2025年2月の記録

2月、手帳のはじめに今月のテーマとして「つかれる前に公園行く、人間らしい生活…!」と書いていた。それくらい1月は疲れ果てていたようだった。2月はイベント続きで体力が持ちこたえられるか少し不安だったから、なんとかやっていけるようにすることに注力していた気がする。

夜、寝る前にスクリーンを見るのをやめようやめよう…と思いながらも、そのためには他のやることを考えるしかない。そこで向いていないと思いしばらく触ってもいなかったかぎ針を持ってみたら編み物が思いのほかたのしくって、ニット帽が完成した。形はかわいいんだけどちょっとちくちくするんだよね、コットンの糸で春に向けてつくろうかなあ。

イベントの後の飲み会で「本のなかで覚えているシーンをあげよう」みたいな話をしていたときに、なんとなくぱっと思いついたのがレイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』だった。「ダンスしないか?」がたまらなく好きで、なぜかそのシーンが頭の片隅にずっとある。わたしの頭の中の引き出しには、なぜかゴースト・ワールドでシーモアがガレージセールしてるシーンがなぜか一緒に入っている。

2月はイベントがたくさんあった。gururiさんで行った展示とトーク、荻窪でのライブイベント、新橋で本や散歩のイベント。そこに参加してくださった方との交わした言葉によって忙しい日々のなかで自分を保てていたような気がする。

ここに載せる写真はないのだけれど、Astrid Sonneと石橋英子さんのライブをWWWで観たこと、友人と子供といっしょに寒いのにテラス席でメキシコ料理を食べて一人でタル・ヴェーラを観たこと、父・兄・夫と4人で銀座で飲んだ時間もあった。父や兄と酒を飲むようになったのはここ1,2年のことで、関係性は固定しているものではなく変わっていくものだということを私は家族から一番受け取っている。

座間市役所で、アートプロジェクト『ある日』の展示。休日の市役所に初めて入る。

ここから見える景色が素晴らしかった。すぐそばにあるベンチに座って、支援する人・支援される人による日記をずっと読んでいた。座間市の取り組みが気になり、本を購入。展示のことはPodcast「アイスクリームが溶けても」で話しました。

📖 books
・『能力で人を分けなくなる日:いのちと価値のあいだ』(著:最首悟)
・『佐藤真 映画の仕事』
・『ともだちは海のにおい』(著:工藤直子)
・『誰も断らない こちら神奈川県座間市生活援護課(著:篠原匡)

🎬️ movies
・『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(著:タル・ベーラ)

🌟exhibition
・座間市役所 アートプロジェクト『ある日』

🛒 good buy
・下北沢のFILMで買ったアイスランド製のニット









2025年1月の記録

1月はなんだかとても忙しくて、休み明けから調子のアップダウンが激しかった。年始はゆっくりとした時間が流れていて、撮った写真を家のプリンターで印刷して、手づくりで小さなzineを作ったりした。

わりと行き慣れている町田駅の横にある相模大野の駅ははじめて降りた。いい散歩ができた日。

心が弱っていた日に、数時間だけ休みをとって公園に出かけた。

1月、全然写真がない。写真を撮っているのは心が休まってるときなんだな、と気づいた。

今年は読み終わった本や観た展示、映画、ライブ、買ってよかったもののメモなども書いていきたい。できれば感想なども書きたいけれどまずはメモだけでも…

📖 books
・『良心の領界』スーザン・ソンタグ(付箋だらけになった。感想はどこかで…)
・『動物農場』ジョージ・オーウェル(いまさらかもしれないけれどオーウェルブーム)
・『シカゴ育ち』スチュアート・ダイベック (ひさしぶりの再読!再読を重ねていきたい)
・『メランコリーで生きていく』アラン・ド・ボトン

🌟exhibition
・三菱一号館美術館「再開館記念『不在』―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」
・町田市立国際版画美術館「『月映』とその時代 ―1910年代日本の創作版画」
・世田谷美術館「東急 暮らしと街の文化――100年の時を拓く」

🛒 good buy
・RMKのクリームファンデ(めっちゃつや出る)
・セルフジェルネイルキット(わたしでもきれいにできた…)

2025年12月の記録

日記文通、二冊目ができました。

名古屋で、TOUTEN BOOKSさんのイベントへ。

古着のシャツに書いてあった「SHIRTS FOR LITTLE GIRLS WITH BIG IDEAS」、ボーダーのものばかり欲しくなるがゆえに色違いで購入したマフラー。

逗子にいった日。この日からなぜか遅咲きでスプラトゥーンにはまる。

つくばのメヒコでフラミンゴと食事して、クラシックコンサートへ。

友人たちとスナックで歌った日。70〜80年代くらいの空気が漂う店内、茶色の煉瓦の感じがおばあちゃんの家を思い出した。ほぼ毎日いるというマスターのおじちゃんがブルーハーツの曲に合わせて踊っていたのを思い出す。

年末、大阪に行った日。あゆちゃん、あゆママ、本当にありがとう。

2025年11月の記録

近頃ボーダーばっかり手に取っている。
これはリトアニアから届いたとっても細いマフラー。11月に買ったもので一番のお気に入り。

ある日の公園に、訪れた人がそれぞれに枝を差し込んでみんなでつくる創造物があってすごくよかった。

休日、日帰りで丹沢周辺に訪れるのがたのしい。伊勢原駅からバスで訪れることができる大山は、神社に向かう旧参道がお土産屋さんがあったり昔ながらの風景が残っていて、どこか遠くの観光地に来たような充実感がある。

「江戸時代より参拝者たちがとうふを手のひらに乗せすすりながらこの坂を登った」ってどういうことだろうか…

ケーブルカーは列が混んでいて諦め、途中まで登ったけれどそこからでも紅葉とともに気持ちがいい景色をたのしむことができた。また違う季節に行きたい。

伊勢原の駅前にあるアサヒ ショッピングセンターは雑多に並ぶあらゆるジャンルのものたちがたいへん見応えがあり、大山に行った帰り道のぜひ訪れたい場所でした。

2024年10月の記録

月のまんなかくらいに、北海道へ。それ以外の日々はあんまり写真を撮っていなかった。

雨の日、SOLSO FARMで出会ったホワイトゴーストを家に連れて帰ることに。練乳がかかってるみたいでおいしそう。大きな観葉植物を持って帰るためにほとんどの人が車で来ていたけれど、我々は公共交通機関で来たので郵送した。車もないし免許もない(正しくはわたしは免許はあるけど、不注意が過ぎるので乗れない)ので、どんな場所でも果敢に歩く。

その後、溝の口が近そうだということで、マップを見ずにぐんぐん歩いていった道がすごくよかった。小さな階段をどんどん降りていくその道の左右は、昔ながらの民家や自由に生えている木々に囲まれていて、遠くにビルの明かりが見える。昔からある場所の遠景にビルがある風景にいつも何か胸が締め付けられるようなよさを感じる。

階段を降りきったら祭の装いの人が何人もいて、ちょうど地元の祭が終わるところだった。何か重そうな部品を運んでいる人に「溝の口への道、こっちで合ってますか?」と聞いたら「そっちは山に行っちゃうよ。このへんの人?」と聞かれ、「いえ、全然このへんにあかるくなくて…」と言ったら丁寧に道順を教えてくれる。マップとか、電子機器によって事前にわかってしまえばこうした交流は生まれない。わからないことがあるから、かかわりが生まれる。そういえば山ってなんなんだったんだろう。

溝の口の立ち飲みへ。ちょうど後ろにいた二人の女性と話して、そのあとその向こう側にいた大学出たばかりの三人組の女の子グループと話した。酔っ払いすぎてタクシーで帰った。

10月にかけてやっていた、ownsというオフィスブランドのお仕事。わたしは展示コンテンツの企画や冊子の制作などを担当したけれど、いいチームでとても刺激を受けた。いろんなチームで、いろんな形態の仕事をどんどんやっていきたい。

一見つながらなさそうなものをつないでいくことをやっていきたいのだなあと思う、さりげなく、あるいは大胆にまぜこむことをやっていきたい。

渋谷パルコのお仕事で、渋谷日記を書くことになったのでひさびさ渋谷へ。「渋谷はハロウィーンをお休みします」「渋谷に路上でお酒を飲む文化はありません」の垂れ幕があちこちに張り巡らされていた。渋谷はぐちゃぐちゃの感情を思い出させてくれる場所。

そのほかあったこと

・今月は、晃生とお父さんが飲むというので、わたしも仕事帰りに合流したことがあった。晃生と父の背丈が一緒で、いくつも服をもらったようでほくほくしていた。母がいないところで父と飲んだのは初めてだった。父親然としている父から離れて、一人の人間として話したような感覚があって、素直にうれしかった。他にもいろんなことを考えたけれど、書こうとすると少し立ち止まる。わたしはこうやって自分の生活や考えを惜しげもなく外に出しているけれど、自分の両親はそういうことをしないし、わたしに対してもそんなにしてほしいと思っていないような、などが頭を霞むと、なかなか言葉を選ぶ。でも、そういったいまは書けないこと、話せないことがあるのも自然なことだと思う。

・「脳内で犬が懐くイメージをすると、犬が吠えてくれるというツイートを見たよ」と言われて、必死にイメージをこしらえたけど、近所の犬は吠えてくれなかった。

・佐藤真監督のエドワード・サイードOUT OF PLACEを見る。自分が暮らしてきた場所が奪われ、他の人たちのものになること。名前が失われていくこと。なかったことになっていくこと。その喪失に胸が砕けそうだった。書くことも剣である。矛盾を抱えながら、生きていくこと。

・懐かしい人に会ったり、知らない人と会ったり、大切な人はやっぱり大切だと思い返したり、信じていいのかどうなのかわからない人とのやり取りがあったりした一ヶ月だった。混沌としている感じ。同時に、ずっととどまっていたものがまた流れ出しているような感覚。きれいなものばかり選び取りたいときもあるけれど、こういうほうがいい。

2024年9月の記録

9月はばたばたしていて、鳥取旅行に行った以外はあんまり出かけていなかったなあ。

荒川河川敷にて、関東大震災時に虐殺された朝鮮人の追悼式へ。ペンニョンのワークショップでこの街を歩き、そこで起こっていたのだ、ということを実感した。この日は仕事でばたばたしていたけれど、この追悼式は絶対に行かなければ、と身体が自然と動いて、気づくとこの場所にたどり着いていた。参加して本当によかったと思う。最後に見た朝鮮で古くから伝わる伝統芸能であるプンムルのリズムが、しばらく頭でずっと鳴り続けていた。

9月は土日もずっと仕事をしていたから、なかなか頭が休まらなかった。気分を変えようと砧公園で仕事をした日、世田谷美術館で『須田国太郎の芸術』。学生時代から20代くらいまで友人と二人でずっと冊子をつくり続けていたエピソードを年表で見て、zineじゃん、と思った。写真は撮れなかったけれど二階では花森安治の展示もしていて、戦争への抵抗は日常を大事にすることであるというメッセージを改めて受け取る。

虫に刺されまくりながら、会社のいろいろを考えていた日。

仕事のリサーチで永田町、平河町、麹町のあたりを歩く。いつもは打ち合わせなんかで慌ただしく通る町並みも、余裕をもってじっくりと眺めるとたのしい。好きな感じの古いビル、森ですかと思うような誰もいない公園、そこから高等裁判所や国会図書館、警察だらけの国会議事堂のあたりを散歩し、日比谷公園の図書館で本を読んで、帰ろうと思ったら野音から「島人ぬ宝」が聞こえてきた。旅行に行くとしばらく旅行者の目をキープできる感覚がある。

2024年8月の記録

猛暑のなか、印象的な散歩がいくつかできた。

道を歩く人に見えるように、日めくりカレンダー掲げる人のやさしさ。

中目黒から池尻大橋へ。ひさしぶりの世田谷公園。

セミの抜け殻があちこちで見える日だった。

世田谷区立平和資料館へ。閉館間近だったから駆け足で見ることになったけれど、日本が戦争を通じて受けてきた被害だけではなく、日本軍がしてきたことに関してもわかりやすく綴られ、貴重な資料がたくさんで小さいながらも見応えたっぷりの場所だった。またゆっくり来たい。公園内には被爆二世の柿の木がすくすくと育っている。ここにもまたセミの抜け殻が。

世田谷公園から渋谷方面に向けて246をひたすら歩いた。昔働いていた神泉、なつかしい。

渋谷にたどり着いたら、Bunkamuraの裏側が見えた。もう東急本店の取り壊しが終わっていたんだ。跡地は何になるのか。

別の日。祖師谷住宅のそばの道端が子どもたちの遊び場になっていた。チョークで描かれた絵、ベーゴマ。小さいころよく道端でチョークで◯を描いて、けんけんぱ、ってやってたなあ。他には何を描いていたっけ。自分が当たり前にやっていたことだけれど、いまは「懐かしい風景」として捉えられる。公園でニンテンドースイッチをやってる子どもたちを見る風景もいつか懐かしくなるのか。

うなだれたアヒル。祖師谷住宅は解体が決まっている。このあたりはケヤキや桜、ツツジなど木々が美しく、子どもたちが虫取りをしていた。横に貼ってあった、建築構想に関する説明会で出た質問や意見について読んでみたら、「9階建ての必要性を改めて説明してほしい」「緑を極力残してほしい。第1期では、既存樹木が248本のうち30本しか残らないのは少ない」と書いてある。この木々たちのうち200本以上がなくなってしまうのか。調べてみなくては。

つつじヶ丘のほうに歩いていった。神社に佇んでいる電話ボックス。一日中、京王線のあたりをうろうろした。

最後にたどり着いた、「寿司と唄 プラザ仙川」。昔からこの街にあるという、寿司が食べれてカラオケができるというすばらしいお店。

8月の終わり、多摩川でした忘れられない取材。

雨が降ったり止んだり。最近はスコールも多い。住宅展示場の赤いライトと曇り空のコントラストがなんだかよかった。