2024年10月の記録

月のまんなかくらいに、北海道へ。それ以外の日々はあんまり写真を撮っていなかった。

雨の日、SOLSO FARMで出会ったホワイトゴーストを家に連れて帰ることに。練乳がかかってるみたいでおいしそう。大きな観葉植物を持って帰るためにほとんどの人が車で来ていたけれど、我々は公共交通機関で来たので郵送した。車もないし免許もない(正しくはわたしは免許はあるけど、不注意が過ぎるので乗れない)ので、どんな場所でも果敢に歩く。

その後、溝の口が近そうだということで、マップを見ずにぐんぐん歩いていった道がすごくよかった。小さな階段をどんどん降りていくその道の左右は、昔ながらの民家や自由に生えている木々に囲まれていて、遠くにビルの明かりが見える。昔からある場所の遠景にビルがある風景にいつも何か胸が締め付けられるようなよさを感じる。

階段を降りきったら祭の装いの人が何人もいて、ちょうど地元の祭が終わるところだった。何か重そうな部品を運んでいる人に「溝の口への道、こっちで合ってますか?」と聞いたら「そっちは山に行っちゃうよ。このへんの人?」と聞かれ、「いえ、全然このへんにあかるくなくて…」と言ったら丁寧に道順を教えてくれる。マップとか、電子機器によって事前にわかってしまえばこうした交流は生まれない。わからないことがあるから、かかわりが生まれる。そういえば山ってなんなんだったんだろう。

溝の口の立ち飲みへ。ちょうど後ろにいた二人の女性と話して、そのあとその向こう側にいた大学出たばかりの三人組の女の子グループと話した。酔っ払いすぎてタクシーで帰った。

10月にかけてやっていた、ownsというオフィスブランドのお仕事。わたしは展示コンテンツの企画や冊子の制作などを担当したけれど、いいチームでとても刺激を受けた。いろんなチームで、いろんな形態の仕事をどんどんやっていきたい。

一見つながらなさそうなものをつないでいくことをやっていきたいのだなあと思う、さりげなく、あるいは大胆にまぜこむことをやっていきたい。

渋谷パルコのお仕事で、渋谷日記を書くことになったのでひさびさ渋谷へ。「渋谷はハロウィーンをお休みします」「渋谷に路上でお酒を飲む文化はありません」の垂れ幕があちこちに張り巡らされていた。渋谷はぐちゃぐちゃの感情を思い出させてくれる場所。

そのほかあったこと

・今月は、晃生とお父さんが飲むというので、わたしも仕事帰りに合流したことがあった。晃生と父の背丈が一緒で、いくつも服をもらったようでほくほくしていた。母がいないところで父と飲んだのは初めてだった。父親然としている父から離れて、一人の人間として話したような感覚があって、素直にうれしかった。他にもいろんなことを考えたけれど、書こうとすると少し立ち止まる。わたしはこうやって自分の生活や考えを惜しげもなく外に出しているけれど、自分の両親はそういうことをしないし、わたしに対してもそんなにしてほしいと思っていないような、などが頭を霞むと、なかなか言葉を選ぶ。でも、そういったいまは書けないこと、話せないことがあるのも自然なことだと思う。

・「脳内で犬が懐くイメージをすると、犬が吠えてくれるというツイートを見たよ」と言われて、必死にイメージをこしらえたけど、近所の犬は吠えてくれなかった。

・佐藤真監督のエドワード・サイードOUT OF PLACEを見る。自分が暮らしてきた場所が奪われ、他の人たちのものになること。名前が失われていくこと。なかったことになっていくこと。その喪失に胸が砕けそうだった。書くことも剣である。矛盾を抱えながら、生きていくこと。

・懐かしい人に会ったり、知らない人と会ったり、大切な人はやっぱり大切だと思い返したり、信じていいのかどうなのかわからない人とのやり取りがあったりした一ヶ月だった。混沌としている感じ。同時に、ずっととどまっていたものがまた流れ出しているような感覚。きれいなものばかり選び取りたいときもあるけれど、こういうほうがいい。

2024年9月の記録

9月はばたばたしていて、鳥取旅行に行った以外はあんまり出かけていなかったなあ。

荒川河川敷にて、関東大震災時に虐殺された朝鮮人の追悼式へ。ペンニョンのワークショップでこの街を歩き、そこで起こっていたのだ、ということを実感した。この日は仕事でばたばたしていたけれど、この追悼式は絶対に行かなければ、と身体が自然と動いて、気づくとこの場所にたどり着いていた。参加して本当によかったと思う。最後に見た朝鮮で古くから伝わる伝統芸能であるプンムルのリズムが、しばらく頭でずっと鳴り続けていた。

9月は土日もずっと仕事をしていたから、なかなか頭が休まらなかった。気分を変えようと砧公園で仕事をした日、世田谷美術館で『須田国太郎の芸術』。学生時代から20代くらいまで友人と二人でずっと冊子をつくり続けていたエピソードを年表で見て、zineじゃん、と思った。写真は撮れなかったけれど二階では花森安治の展示もしていて、戦争への抵抗は日常を大事にすることであるというメッセージを改めて受け取る。

虫に刺されまくりながら、会社のいろいろを考えていた日。

仕事のリサーチで永田町、平河町、麹町のあたりを歩く。いつもは打ち合わせなんかで慌ただしく通る町並みも、余裕をもってじっくりと眺めるとたのしい。好きな感じの古いビル、森ですかと思うような誰もいない公園、そこから高等裁判所や国会図書館、警察だらけの国会議事堂のあたりを散歩し、日比谷公園の図書館で本を読んで、帰ろうと思ったら野音から「島人ぬ宝」が聞こえてきた。旅行に行くとしばらく旅行者の目をキープできる感覚がある。

2024年8月の記録

猛暑のなか、印象的な散歩がいくつかできた。

道を歩く人に見えるように、日めくりカレンダー掲げる人のやさしさ。

中目黒から池尻大橋へ。ひさしぶりの世田谷公園。

セミの抜け殻があちこちで見える日だった。

世田谷区立平和資料館へ。閉館間近だったから駆け足で見ることになったけれど、日本が戦争を通じて受けてきた被害だけではなく、日本軍がしてきたことに関してもわかりやすく綴られ、貴重な資料がたくさんで小さいながらも見応えたっぷりの場所だった。またゆっくり来たい。公園内には被爆二世の柿の木がすくすくと育っている。ここにもまたセミの抜け殻が。

世田谷公園から渋谷方面に向けて246をひたすら歩いた。昔働いていた神泉、なつかしい。

渋谷にたどり着いたら、Bunkamuraの裏側が見えた。もう東急本店の取り壊しが終わっていたんだ。跡地は何になるのか。

別の日。祖師谷住宅のそばの道端が子どもたちの遊び場になっていた。チョークで描かれた絵、ベーゴマ。小さいころよく道端でチョークで◯を描いて、けんけんぱ、ってやってたなあ。他には何を描いていたっけ。自分が当たり前にやっていたことだけれど、いまは「懐かしい風景」として捉えられる。公園でニンテンドースイッチをやってる子どもたちを見る風景もいつか懐かしくなるのか。

うなだれたアヒル。祖師谷住宅は解体が決まっている。このあたりはケヤキや桜、ツツジなど木々が美しく、子どもたちが虫取りをしていた。横に貼ってあった、建築構想に関する説明会で出た質問や意見について読んでみたら、「9階建ての必要性を改めて説明してほしい」「緑を極力残してほしい。第1期では、既存樹木が248本のうち30本しか残らないのは少ない」と書いてある。この木々たちのうち200本以上がなくなってしまうのか。調べてみなくては。

つつじヶ丘のほうに歩いていった。神社に佇んでいる電話ボックス。一日中、京王線のあたりをうろうろした。

最後にたどり着いた、「寿司と唄 プラザ仙川」。昔からこの街にあるという、寿司が食べれてカラオケができるというすばらしいお店。

8月の終わり、多摩川でした忘れられない取材。

雨が降ったり止んだり。最近はスコールも多い。住宅展示場の赤いライトと曇り空のコントラストがなんだかよかった。

2024年7月の日記

家が近いみんなで日帰りでポーラ美術館、フィリップ・パレーノ。展示もよかったけれど、森のなかをみんなで歩いたこと、行き帰りのロマンスカーや登山鉄道で話したときのあの感じを覚えている。

門前仲町のあたりを散策。大通りに面した喫茶店がすごくよかた。政治についてなんらか語らっている二人組が横にいて、シン・ゴジラ論、属国根性、「優秀な人間による優秀な人間のためのものなんか政治じゃなくて会社でやればいい」といった言葉が聞こえてきた。二人とも微妙に意見が異なるようだったけれど、途中で相手の語りを止めることなく最後まで聞ききっている姿が、お互いを尊重している古くからの友人なのかなあと感じた。

新しく、福祉にまつわる仕事がはじまった。デイサービスの施設を見学させてもらって、その後お話を伺った。誰かと関わり合うこと、施されることで起きる変化の大きさ、自然と起きるケアの循環、尊厳を大事にして支配にならない仕組み、介護の仕事の面白さ、訪問介護のエピソード…などについてたくさん伺って、一対一の関係を丁寧に築き、誰かの生活や人生に真っ直ぐ深く関わる仕事の凄みを感じた。そしてこのことは社会の一部で起きていることでは絶対にあってはならない。亡くなった二人の祖母のことを思い返す。母に今度もうちょっと聞いてみよう。

ここ数年、盆踊りが大好きになった。4年前から住んでいるこの街で盆踊りがかなり盛んなことにたぶん影響されている。5月頃から、「盆踊り練習会」という夏を引き伸ばしたいだけなんじゃないかと思ってしまうような最高の練習会にも参加したりして、準備万端で近所の公園でやっている盆踊り大会に行ってきた。浴衣で踊る人たち。終わったあとに近所の居酒屋で飲んでいたら、浴衣で踊っていたお姉さんがいて、少し話したりした。

蕎麦のことも少し好きになってきました。

観た本や映画の感想もこのブログでメモしていきたいものだけれど、またそれは8月から…アリーチェ・ロルヴァケルの『墓泥棒と失われた女神』を観たり、ずっと観てみたかったけど観たことなかったヤスミン・アフマドの『タレンタイム』を観たりしました。大好きな作品が増えていく喜び。

2024年6月の日記

家族で、小さい頃よく行っていた山中湖へ。静かで、たくさん人がいるわけでもなく、何か新しい施設がたくさんできるわけでもなく、なにも変わっていなくて安心してしまった。

百年(ペンニョン)のワークショップで、隅田川付近を歩きながら朝鮮人虐殺について学ぶ。歩いていって、一人ずつ証言を読み上げる。その場所を踏みしめながら、自分の声で言葉にすることで浮かび上がるもの。最後に、証言を書いた凧をみんなで空に向かってあげた。

多摩川沿いのサイクリングロードをぐんぐん登っていくのは本当に気持ちがいい。

この瞬間は覚えておきたい、と思うときは躊躇なく写真を撮っていこうと思った。カメラで撮った写真を見返す作業がなによりたのしいから。

2024年5月の日記

秦野散歩。駅前で和菓子を買い込んで、ゆるめの山登り。生まれて初めてヒルに刺されて足が血まみれになる。震災でできたという震生湖を見に行く。帰り道、住宅街を歩いていると湧き水を汲める場所があって、ここに越してきたというおじさんとお話した。誰かがなぜその場所で暮らし始めたか、という話はやっぱりおもしろい。

不機嫌な鳩。

六本木の裏道に生えていた雑草。5月は雑草の名前を調べる作業に夢中になっていた。

ほか、大切な友達に子供が生まれて、生まれたてほやほやの赤ちゃんを対面したりした。