破」とバズの虚しい関係性。インターネットってこんな場所だっけ? アンダーグラウンドの場所をつくってきた人物が、TwitterやYouTube、マスメディアで「いいね」を稼いでいる姿はかなり滑稽に思えるんだけどどうなんだろう。メディアもいけないよね。どんな意見を持っててもいいけれど、大衆に向けて発言力を持ってしまった人が冷笑的な視点で吹聴するのは、子供も含めて「そういう考え方がいいんだ」というムードの情勢に繋がるので素直にやめていただきたい。

レベッカ・ソルニットの「無邪気な冷笑家」を思い出した。Naive Cynicism。それって意味あるの?という価値観は、じわじわと生きている意味を奪っていくように思える。意味がある、とされているものは数にできるものに収斂されていく。フォロワー数、視聴数、売上、年収、日数。そこにいる人が抱える、複雑でカウントなんてできないもののことは、人々は手放していくんだろうか。それがまかり通った世界であれば、それこそ人間として生きている意味がなくなるようにわたしには感じられる。

秋はレイチェル・ダッドが聴きたくなる。秋のプレイリスト作ろうかな。

・2022.10.04

ニュース、北朝鮮からミサイルが飛んだらしい。日本海じゃなくて太平洋に。ミサイルが飛んでいても日常は当たり前に存在しているし、未だ軍事侵攻が続いているウクライナだって日常を過ごしている姿がニュースで目に入ってくる。どのような状況の国にも日常は存在している。日本で暮らしていると感じるぼんやりと薄暗いムードが、世界中がみんな平等に影響を受けているコロナによるものだと思っていたけれど、それだけではないということがはっきりと感じられるようになってきた。どうにかやり過ごすことしか本当にできないのだろうか。

とはいえミサイルが飛んでいても何もできることはないので、砧公園に散歩に出かけた。この場所に住むことを決めたのはこの公園があるからだ。軍事訓練場だったらしい、という過去を知るとまた薄暗い気持ちがよぎるけれど、この場所を歩いていると平穏な幸福感が訪れるし、東京に住んでいるのを忘れる。やっぱりこの間みたダミアン・マニヴェルの映画にでてきた公園に似てる。枯葉を踏みしめながら小道を通り、小川の横を歩きながら、丘を登っていく。ちょっとした山登りみたい。銀杏がばしばし落ちてくる。拾ったことないけど食べられるのかな。

人に撮られた自分の写真を見てだいぶ落ち込む。日々の生活のたるみが見た目に出ている気がしているし、最近身体が重く感じていたこともあって、ヘルシーになりたいと思ってあすけんを始めた。記録が大好きなのでレコーディングダイエットは向いていそう。

・2022.10.03

昨日の夜は4時間くらいぶっ通しで無料配信中だった『明日、私は誰かのカノジョ』を読んでいたので頭の中がそれでいっぱいに。前に数話読んだことがあったのだけれどこんなに進んでいるのは知らなかった。感想はまだまとまってないけどすごい漫画。一人ひとりの登場人物の生きてる感が。本当にこの世界のどこかにそのままの彼女たちが存在しているような気がする。ぼろぼろになりながらも譲れないものを大切にしながら自分のやり方で生き抜いている人が好きだ。だけれどこの社会の欲望と金の動きにどうしても虚しく辛くなってしまう。家から出なくても課金ができてしまう世界、欲望のループはどこに向かうんだろう。とにかくこの漫画について話したいという気持ち…

終日撮影。プロップ周りをふんだんに盛り込んだ撮影はあまりやることがないから楽しい。最高のメンバー。

夜、明日カノの影響もあったからかTwitterで美容アカや整形アカ、そこからさらにトー横キッズのアカウントを見ていたらだいぶ時間が経っていた。

・2022.10.02

原宿に向かう電車の中、いつも日記をメモしているday oneというアプリを開いたら、11年前の同じ日の日記がサジェストされたので見てみた。2011年10月2日のわたしは23歳で新卒一年目だった。思わずその年の日記を読みふける。毎日終電まで働いていて、楽しいことはあるけど同じことの繰り返し、ブックオフでポールオースターの本を買っていて、「誰も知らない」を観ていた。新卒1年目が会社の忘年会の催しものをやらなくてはいけなくて、そこでチームを代表してなぜか自分が謝っていたけれど平気な顔して謝るのは全然苦じゃない、とか。当時付き合っていた大学のゼミが一緒だった人のことが好きだった理由について、「この世界を生きづらいと思っている同士だから。ある程度うまくできて他人にいい顔もできて、周りからちょっと変わったやつだと思われてるけど、別に何も特別なものを持っているわけではない軋轢に苦しんでいるから」と書いてあって、こうやってやたらと客観的に観察して書いているところがわたしらしくて面白い、根本のところはやはり何も変わってないんだなあと思った。

マリカと表参道から恵比寿にかけて展示を巡った。ゆっくり散歩していろいろ話しながら。She isのときにインターンとしてお世話になっていた新家さんの展示、tanaka daisukeのTシャツのチャームをオリジナルで「She is」にしててびっくりアンドうれしい。YUKI SHIMANEの展示会、最後はナディフで遠藤文香さんの展示。色に魅せられた。北海道に行きたい。

近所の祭り。楽しみにしていたけれど出店とかは何もなく、ステージで子供のダンスと大人のバンド演奏。聞いたことがない曲だったから後で検索したらセカオワだった。目の前で見てたお母さんのTシャツのバックプリントがアレック・ソスだった。

・2022.10.01

行ってみたかった近くの英会話教室に行ってみた。しばらくずっとオンライン英会話をやっていたけれど、いい先生と巡り会うことや予約をすることの難しさを感じて、もうちょっと腰を据えてやりたいと思っていたこともあり、通いで近場でいいところはないかなと思ってGoogle Mapで検索していたらたまたま見つけたところ。先生がアートや音楽が好きで写真が趣味の先生だったからか、話したいことがどんどん出てきて嬉しかった。オンラインで話すのは日本語でさえ苦手なのだから、英語では言葉が出てこなくなるの当たり前だよね。でもやっぱり細かなニュアンスを表現することはできないし、少しでもナーバスになると何も話せなくなる。学生時代からこんなにも語学を勉強し続けてるのに、いつかこのフラストレーションから抜け出すことはできるのだろうか。日本語というものに縛られているように思えて、すごく不自由さを感じる。

狛江の駅前で地べた音楽祭という音楽イベントをやっていた。地べたに座る人たちの合間をぬいながら、石を転がしてピンク色の線をひいている人がいて、「何してるんですか?」と聞いたら「線を引いています」と言われた。たしかにそうなのだ、線をひいている。この間映画を観ていて考えていた、犬の散歩をしているときだけ許される行動が存在することについて話していた。

帰り道、乗り換えで使った渋谷。すれ違うときによけずに真っ直ぐ歩き続ける人の姿がゲームのアバターみたいで、虚しくなった。