2023年2月の日記

・2023.02.28

夜のclubの会で「感想を伝える」ということについて話したのが印象的だった。何かを見たり触れたりしてすごくいいなと思っても、それを生み出してくれた人や教えてくれた人に伝えることを怠ってしまうことが多いけれど、一歩踏み出して届けていくことをわたしももっとやっていかなきゃな。

・2023.02.27

引き続きジョン・ウィルソンを見続けてる。

・2023.02.26

大切な友達たちの家に。なんだかうれしい一日だった。二人がBondeeをやってたので帰ってからはじめてみたけど結構たのしい。

・2023.02.25

ドキュメンタリーが見たいなと思って、たまたま知ったジョン・ウィルソンによるHBOオリジナルのドキュメンタリー「ニューヨーカーの暮らし方 / HOW TO WITH JOHN WILSON」。「不動産投資の方法」「ワインを嗜む方法」「駐車スペースを見つける方法」「電池の正しい処分方法」…日々何気なく見過ごしてしまいそうなことを掘り下げて、ひたすら脱線し、ぐるっとまわって戻ってくる、そのずらし方や視点の持ち方がたまらない。さまざまな人がそれぞれのやりかたで生きてることが肯定されている感じがするし(たまに会いに行った人のなかに倫理的にまずい人も出てくるが、それはアウトだという目線も持っている気がする)、やさしい眼差しが存在している。全6話だけれど、もったいなくてちょっとずつしか観れてない…オフィシャルサイトにvimeoがあったので、観終わったらそっちも観よう。

・2023.02.24

父、誕生日。プレゼント喜んでもらえてよかった。

整体いった後にプロントで仕事しながら時間をつぶしてて、聞き覚えがある曲が流れてると思ったら、吉田ヨウヘイgroupだった。ごちかさんと清水さんとごはん。気づくと4時間経ってた!

・2023.02.23

英会話、なぜ日本ではひろゆきのような人物が若者に人気なのか?という議題。日本人はあまりはっきりと物事を伝えたりするほうではないから、それとは反対にはっきりと伝えている姿(論破してなかったとしても「論破」のように)を好んでしまうのか?みたいな話をしつつ、イギリスでもAndrew Tateというインフルエンサーが若者に人気で、彼のミソジニーがすごいから来週までに調べてきてというのが宿題になった。

特に目的をもたずに晃生と銀座へ。ポーラ ミュージアム アネックス展で見た古着の洋服のタグや、ビールなどのボトルを作品にした星野薫さんの作品が記憶に残る。吉濱翔さんのサウンドインスタレーションや、國川裕美さんのやわらかい表情の動物たちもよかった。中村恭子さん+郡司ペギオ幸夫さんの 「フーリエの日々」、フーリエのことは全然知らなかったけれどそこに書かれているテキストを読んで興味を持った。情念引力ってなんだろう。

RMKの新作がかわいくてひさびさに買った。ブラウンとベージュのチーク&ハイライトと、スパークリング リモンチェッロというかわいい名前のアイシャドウ。きらきらパールで気分をあげる。

目的を持たずに受動的でいるときに舞い込むものを信じていたいという気持ちがずっとある。

・2023.02.22

いろんな雑誌を読むのが好きでたまに回遊しているのだけれど、arを見ていたら「エモピン」という言葉が出てきてそれが頭から離れない。調べたら2018年の時点でエモピンという言葉が使われていてさらに驚いたのだった。手羽元がおいしかった日。

・2023.02.21

ゆめさんとPhoebe Bridgersのライブ。Motion Sicknessでわ〜となった。Boy Geniusの新譜もたのしみ。数年前にたしか代官山UNITで観たときとはだいぶ規模が違く、時の流れを感じた。京都でのライブはもうちょっとアットホームな感じだったのかな。

そのあと新宿でゆめさんと話してた話が総じておもしろかった。寒すぎて震えて帰宅。

・2023.02.20

Don’t forgetというメモ帳をつくった。すぐに忘れちゃうことを手書きで書いていたけれど、いつでもどこでもスマホでぱぱっと見れたほうがいいから。

話題のChat GPTでいろいろ訪ねてみる。これまで「◯◯ なぜ」とかで検索して、ウェブサイトを訪れて情報を取捨選択しながら答えを探していたのが、ある程度の集合知のようなかたちでテキストが出力されるのはすごいけれど、ああこれは本当に怖いなあと思う。ちょっとした質問でも明らかにおかしな答えがいかにもそれっぽく返ってくることもあって、きっとその精度も上がってはいくと思うけれど、ファクトチェックはもちろん、倫理的な問題などもいろいろ生じそうで不安になる。もちろんおもしろさも感じるし、いい使われ方をすればいいのだろうけれど…。AIに余白や曖昧さは理解できるのかな?

中国版chatGPTとして会話型AI「ChatYuan」がリリースしたけど3日で終了、理由は「中国経済を分析してほしい」などと尋ねるとシビアな回答が返ってきて、それは中国政府の見解と不一致するから、というニュースがおもしろかった。

・2023.02.19

夜、代官山でタイコのライブ。みんなリラックスしている感じでよかった。帰り道幸せな気持ちでひたひたになりながら帰る。

・2023.02.18

EASTEASTに寄って、そのあと科学技術館へ。3階の展示室に、展示室の入り口の会話が記録されていて、それらの言葉が時系列にマッピングされているスクリーンをいろいろ操れる展示室があって、それがなんだかすごかった。こんなふうに情報を取得して記録して活用することは役に立つし、おもしろいよねと思う一方で、勝手に知らないところで記録し活用されることの恐ろしさも感じる…。

・2023.02.17

ずるいほうには簡単に転べるから、そうならないようにしなくては!

夜は代々木上原で今後のことがますますたのしみになる会。そのあともえちゃんも合流して、しこたま飲んだ。

・2023.02.16(me and youのニュースレターより)

朝起きると、まずは布団の中でGmailを開く。携帯で。次に、やらなくてはいけないタスクを入れているTodoistというアプリを開く。Slackを開く。それから、一日の時間配分を考える。これはわたしの毎日の日課。何年やっても、時間配分が甘いのか、やらなくてはいけないことが多いのか、多分どっちもなんだけれど、その時間配分通りに終わったことはあんまりない。返せていないメールや連絡、遅れてしまっている作業に毎日申し訳ない気持ちになっている。こういうときはいつも、一日がぐんと伸びて27時間とか29時間とかにならないかなと願ってしまう。

午前中は税理士さんとのミーティングだった。2021年4月に会社を立ち上げて、もうすぐ3年目に突入する。数年前までは、まさか自分が会社を経営することになるとは思ってもいなかった。初めは右も左もわからないままがむしゃらに進んでいるという感じで、最近やっと独立したという実感を得られるようになってきた。ずいぶん遅いけれど。続けていくためにはさまざまなお金がかかるので、しっかりとお金を稼がなくてはいけなくて、当たり前だけれどそれは本当に難しいことだ。譲れないものは絶対に手放さずにさまざまな判断をしていくことだって、やっぱり難しい。難しさを感じながらも、結果的にこういうかたちで自分たちで判断しながら場所をつくっていけているということに、とても喜びを感じる。すべてのつながりが奇跡的に重なって、今があるように思う。だからこそ、今ここにいるからこそできる仕事ってなんなんだろう? ということを考え続けたい。

生きていくためにはお金が必要で、そのためには仕事をしてお金を稼がなくてはいけない。インボイス制度の話とかもでてきてなおさら思うけれど、世の中には規模感や利益を再重視する会社だけでなく、思いを大切にしながら仕事をしている小さな会社やフリーランスの人たちがいる。「仕事」という言葉を聞いたときに、それに付随するイメージとして「儲かる」「楽できる」「注目される」という言葉を思う人もいれば、「社会に必要な」「自分を生かしてくれる」という言葉を思う人もいる。そういう人たちが仕事を続けやすい社会であってほしいと心底思う。でも、世の中に存在する「仕事」は秩序立って並んでいるわけではなくて、絶望しそうなほどいびつな構造が存在している。そのなかで自分たちは何ができるのかな。そもそも仕事ってなんなのか。

そんなことをぼんやりと考えながら、夕方はラジオの収録に出かけて、帰り道も仕事のことについてゆめさんとずっと話していた。わたしたちが仲良くなったきっかけは、他にもいろんな理由があるけれど、一番はこんなにも夢中になって仕事の話ができる、ということが大きかった。今思い返すと、仕事後に散々飲んだ夜も、7割くらいは仕事の話をしていたのだった。

そんなこんなで、なんだか今日はどういった姿勢で仕事をしていきたいかについてずっと考えていた一日になった。「どんな仕事をしたいか」も大事だけれど、「どういった姿勢で」というのも同じくらい大事で、よく仕事をしている近しい間柄のなかではしょっちゅう話していることだけれど、多くの人と話せているわけではない。なんでかな、と考えてみたけれど、話すのがこそばゆいからかもしれない。いつも「できてなさ」を抱えながらなんとかやっていたりやれていなかったりするなかで、大きな顔で「こういう姿勢を大事にしています」なんて言えない、みたいな気持ちが邪魔をしているのではないか。でも、自分が完璧にできていなかったとしても、いろいろな人ともっとこういう話をしていきたい、とも思う。

・2023.02.15

英会話、よく話せて先生に褒めてもらえた。大人になると褒められる機会が減るので、素直に嬉しい。どんどん褒められたい。自分でももしかすると前よりは話せているかも、という実感があって、まだまだ拙くはあるけれど少しずつすすんでいるのかもしれない。なにかが少しでもすすんでいるという感覚もとても嬉しい。

夜はきみちゃんとPavementのライブ。もう観れないかもと思っていたアーティストのライブの感動はひとしおで、イントロから何の曲かみんなでわかるかんじ、みんなこの時間を待ってたんだよ!というのが伝わってくるのがたまらなかった。中高時代にもっとも聴いたバンドのひとつ、あの頃は一人でヘッドフォンで聴いているだけで、いつかPavementのよさを誰かと話せたらいいなと思っていたな。初めスクリーンにWindowsの起動画面みたいなのが流れて、演出…?と思ったら普通にミスだったらしい。そのローファイさ。

偶然はまださんと久々あえて、はなちゃんも合流してインド富士子でごはん。インド富士子でもPavement流れてて最高だった!

・2023.02.14

東京⼤学⼤学院情報学環の渡邉英徳研究室が、「トルコ・シリア地震 衛星画像マップ」というものを公開したそう。震災の記憶を後世に残していくデジタルアーカイブの取り組みに関して、「茨城県東日本大震災デジタルアーカイブ」と「東日本大震災アーカイブFukushima」が22年に閉鎖してしまったそうだけれど、年月が経ってそのことを残す意義を唱えた人たちがいなくなったあともそれらを残し続けるためにできることについてわたしももっと考えたい。映像や写真、テキスト、そのほかさまざまなかたちで残していくことの重要性、アーカイブについて、近頃とても関心が出てきた。

今日は取材で、身近に生えている樹木が誰によってどのようにケアされているのか、ということを初めて知った。知らないことがあちこちに転がっている。

夜、布団の中でふと思いたって読んでいた本を朗読してみた。声に出して文章を読むときの新鮮さ!またやりたい。

・2023.02.13

曇り空。ヘルシーな朝ごはんを食べたいと思い豆腐と納豆とたまごをかき混ぜて食べる。しっかりお腹いっぱいになるけどお腹が結構冷えるな。昼は晃生が作ってくれた野沢菜のチャーハン。テレビをつけると、トルコ・シリアの大地震のニュース。そのあと、冗談ばかりいう天気予報士。冗談をいいたい気分じゃないから、テレビを消した。夕飯はなすとじゃがいもとベーコンを炒めて、チーズをのっけてオーブンへ。冷蔵庫のなかにあったものがしっかりきれいになっていく気持ちよさ、いろんな食材を食べたい。

・2023.02.12

最近は週に一度家でゆったりする日がないと体がもたない。カメラの現像に行って、タリーズでオレンジジュースを飲んで、ゆったり帰った。夜、鍋を食べながらU-NEXTで「突撃!ストリートシェフ」という番組を観る。このあいだの勉強会を経てから世界の全体像についてあまりに知らなすぎるのではないか、と思い、スプレッドシートに国をすべて書き出そうとしてみた。書き出してみたときにあらためてわかった、承認されていない国家の多さと、強国による海外領土の多さ。

・2023.02.11

どうしても髪を切りたくなって、実家の近くにある美容院へ。こういう美容院の行き方は普段あまりしないのだけれどたまにはいい。時間が少しあったので、キャロットタワーの生活工房の「続・セタガヤママ 小さなメディアの40年」に立ち寄った。1982年、世田谷経堂に「セタガヤママ」という雑貨屋さんができて、その場所を拠点に小さなラジオ放送をしたり、ガリ版通信をつくったり、小さな「生活の実験」を行っていったそう。展示ではずらりとガリ版で刷られた「あめつうしん」が並べられていて、今もつくられているらしい。小さな場所や継続性について、とても気になる。

懐かしい道を歩いて実家へ。親とたくさん話してすっきり。父に会社のことなどについて話した。

写真美術館でペギー・アーウィッシュ。Nintendo 64のようなゲーム画面、サーマルカメラ、ドローン、さまざまなテクノロジーをただ賛美するのではなく、批評性を持ちながらつくられた作品はどの作品にもフェミニズムの視点があり、そのルーツを感じる初期の作品も好きだった。Q&Aがある日に行きたかったな。あいことジンギスカン食べて、トレンチってバーでおいしいお酒飲んで帰った。

・2023.02.10

昨日までどんより落ちていたけれど、夜のヒルサイドのイベントで藤原辰史さんに伺ったお話がすばらしくて、落ち込んでいる場合ではないぞとぐんと地上に引き上げられた気分。忘れてはいけないことを教えてもらった。

帰り道に、韓国語をまったく話せないわたしがなぜか韓国語で「森のくまさん」を歌えるということを思い出して、口ずさんでみる。母親にLINEして、なんで歌えるんだっけ?と聴いたら、母がわたしが生まれる前に多言語を学ぶスクール?に通っていたそうで家で歌っていたからかなあ、と言っていた。小さいときの記憶ってすごいし、音楽ってすごいな。今わたしは日本語しか話せないけれど、ひょっとしたらこの先の人生で英語や韓国語はもちろん自分を拓いてくれる言語と出会うことがあるのかもしれない、というのがある。特に多和田葉子さんやジュンパ・ラヒリの本を読んでいるとそれを強く感じる。その希望を忘れたくないなあと思う。

どうしようもなく恋に落ちたこと、あるいは傷がついてしまった経験。自分の奥底にずっと眠るそれらの歴史を辿ったり、ほかのものとかけ合わせたりしながら、深めて生きていきたい。

・2023.02.09

全然話せない日があって、今日はそれだった。頭と口と体がばらばらな感じ。そういうときってみんなあるのだろうか。偉そうにわかったふりをしてしまったようなことを言ったりやったりしてしまっていたような過去を振り返って、小さくウワーッと叫んでみたり。同時に、偉そうでわかったふりな姿を私に投げかけ続けていたあの人も、わたしの知らないどこかでウワーッと叫ぶ日があってほしいなと思う。「当事者性」について、まだまだ考えきれていないけれどぼんやり考えていた日。

・2023.02.08

優しさはきっと循環するから、自分が殺気立った気分のときこそできるだけ優しくあることを心がけたい、と思いながら近所のコンビニに向かう。友達に聞いた性被害の話がずっと頭の片隅にあって、はじめに聞いたときに投げかけた言葉が果たして合っていたのだろうか、そういうことをずっと延々と振り返りながら、これが正解という言葉があるわけではないのだから合っていたと信じ込まずにこうやって振り返ることだけは忘れないようにしようと考えていた。今日は夕飯をちゃんとつくれたのがよかった。ごはんをつくるという行為に癒やされている。

・2023.02.07

トルコでは死者1万人を超えたそう。あまり調子がよくない日だった。

・2023.02.06

トルコ・シリアでマグニチュード7.8の大地震。

・2023.02.05

昨日は海と夕焼さんで小林エリカさんをおまねきしたイベントだった。エリカさんと話をしていると、自分がこの世界で生きていたことの痕跡がどういったかたちで残っていくのか、考えたくなる。この日記を書いている一つの大きな理由は、5年後、10年後、20年後、30年後に自分自身がすでに忘れてしまうであろういま考えていることや起きていることを発見し直したいという欲望があるからなのだけれど、同時に、この時代に東京で生きていたある一人の人間がこんなふうに物事を考えていて、こんな社会だったということが、サーバーがなにかしらのかたちで残ってくれれば、わたしが死んだあとのずっと先の世界を生きる人に伝わる可能性があるから、というのがある。

夜、晃生と共にまみさんあゆみさんのおうちへ。おいしいお酒とおいしいごはんのいい夜だった。好きな人たちとお酒を飲む幸せを忘れないようにしたい。

・2023.02.04

政府高官であった荒井氏に対する同性カップルに対するひどすぎる発言、それに対して更迭が決定したものの、こんなにも偏見が根付いてしまっているという状況、そうした人たちがこの国のあらゆる重大な決定に関わっているという事実にただただうんざりする。

体重や歩数などを記録しやすい方法を見つけて、それはiPhoneのショートカット機能を工夫するというだけのことなんだけれど、つい出かけているときも眺めてしまう。眺めながら、ふと後ろの人に自分の体重の変遷や歩数の変遷が筒抜けになっていることに対して異様に恥ずかしさを感じてしまった。身近な人にも教えていない身体の個人的なことが、うしろにいる二度と会わないかもしれない人が知ってしまうかもしれない? 多少考えすぎかもしれないけれど、とあるデータベースにはわたしや誰かの個人的なさまざまな情報が蓄積されていて、技術的にはそれらをずらっと並べることができてしまうということにたまにすごく恐ろしくなる。

・2023.02.03(me and youのニュースレターより)

年末になると、一年の振り返りをしつつ、来年どんな一年にしたいかを書くようにしている。前はEvernoteに書いていて、ここ2年はNotionに。

Evernoteを開くと、一番古い記録は2014年だった。2014年、26歳のわたしはCINRAに転職するのを決めた頃。なかなか継続できないことや、本や映画などに触れる時間が足りないことなど、今と変わらないような悩みを抱えている一方で、今とはずいぶん違う思考をしていて驚いた。おもしろいので、どんどんページをめくってみる。2015年、27歳のわたしは「〜を◯回する」など異様に数字にとらわれていた。仕事の影響なのか、やたらとカタカナも多い。意味を理解して使っているのだろうか。世の中が押し付けてくる「普通」に対して違和感を感じながらも、その「普通」に自分を合わせようと努力している感じがした。2016年、28歳のわたしは「女性に関するメディアを立ち上げる」と書いていて、そこから少しずつ今の自分の延長にあるように感じられる内容になっていく(といいつつ、どの自分も延長線上にあるのだとは思うけれど)。これを振り返られるだけでも、書いておいてよかったなあと思う。あと、別にしょっちゅう見返しているわけではないのに、書き出したことは結構できてることが多いから不思議だ。

2022年の終わりも、いつもと同じように、一年の振り返りをしつつ来年どんな一年にしたいかをノートに書くことにした。が、年末はコロナにかかり弱っていたので、思うように頭がまわらず、いつもよりかなりふわっとした内容になってしまった。しっかり決めこむのもたのしいけれど、あまり決めきっていないことでどんどん変えていける自由度があって、これもこれでいいなあと思う。1年のはじまり、と思うと気負ってしまうけれど、いつでもはじまりの日は決められるはず。

今年の気分は、「1年」よりも「1日」のほうかもしれない。ここ数ヶ月は、日課を書き出して都度見返すようにしている。書かなくてもいいのだけれど、書いていないと忘れてしまうから。いつも厳守できないとまるごと投げ出してしまいがちなので、日課を書いているページに「いつでも変えていい」とわざわざ書いている(そういえばゆめさんもそういうことを言っていたような?)

最近は寒くて血行が悪くなっているのか、疲れがたまっているのかわからないけれど、身体も頭も動き出すのが遅くて、朝の時間の日課のチューニングをしている。半身浴の時間を加えたのと、同居人が白湯を飲むといいと言っていたから、白湯も。10分くらいのヨガやストレッチをするとだいぶ身体が目覚めて、調子がよくなる。忘れっぽいのとめんどくさがりが重なり、書いておかないとやらなくなるので、こういうことも全部書くようにしている。

いつかの日記に「あすけん」に記する話を書いたけれど、あんなに熱心に書いた割にめんどくさがりだからか記録ができなくなった。代わりに体調管理のために体重と心拍数を記録している。スマホの画面にウィジェット機能があるのを忘れていて、押すだけで記録できるから便利。しっかり歩きたいから、歩数を表示できるウィジェットもいれた。

去年は日課をたてすぎて、日課に追われるようになってしまっていたように感じるので、自分に多少の負荷をかけつつ、余白も残せるようなバランスを見つけたい。2月のはじまり。

・2023.02.02

朝、憤るような出来事があって、わなわなしながら英会話の先生にその怒りを伝えようとする。怒りってすごくて、どうにかこの気持ちを共有したいからか、これまで使ったことのないような単語が思いつく。

理不尽な出来事に対して、少しオーバーなくらい怒ってしまうことがあることを自覚していて、そういう自分のことが嫌でありながら嫌いになりきれなくもあって、怒りが自分を突き動かしてくれるときのあの感じを忘れてはいけないなと思う。でもバランスのとり方も見つけたい。

・2023.02.01

毎週水曜日は打ち合わせを入れるのをなるたけやめて作業日にすることに決める。人とあまり話さない、連絡をとらない、というだけでだいぶ気持ちが楽になる。コミュニケーションをしようと思えば無限にできてしまう時代に生きているのだから、意識して自分にちょうどいい量に調整しないと。

スーパーに行くのに夜の散歩。最近は忙しすぎて大きなスーパーに買いに行く時間がなかなか取れてていなかった。近所のまいばすけっとは便利ではあるけれど、決まりきった種類の野菜をはじめ、最適化された商品がずらりと並んでいる中に身を置くと、消費社会の中のコマとして生きている感覚が湧いてきて、ときどきはて、という気持ちになる。

2023年1月の日記

・2023.1.31

「耐えられるDV」という言葉の恐ろしさよ。

晃生に上高地のすばらしさを教えてもらって、YouTubeでいくつか動画を見た。保坂和志の『人生を感じる瞬間』のなかのエッセイに出てくるらしい。読まなくては。

ここ最近は落ち込むことなどもいろいろあったけれど、上高地のことを考えてなんとかやっていく。

・2023.1.30

疲れがどっと出てしまい昼くらいまで眠って、晴れて気持ちがいい天気だったので散歩に出かけた。最近できたパン食べ放題のお店、スーパーでかかってるみたいな音楽が流れてて、店を出たあとも頭のなかでずっとループしていた。あれは何ていうジャンルなんだろうか。もう少しカフェっぽい曲がかかる有線もあったはずなのにあの曲を選んだ理由はなぜなのかすごく気になる。夜はいつものエプソムソルトにヴェレダのバスミルクを追加でいれて、追いラベンダーにした。

・2023.1.29

ヒカリエでイベント。あまりにも反省だらけだけれど、無事終わって一安心。これから2023年をなんとかやっていくのに支えになるような言葉をいくつももらった。そういうふうに感じてもらえるイベントになっていたらいいな。

・2023.1.28

翌日のイベントに備えて、一日準備。ポスターをぎりぎりで入稿したり、必要な資料を印刷したりして、夕方は日本橋までポスターを取りに行った。帰り道、100均で必要なものを買い込む。最近の100均は本当に何でも揃ってる。ひさしぶりのイベントで緊張感強め。

・2023.1.27

夜、あいこと代々木のTYONというお店でごはん。普通の民家で、実家に帰る気分で玄関のドアを開ける。店主の方がすべて一人で切り盛りしていて、食べたことのないスパイスの料理などが作家さんの素敵な器でいただける店。おいしいごはんとワインとかっこいい音楽で酒が進んで、気づくとワインをボトルで2本もあけてしまった。

あいこと閉店ぎりぎりまで話していけれど、彼女と話しているだけで安心して、自分のしょうもなさも含めてこのままで大丈夫かもという気持ちになる。うじうじとした話は人によっては「そんな話言われても」と拒否されたり「悩んでてもしかたなくない?」と言われるときがあるけれど、何でそういう気持ちになるのかとか、状況が発生する原因についてあれこれ話している時間が自分にとってはすごく大切だと感じる。

・2023.1.26

仕事後、カウンセリングに行く。最近悩んでいたことや、小さいときからずっと苦しめられている考え方について話をしていたら、涙が止まらなくなった。この場所ではわたしは何でもなく、誰かの目を気にすることもなく、どんなに複雑な感情でも出してもいいことになっている。そうした場所があることの大事さについて。学生のときに不安障害で心療内科に通っていて、そのときは薬での治療が中心だったけれど、こうやって話して自分自身の根っこのほうに絡まり付いたものを解きほぐす作業をもっと早くしたかったなあと思う。わたしはつい「もっと早く〜したかった」と思ってしまいがちだけれど、同時になんだっていつからでも遅くないといつも思っている。

・2023.1.25

今日の英会話のレッスンはここ最近の勉強時間の不足や自信のなさなどが相まってなんだか全然話せなかった。落ちこんだけれど、今日はもともと話すのが苦手なZoomだったし、そもそも今あまり元気がなくて日本語でもそんなに元気に話せない状態だから、しかたがない。家事があんまりできていないこともストレスで、たてなおさないと。

・2023.1.24

ふとした言葉がトリガーになって、気になっていた出来事の理由がひょっとしてこうなんじゃないか、と根拠もない妄想をしてしまい、さらにそれが別の妄想をよんで、大きな不安に駆られてしまった。これはわたしのよくない癖で、すぐに暗い渦の奥底に迷い込んでいってしまう。書くことでだいぶ整理できた感じ。運動したりお風呂に入ったりして、なんとか少し這い上がれた。

・2023.1.23

夕方、あゆさんがうちに荷物を届けにきてくれる。仕事が終わっていないまま、少しだけ休憩がてら近くのバーへ。旅行先で見つけたお酒がたくさん用意されていて、おつまみも本当においしくて、炊きたてのご飯を知らない人と一緒に囲んで食べる時間。つい仕事をしていると根詰めて永遠にやってしまうことが多いから、いい気晴らしになった。

・2023.1.22

新宿。一人で食事を食べるのが苦手で、いつも通り選ぶ気力が失せてしまい、適当に入ったらだいぶ後悔した。いつか上手に食べれるようになる日はくるのか。かわりに、家に帰って適当につくった夕飯があまりにもおいしかった。料理はなるべくつくったほうがいいのだ。晃生に教えてもらってケネス・アンガーという人の『マジック・ランタン・サイクル』をU-NEXTで少しだけ観る。魔法的な世界。

・2023.1.21

等々力でうどんを食べて、電車で尾山台に行った。尾山台の駅前の商店街の感じがだいぶ好きで、不動産屋さんの物件情報をちらちら。今の自分の生活だと、電車のアクセス的に少し厳しいのだろうか。いつか住みたい。WARP HOLE BOOKSに立ち寄ったら、わたしとあなた本を面で出してくださっててありがたかった。子ども向けの本も多くて、読まなくなった本をエピソードとともにまちの誰かへとつなぐ「まちの人へとつなぐ本」というコーナーがとても素敵で、ますますこの街に住んでみたくなった。

・2023.1.20

仕事後、あまりにもひさしぶりの眞木会。カラオケは楽しい。

・2023.1.19

連日の悪夢。昨日は自分がなにかしらの仮想世界に存在している夢を見た。RPGの主人公のような目線で、オープンワールドのゲームみたいな世界にいるわたしはだいぶ苦しんでいた。前日、一瞬だけメタバースとセカンドライフの話をしたことが影響しているのかな。今日はゆっくりと死に至る薬を身体に打ち込まれる夢を見た。これは何が影響しているのかがわからない。朝起きたときに現実と夢との境がわからなくて、ベッドのなかでしばらくぼんやりとしてしまった。しんどかったけど、メタバースと死について考えるいい機会にはなったのか。なんなのか。

仕事をしてから、お昼休みにだいぶひさしぶりの英会話へ。この教室には数か月前に通い始めたばかりだけれど、英語のレッスンでもありながら、ただ会話を楽しみに行っているような感覚がある。先生はジェンダーや人種などによる差別の問題や広告表現、環境問題、政治のことなどの話を投げかけてくれて、今まで日本語でさえ話したことがなかったようなテーマについてもこの時間に話している。自分の英語が拙いこともあってなかなか言いたいことが表現できないときがあるのがかなり歯がゆいけれど、話しているあいだは自分の英語の拙さを忘れてしまう。

目の前に心から話したいと思う相手がいたときに、言葉が拙くても、あるいはまったくわからなかったとしても、伝わっていく・伝わってくる感覚ってたしかに存在しているなあと思う。このあいだチャン・リュルの『福岡』という映画を観て、とってもよかったのだけれど、そのなかでも韓国語で会話する登場人物たちが、言語がわからないはずの日本語や中国語の話者と言葉を交わすシーンがあった。論理的にはそんなことがありえない、ということであっても、わたしはそっちを信じてみたくなる。わかること、伝わる、ということ。今年は英語に加えて、韓国語や中国語を学ぶことも少しずつ始めてみたいなと思っているけれど、伝わるということの不思議さも引き続き考え続けたいことのひとつ。

英会話の先生と話すこと、あるいはカウンセリングの先生と話すことや美容師さんと話すことは、友達やパートナーや親などの近しい人と話すのとは異なる発見がそれぞれにあるなと思う。最近読んでいた、宇野重規さんが豊島岡女子学園で行った講義をもとにした本『未来をはじめる 「人と一緒にいること」の政治学』でも「弱いつながり」の話に触れられていて思い出したのもあるけれど(もともとは情報を伝播するうえで重要であるという言葉だったと思うけれど、この本では政治においても「弱いつながり」を大切にしたほうがいいことに触れられていた)、毎日のように顔を合わせるわけではなく、「お金をはらって、月に1回や数か月に1回、顔をあわせる相手」という関係だからこそ、それぞれに話せることがある。友達やパートナーや親のような「強いつながり」ももちろん大事だけれど、「弱いつながり」にも支えられているのだということを忘れないようにしたい。

家に帰って、打ち合わせがないからデスクに向かって集中して仕事をしていた。いろんな作業をしながら、わたしは「しっかりと積み重ねられていく感覚」におもしろさや喜びを感じているのかもしれない、とふと思った。まだうまく言葉にはなっていないかもしれないけれど。同じ仕事をしていたとしても、人によって何におもしろさや喜びを感じるかは違っているはずで、普段はそうしたことを見過ごしてしまいがちだけれど、まったく異なる作業の意外な共通点から思わぬ発見があるなと感じた。わたしだけがわかるひっそりとした喜びをちょこちょこ見つけてそれを育てていくのは、日々のさまざまなことを新しく見せてくれそうだなと感じてちょっとうれしくなった。(me and youのニュースレターより)

・2023.1.18

母からLINE、ジムの友達がわたしの活動を見てくれているらしい。そんな意外なところまで届いていることもあるんだな、と思い勇気づけられる。

「うまくやっとく」「それっぽく見せる」「よく見せようとする」みたいなことが本当に好きじゃなすぎて(もちろん場合によりけりではあると思いつつ)、とにかくニセモノっぽいものがきらいなんだけれど、気づいたら自分がそうなっていたらあまりにも悲しいので自省を忘れないようにしたいとか考えていた日。

・2023.1.17

夜、柏井さんちでみんなで集まった日。

・2023.1.16

冬の雨の日はだいぶ冷え込む。渋谷や下北沢で打ち合わせ。

・2023.1.15

日曜の朝に、テレビでYouTubeをSpotifyを見ながら晃生と一緒に好きな音楽を流しまくる時間がなによりたのしい。豪徳寺、ハッカニブンノイチでぱっと気持ちが明るくなるピンクの花と、Tsegue-Maryam Guebrouのレコードを買う。帰り道に電車にいたおばあさんが、杖を持つ手に2本のバラを握っていた。

・2023.1.14

今年の日記の使い方を考えていた。紙の日記帳には、見たり読んだり聴いたりして刺激を受けたものたちを文章だけでなく絵や写真もふくめてコラージュして記録するノートにする。文章で書き残すことはデジタルでやったほうが自分にとっては向いていそうで、でもそれでは補完されないイメージを残していくノートにしたい。

夜、近所の友人たちとごはんを食べて、その流れで本当にひさしぶりにオールナイトイベントへ。といってもWWWだから馴染みの場所ではあったけれど。Oil XL、Royksoppのepleかけてくれて最高にあがった。Perfumeも。玉名ラーメンの二人も出ていて、かっこよかった。普段0時には布団に入ってるから2時すぎには眠気で断念して帰宅。音楽はやっぱりいいよね。

・2023.1.13

ぎゅうぎゅうのスケジュール。

なにか行き違いやもやもやしたことがあったときに、「私だったら相手を思ってこうするのに、なぜ相手はしないのか?」と思ってしまいがちだけれど、それはあまりにも相手に自分と同じレイヤーの考え方を求めすぎているよなあと思う。もっと怒りや悲しみなどの感情をいったん手放して、フラットに「なぜそういう言動をするに至ったのか」と疑問をベースにしながら話していくことのほうがいいんだろうなあ。ただ同時に、「自分はこう感じた」という感情は絶対おざなりにしてはいけないと思う。こういうことは本当にいつまでも答えがなくてわからないけれど、みんなどうしているのか。

ここ最近ひさしぶりにMBTI診断をしたらやっぱりINFPで、いろいろ調べながら自分の内向性について考えている。昔からこういう診断系はおもしろくてついのめりこんでしまう。もちろんINFPだから◯◯、みたいにすべての型に当てはまるとは思ってはいないけれど、いろんなタイプを眺めているだけでも「そもそもこんなにも人々は違うのだ」ということを知れるのがいい。

・2023.1.12

早朝から撮影。眠気のせいか、「足が早い」と「耳が早い」を混同して使ってしまった。

・2023.1.11

母に贈ったプレゼントが無事届いたとのこと。思ったよりも喜んでくれて、うれしかった。カフェで仕事をして、近くの美術館で作品を観る。自由な色彩に触れて、少しだけ遠回りして家に帰った。こういう余白を大事にしたいと思いながらつい最短距離で帰る癖がついてしまっているから、一歩踏み出した気分になった。

・2023.1.10

昨日は学校生活がもうすぐ終わることを一日一日たしかめるような感覚を得る夢を見た。何かが終わっていくことを感じるときの、特有の寂しさ。表参道で、銀行に行ったり保険のことだったり、かためな用事がいくつか。風がやたらと強い日。

・2023.1.9

美容院に行って、チコさんとごはん。自分のペースを大切にすることについて。何を一番大事にしたいかはその時によって変わるから、自分自身の声にちゃんと耳を澄ませていきたいなあと思った。

・2023.1.8

抗原検査をして陰性であることをあらためてたしかめてから、実家へ。お雑煮を食べる。我が家はいまだに感染対策でテーブル間の距離をもって会話をしている。この距離が解消されるタイミングはいつかくるのだろうか…。晃生の家族とも会って、ごはんを食べた。猫がわたしの上にぴょんと乗ってきて驚いた。猫の足も、わたしの太もももだいぶ緊張していた。

・2023.1.7

また新宿武蔵野館へ。チャン・リュル『柳川』。流れている時間がすごくよかった。柳川、は北京語だとリウチュアンと読むそうで、この物語にはリウチュアンという女性が出てくる。漢字は中国から伝来してきた文字で、日々のなかでは忘れてしまいがちだけれど、そのことを思うと心の距離がぐっと縮まる。同時にニュースに流れてくる米中の緊迫した関係、日本の立ち位置を思うと、複雑な感情が湧き出る。

携帯料金が高すぎていたのでキャリアをやっと変えた。5年前くらいから考えていたのにやっと。韓国料理を食べて帰宅。

・2023.1.6

休もう、と思っていたけれど少しだけ仕事。おいしいおにぎりの具材を贈りものでいただいたので、おにぎりを握ったけれど全然うまく握れなかった。コップを倒したり不注意の極みみたいな一日だった。

・2023.1.5

仙台二日目。大学生の頃に行ったぶりの松島へ。震災時に、この高さまで波が押し寄せたという印が道にあって、前行ったときは震災前だったなあ、ということを思い出す。かつて泥で覆われたという瑞巌寺、とても美しく静かでいいお寺だった。松華堂菓子店でカステラとホットミルク。短い滞在だったけど、牛タンを食べて東京へ。

・2023.1.4

友達に会いに、仙台へ。やまびこでゆったり向かった。空気が澄んでいた。いろは横丁や文化横丁の感じがすごく好きで、いくつかのお店をまわった。食事メニューはなく、お酒を1杯頼むごとにお通しがついてくる、という「源氏」という店がとてもいいらしく、今日はあいてなかったけど次は必ずいきたい。ドーミーインの快適さよ。

・2023.1.3

新宿でチャン・リュル『福岡』。幽霊みたいな存在、魔法みたいな時間、そういうものが特別なものではなく日常のあちこちに紛れ込んでいる、そういうマジカルさを信じたくなる。ふとした瞬間に永遠に会えなかったかもしれない人に会うことができるようになるし、超えられるはずがない時間を越えることができるかもしれない。この世界で生きていくことがうれしく感じる映画だった。韓国語で交わされる会話を聞くのが好きで、やっぱり少しでもわかるようになりたい。

新宿2丁目でパスタを食べる。行きたかったパスタ屋は土日は休みなのだった。毎回忘れてしまう。次は忘れないようにしたい。新宿伊勢丹も流し見したけれど、混んでいる場所が苦手だから何も買えないまま店を出た。

家の近くで熱燗飲みながら夕飯。たまたま明日から行く仙台の日本酒「阿部勘」だった。映画でも話していた話、「緊張せずに気楽に楽しむ」ということを忘れないようにしたい、2023年。

・2023.1.2

ここ最近全然出かけていなかったこともあり、街に出たくなり日比谷へ。正月は街に人が少ない。いつも賑わっている道もだいぶ空いていた。日比谷で『ケイコ 目を澄ませて』。作品の中で流れている時間とその空気が劇場にいる自分にすっと入り込んでくるようで、終盤ぼろぼろ泣いていた。伝えること、伝わることの映画でもあるように感じた。わたしたちは本当に、いろんなものを使って人と伝え合っているんだ、ということに泣いたのかもしれない。もんじゃ焼きを食べて帰った。

・2023.1.1

元旦。抗原検査は無事陰性だったけれど、まだ体調が本調子ではなくって、すぐに疲れてしまう。正月は毎年お兄ちゃんの家族が実家にきてみんなでおせちを食べているけれど、今年は姪っ子たちも体調を崩し集まることができなかった。おせちだけいただきに、実家にタクシーで向かう。近頃タクシーで運転手さんと話すことも少なくなったけれど、今日は運転手さんがいろいろ話してくれた。元旦の日は高齢の運転手さんはお休みしてることが多いようで、いつも六本木あたりを走っているという若い運転手さんだった。最近はタクシーを利用する人が前とだいぶ変わって、スーツを来た会社員のような人よりも若くてラフな服を着ている起業家みたいな人が多いらしい。タクシー券を使う人もいなくなりましたねえ、とか。電通のビル前にずらりと並んでいるタクシーももういなくなったとか。

実家で家族と少し話して、お兄ちゃんと甥っ子二人が来てたから少しだけ話して、家に帰って晃生とおせちを食べた。お母さんの作ったいつものおせちはおいしい。数年前まではおばあちゃんたちと食べていたなあ、と正月はやっぱり家族のことをたくさん考える。来年はみんなで集まって食べたいな。

疲れて気づいたら少し寝てた。晃生が『イルマ・ヴェップ』を観ていてわたしも久しぶりに観たけどやっぱりかっこよかった。LunaのBonnie and Clydeはわたしにとって大切な曲の一つ。イルマ・ヴェップ、新しいドラマの方も気になるけれどどうなのか。

夜はSwitchで「世界のアソビ大全」を買って気づいたら何時間も遊んでいた。ヘックス難しすぎるのと、マンカラというゲームがおもしろすぎた。マンカラは紀元前から遊ばれてきたゲームで、起源であるエジプトでは穴を掘ってそこに石を撒いて遊んでいたらしい。いつの時代も普遍的におもしろいと感じられることが存在しているのってなんだかいいなあ。

2022年12月の日記

・2022.12.31

朝起きて、少しずつ読んでいたイリナ・グリゴレさんの『優しい地獄』を読み終える。すごい本だった。圧倒されながら、彼女が生きてきた軌跡をもっとたどりたくて、本の中に出てきた作品などをすべて書き留めた。社会主義から資本主義へ移っていったルーマニア。どんな場所なんだろう。ウクライナも含め、東欧の歴史についてあまりに知らなすぎる。

いつも大晦日に決まってやっている、一年の振り返りと、来年のことをなんとなく考える時間。いつもは目標として書いていたけれど、今年は目標、という言葉をやめてみた。あまり気負いたくなくって。もっと流動的でありたい。

今日から外に出られることになったので、少しだけ歩いただけなのに、ちょっと歩いただけで疲れ果ててしまった。この状態が続くのはかなりつらい。はやめに家に帰って、『ハンナは〜』の続きをみる。オフビートな映画。気分に合っていた。そのあと、紅白をひさしぶりに。アメリカのヒットチャートもわからなかったけれど、紅白もやはりわからない曲が多い。氷川きよしが美しかった。蕎麦がずっと好きじゃなかったけれど、たまたま買ったスーパーのカップそばがおいしくて、勝手に「蕎麦が嫌いなわたし」にしていただけかもしれない、という気もする。そうやっていつも避けていたものも、意外とおもしろがれるような年にしたい。

0時になって初詣に行こうとしたら、ずらっと長蛇の列ができていた。並ぶのが好きではないので、コンビニまで散歩して帰宅。平常運転のまま、新しい一年が始まる。

・2022.12.30

仕事を少し進めて、いくつか終えることができた。少しは活動できるようになってきた、よかった。毎年、年末にやっていることの一つ、2022年に好きだった音楽のプレイリストをつくる。ごはんを食べながら、エルピスの最終話。『ハンナはいつも、アイされたい』をちょっとだけみて、そのあとtvkでやってるアメリカのヒットチャートをぼんやりみていたらだいぶ時間が経っていた。昔こうやってずっとMTVのヒットチャートみてたな。知らない曲ばっかりだったけれどデュア・リパは最高。

・2022.12.29

年末最後のニュースレター、書けるかなあと思ったけれどなんとか書けた。

・2022.12.28

ひさしぶりにベッドから出て家事をしたりして過ごすことができた日。昨日に引き続きメールやslackに返信していくけれど、文章を組み立てていくことがいつもよりスムーズにできていない気がして、四苦八苦する。郵便受けに入っていた健康診断の結果は問題なしだった。よかった。夜は鍋。

・2022.12.27

窓を開けてベランダに出ると、目の前の家の青い瓦が太陽に反射して水面のきらめきみたいに見える。この家が好きな理由の一つかもしれない。海に光があたってきらきらすることを韓国語でユンスルっていうらしいけれど、そういう言葉がさまざまな言語において世界にいくつも存在していることに救われる。

まだまだ本調子ではないけれどやらなくてはいけないことがあり仕事、Caroline Polachekのライブ映像を観ながら。効率が悪くていつもの3倍くらい時間がかかってしまって、頭が割れそうに痛くなってしまったのでベッドに戻った。いつも休み方がわからずむずかしい。

・2022.12.26

熱は37度台と38度を行き来。病院に行って正式にコロナ陽性だと言われて、まだまだ起き上がって生活するにはしんどいのでベッドで過ごした。夜のイベントに出れずだいぶ落ち込む。目の奥の痛みに加え、味覚がおかしくて困る。食事がまだあまりちゃんとできない。

・2022.12.25

39.5度くらいまで熱があがってしまって、自分の部屋のベッドでくるまって過ごした。映画やドラマ、本などがぜんぶしんどくて頭に入らず、漫画だけが受け付けるようだったので『推しの子』を一気に読む。クリスマス。

・2022.12.24

なんだか熱っぽいな〜と思っていたらぐんぐん熱があがってきて、38度台に。自宅の抗原検査キットでは陰性だったけれど、濃厚接触者だったので確実にコロナだろうな。人に会ってなくてよかった。今まで感じたことのない強い寒気と、なぜか目の奥がめっちゃ痛い。

・2022.12.23

一年の終わりに向かうようになって、なんとなくかかっていた靄をかきわけかきわけ、向かっていきたいと思う方向が見えてきた気がする。

・2022.12.22

今日は、ポカリや熱冷まシートなどを買いにコンビニへ出かけたくらい。

・2022.12.21

同居人がコロナになったので、用事などをすべてキャンセル。つらそうで心配だ。もともとそれぞれの個室もあるし、家にいるのは好きだからあまり苦ではない。終わっていなかった仕事に集中することにする。

夜、自分の習慣をうまく管理できるアプリがあったらいいなあと思って、寝っ転がっていくつかアプリを試していたら1時間くらい経っていた。ものごとに手をつけるよりも、その手前で整理することに時間をかけすぎている気がする。ものごとを体系立てて整理するという行為自体に興奮する。散らばっていたものが整理されて、前に進んでいく姿に気持ちよさを感じる。もはや整理されさえすれば、その対象ができなくてもいいような気がする。これはいったい。

・2022.12.20

捗ったいい日。ふわふわの布団カバーと敷布団のおかげで布団に入るのがますますたのしみに。

・2022.12.19

松本二日目。隙間時間に仕事をしつつゆめさんといくつかお店をまわって、夕方東京へ。

・2022.12.18

松本へ。途中、雪景色がすごくかったなあ。電車の旅はたのしい。栞日でのイベントは、文月さんとうめさんが思いを込めて企画してくださったおかげで、昼の部も夜の部もすごく心に残る時間になった。会を重ねるたび、いままで話したことのなかった話ができている気がする。タイ料理屋で打ち上げした時間も含め。行きがてらかなり大胆に転んでしまったけれど。

松本の「Marking Records」というレコード屋さんは、東京にこういうレコード屋さんがあってほしいと思うような場所だった。また行きたいな。おすすめを教えてもらって、SAY SHE SHEというバンドの『PRISM』を買った。あと出たばかりのmmmさんのblueのアナログシングルカット版も。

・2022.12.17

休日らしい日。経堂でコーヒー飲んで、初めてゆうらん古書店さんに行った。おいてある本がとっても好み、通おう。エイミー・ベンダーの読んだことがないやつを買った。

日比谷で『あのこと』。衝撃的な映画。堕胎のシーン、客席にいた女性がううって声を出しているほどで、わたしも直視することができなかった。けれどアンヌはまっすぐと前を見つめ、「生まれなかったのは運がよかっただけ」と話していたアンヌの友人の言葉も忘れられない。すべてが運に委ねられていた時代、本当に恐ろしかったと思う。けれど今だってどうだろうか? 映画を観ながら自分の過去も振り返っていた。生理がこなくてこわくて目の前の勉強や仕事が頭に入ってこないことなんて何度もあった。避妊できていなくて、運頼みになっていたときもあったけれど、本当にたまたまだったと思う。だからといってセックスを避けるとかそういうことではなく、性に対して好奇心を持つことも、子供を持つかどうか選ぶ権利も、どちらも女性が持っていいものなはずだけれど、そうした社会の意識については『あのこと』で描かれていた時代と変わらない部分も多いなあと思ってしまう。

・2022.12.16

Twitterでイーロン・マスクに批判的なジャーナリストが凍結されているみたいで、そんなわかりやすいかたちの言論統制、本当に終わっているなあと思う。そういえばイーロン・マスクはグライムスと結婚して「X AE A-XII」という子供がいたけれど、いつのまにか破局していたのか。

コロナの不安に乗っかって戦争の不安もあって、こういうこともあって、今年は本当にいろいろありすぎている。

・2022.12.15

電車で、小学生くらいの女の子が熱心に読んでいる本に「恋に落ちるシュンカンって?」「相手をキュンとさせる方法」「私の恋はどうなる?」と書いてあって、今も昔も変わらないなあと思う。各質問に対する回答が一ページで収められているけれど、どれも決して一ページでは収まらないような複雑なものなのに。大学の友人たち、いつものメンバーでごはん。「人生を10周くらいしたら3回くらいは付き合ったんじゃないかと思う人いるよね」と言われて、人生を10周くらいしたらという想像をしたことがあまりなかったからびっくりした。

・2022.12.14

英会話の先生と前回に引き続き自民党の問題点などについて話す。子供を産み育てるのに日本だととてもお金がかかる、ということとか。先生はイギリス出身で、あとで調べたけれどイギリスはNHSという国営の医療制度があって出産に関する費用は無料、公立校の授業料は無料。本当に国によって全然違うんだな。先生が政治に憤りを感じすぎて授業時間を大幅にオーバーしていておもしろかった。

・2022.12.13

たくさん話して、何かが進んでいくような予感がした日。それがすごく嬉しかった。

・2022.12.12

WWWでタイコのライブ。晴れ豆とは違ったよさがあった。友達にたくさん会えたのもよかった、こういうの久しぶりだな。

・2022.12.11

NPRでAlex Gのライブやっててそれが本当に最高だった。YouTubeを適当に流し見していたらリリイ・シュシュの映像が出てきて、そういえばmitsukiが「グラインド」をカバーしていたなあということ思い出す。『アフターヤン』まだ見れてないな。その後mitsukiを聴いてたら流れてきた「Your american best girl」のMVでなぜか号泣してしまった。何度もこのMVは観たことがあるのに。そこにいられない孤独さを歌うのはmitsukiが世界で一番なんじゃないかなと思ってしまう。夜は下北沢でキミとケイと忘年会。

・2022.12.10

菊川の映画館Strangerに初めて行った。グッチーズのイベントで『リングワ・フランカ』。監督であるイザベル・サンドバルが演じる主人公のイザベラがあまりにも魅力的で、ずっと魅了されていた。音楽もとても印象的な映画だった。トランスジェンダーであり、移民である彼女にとって、日々を生きていくことがいかに過酷なものか。「うまく」やるには「女性像」に沿って生きて、恋愛、結婚…と進んでいくことが求められる、女性だから当たり前にケアを求められる。わたしとわたしとたらしめるものが奪われていくことが日常的に存在し、胸がひりひりとしていた。

・2022.12.09

B&Bで脇田あすかさんとのトークイベント。本のデザインに込めた思いについてたっぷり伺う。脇田さんにお願いして本当によかったなと思う。

・2022.12.08

下北沢で仕事、いつもの階段から見れる景色がだいぶきれいだった。月が大きい。

・2022.12.07

髪型を変えたから何なのか着たい服が変わってきて、着たい服を着るためにはもっと引き締まったからだが必要な気がして、ここ数年だらけていたことを反省している。やっぱりジムとかピラティスとか行ったほうがいいんだろうか。

・2022.12.06

早朝4時起きで取材。そのあと取材場所で銭湯に入って現地解散したあと、次の予定まで時間があったのでガストで仕事をする。注文したらネコ型ロボットが配膳してきて、予想してなかったこともあってかなりびっくりしてしまった。配膳されたお盆をとってもネコ型ロボットが帰ってくれなくて「はやくしないと冷めちゃうにゃ」のようなことを言われて本気で戸惑った。結局ピンポンを押して店員さんにネコ型ロボットの秘密のボタンを押して帰らせてもらった。コストカットなどいろいろあると思うけれど、さすがにディストピア感がすごくて、いつか全部こうなったらやだなあと思ってしまった。新宿で健康診断、いつもと違う場所を選んだけどいつも通ってるところの斜向いだった。健康診断後の定番としてロイホでごはん食べて帰った。

・2022.12.05

昼に辛ラーメンを食べたせいでずっと腹痛に悩まされていた。どしゃぶりの中、夜遅くに出かけて次の日の早朝取材に備え流山おおたかの森のビジネスホテルへ。きれいだけど壁が薄くて、どこか遠くの咳払いなどが聞こえる。ビジホで寝るの本当に苦手だ。

・2022.12.04

12月だ! 師走、という感じで慌ただしく進んでいく感じがあるけれど、この季節の澄んだ空気や太陽の低さが好きで、なんだか気分がいい。昨日は聴くと確実に踊りたくなるTodd TerjeのInspector Norseを聴きながら踊っていた。年末がたのしみすぎて。

このあいだパーマをかけたから、髪に水をつけて、自然乾燥させる。いつもは朝起きたら、できるだけアホ毛が出ずにボリュームが収まるように必死にコームでとかして押さえつけていたけれど、パーマをかけるとルーティーンに変化が出ておもしろい。高校生の頃に初めてパーマをかけたときのことを思い出し、気分がその頃に戻っている感じがある。当時は校則で「パーマ禁止」というのがあって、「このくらいゆるいパーマだったら地毛と言い張れるよね」と話していたなあ。今思うと、なんでパーマが禁止だったのかまったくわからない。当時はストレートパーマや縮毛矯正が大流行していて、「パーマ禁止」なのにストパーはOKだったのは何なんだろう。地毛が明るい友達は「地毛証明書」を提出していた。沖縄県は人権侵害につながる地毛証明書の廃止を求め、県立高校に通知したらしい。

いい天気、何度も乗り間違えながら、ひさびさの横浜へ。横浜駅の出口って難しくて、いつも自分がどこに向かっているのかわからなくなってしまう。STスポットでチーム・チープロの『京都イマジナリー・ワルツ』。KYOTO EXPERIMENTで上演したものの再演で、2020年の緊急事態宣言発令後にパフォーマーの松本奈々子さんが始めた、想像上のものや人、風景と踊ることを試みる「イマジナリー・ワルツ」を京都バージョンとして展開したものだそう。丁寧なリサーチによるワルツや社交ダンスの歴史や、ダンス芸妓の歴史などをたどりながら、制度によって一方的に身体が奪われていくことや、まなざしまなざされること、触れ合うことや手を取り合うことについて問いかける。重さ、イメージについて。視線を送るということは質量を伴わないはずなのに、こんなにも重みがある。それがはっきりと伝わり、鳥肌がたった。まだまとまりきっていないけれど、たくさんのことを考えた。

このあいだ倉田翠さんの『今ここから、あなたのことが見える/見えない』を観たときにも感じたけれど、作品におけるリサーチや制作の過程にとても関心が出てきた。演劇やダンスなどのパフォーマンスをこれまであまり数多く観れてこなかったなと感じているので、2023年はたくさん足を運びたい。

足早に横浜を出て、ひさしぶりの実家へ。「最近どう?」と父に聞いたら、「この生活はもう飽きたよ」と返ってきた。高齢者であり持病もあるということで注意をはらっている親にとっては、気が気じゃない日々はまだまだ続いている。コロナが始まった頃は実家に帰っていたけれど、それからは同じテーブルでごはんを食べておらず、今日も離れたところにあるテーブルで食事をした。触れ合えない距離感。昼に観たイマジナリー・ワルツのことを思い出す。母の食事はやっぱりおいしくて、ワインを少し飲みすぎてしまい、お酒の力で徐々に離れたテーブルが気にならなくなってくる。

もう着ないから、と、父が着ていたコートや母が使っていた鞄をたくさんもらった。母も父も父親を早く亡くしたから、わたしはおじいちゃんに会ったことがない。母方の祖父は洋画が好きで、海軍で勤めたあと、英語が好きだったことから米軍で勤めていたらしい。この話は今日始めて知った。その後石油会社で働き、クウェートで亡くなっている。クウェートってどんな場所なんだろう。母がクウェートに住んでいたら、どうだったんだろう。譲り受けたコートや鞄や、親から聞いた断片的な記憶をもう少しつなぎ合わせていって、そこから歴史をたどっていく年に来年はしたいなと思う。(me and youのニュースレターより)

・2022.12.03

我が家では蜘蛛と親しく暮らしているところがあるけれど、今日はリビングでごはんを食べているときに足長蜘蛛が天井から目の前に降りてきてさすがにびっくりした。そんなところに糸をはったのか?

gicipiのタートルが届いた。赤と紺。素材がいいのに割とお手頃でもっとほしくなっちゃう。冬はタートルネックを着ていると落ち着くので毎日着たい。

・2022.12.02

来年に向けてとても大事な連絡をして、これから先のことがたのしみで仕方がなくなった。

・2022.12.01

朝は英会話。先生に「自民党がポリスタっていうムービーを始めたからそれを観て感想を教えて」と言われて「ポリタスじゃないんですか?津田大介の」って言ったら「調べたらわかる…」とのこと。フィーリングで通い始めたけれど、先生の関心のあるイシューが自分とかなり重なっていてだいぶたのしい。勇気を出して行ってみてよかった。

2022年11月の日記

・2022.11.30

仕事が一分たりとも余裕がないかんじ。

・2022.11.29

昔からの男友達の一人称がいつ誰とでも「わたし」でぶれないのなんだかいいなと思う。男性の一人称は「僕」「俺」「わたし」とあるけど女性はだいたい「わたし」しかないよなあ。不思議。柏井さんのオフィスへ。仕事でだいぶばててたけれど嬉しくなって飲みすぎてしまう。BGMにしていた映像で若いトム・ヨークが映っていた。

2022.11.28

大事な話をしに代々木上原へ。これからがますますたのしみに。

・2022.11.27

日記屋月日さんでの会が今日で最後だった。会を通じて自分自身の日記の書き方が変わるかな?と思っていたけれど、自分自身は特に変わらなかったかもしれない。自分にとって日記を書くことは、忘れることが怖くて、忘れっぽいという自覚のある自分の記憶を代わりにどこか別の場所に覚えててもらう、という意味合いが強くて、それは多分ずっと変わらないことだと思う。

ボーナストラックでみやじさんとしゃべってて、わたしが「チェックチェック〜」と言ったらみやじさんの鞄から「チェックチェック」という雑誌が出てきて爆笑した。ついに予言ができるようになったか。

どこかで本でも読もうかな、と思って3冊持ってきたけれど、徹底的に家でごろつこうと急遽予定を変更する。トイレ掃除の道具がなくなったなと思ってドラッグストアに行ったらあれこれほしいものがあって目移り。ドラッグストアってほんと大好き。家に帰ってトイレ掃除をして、ぐちゃぐちゃになっている本をジャンル別に整理した。読み途中の本が多すぎる。

・2022.11.26

昨日globeを聴いた影響で朝はSpotifyでTKまわりの曲を歌ってた。m-floなどをはさみつつ、最後はcoccoに行き着いていた。夜は巨大な枕を抱えて登場したもえちゃんと飲む。

・2022.11.25

定例会をしていたら数年ぶりの人がわたしのことを発見してくれて、外で仕事しているとこういうことが起きるんだなあ。東京、狭いようで全然人とすれ違わない。

夜、日比谷で倉田翠さん演出・構成の『今ここから、あなたのことが見える/見えない』。大手町・丸の内・有楽町エリアで働くワーカーが出会い、彼らのコミュニケーションを通して立ち上げる舞台ということで、大丸有SDGs ACT5というプロジェクトのなかで行われているようだ。

舞台にはオフィスでよく見る綺麗に生けられた花、会議室によくあるテーブル、オフィスチェア、などなどが並ぶ。爆音のglobeの「SWEET PAIN」から始まる。「やり直しがきく今なら 昨日が気まずいだけ」。舞台に出ているのは、弁護士事務所で秘書をしている女性、不動産会社で働く男性、普段役者として舞台に立つ仕事をしているわけではない人たち。一人ひとりが自分の日常や日々考えていることをそれぞれ話していく。ラルクのライブに行きたかったこと、サンプリングをもらってしまうこと、暗渠やテニプリについての熱狂、タモリと根暗の話、子供が不登校だということ、大学生の頃に子供が産まれて土下座したこと。スクリーンにはUDトークが映されている。弁護士秘書の女性の話を聞きながら、わたしも12年間女子校だったよ、このあと飲みに行こうよという気持ちになる。けれど、すべての話が、感動的だったり自分にとってすばらしくいい話だというわけでは全然なく、それぞれの人間み、整合性のなさ、ぐちゃぐちゃな部分も含めて、ずらりと舞台に並ぶ。きれいなスーツ、オフィスカジュアルの服を着て、会社に向かって歩いている人々の無色さとは相反するいろいろさがあった。どんな人にでもその色々さがある、ということは日々のなかでふと忘れてしまう。電車の前の席に座ったゲームをしているサラリーマンらしき男性を見て、その見た目だけで、自分の人生で交わることがほとんどないだろうと自分のなかで選び取ってしまって、通り過ぎてきたことを思い出す。帰りの満員電車の風景が違って見えた。

こないだ観た展示でも、映像制作の過程で生まれる対話を見てきた。ここ最近、作品を作るという過程に強い関心がある。作品を作る、ということでしか生まれない対話が存在しているようで、そのことについて学んでいきたい。来年は演劇や対話を大切にした作品をたくさん観る年にしたい。

・2022.11.24

晃生が出張で大阪へ。しばらく一人暮らしで寂しい。リビングを占有してやろうと思う。

朝、英会話の先生から遅れるという連絡があって、広場のベンチに座ってぼおっとしていた。保育園の子供たちが遊んでいる。何人かで遊んでる子、二人で遊んでる子、一人でいる子。一人でいる子と目があった。この子は何を考えているんだろう。幼稚園の頃、みんなで遊ぶのが得意じゃなくて、一人で絵を描いていた記憶が蘇る。お泊り会が死ぬほど嫌だったし、そもそも幼稚園に行きたくなさすぎてギャン泣きしていたらしい。でもわたしの母も、保護者会とかでほかのお母さんとまったくつるんでいなかったな。今振り返るといろいろと辻褄が合う。英会話はこの間うまく話せなかったことをエッセイにして書いてきたことでうまく伝えられてよかった。hypocriticalという言葉を覚えた。

仕事、だいぶはかどった感じがして気持ちがいいけれど、どうも一人だと仕事をしすぎてしまって目が冴えてうまく眠れなかった。生理がきて、気持ちが少し落ち着いている気がする。やっぱり先週の調子の悪さはPMSも関係しているのか。もう生理がきはじめて240回目とかだと思うけれど、いつも忘れてしまう。いい加減PMSの時期をちゃんと予測したいので、一番見るであろうGoogleカレンダーに「PMSかもしれない」といれた。

・2022.11.23

秋晴れが続いていたけれど、今日は雨降りでぐっと冷え込んでいる。昨日終わらなかった仕事をしながら、先週のことを考えていた。ここ10日間くらい調子がよくなくて、自分を昔から支配し続けている考えが強い力でぐいぐいと引っ張ってきて、いつもはそれなりに操縦して行きたい方向に気持ちが向けているけれど、どうにもこうにもいかなくて本当に困ってしまった。這い上がるためにいろいろとできることをしてみて、新しくしてみたこともある。そのおかげなのか、ただ時間が過ぎたからなのかはわからないけれど、こんなに雨が降っているのに目の前が澄んでいる感じ。お気に入りの曲が詰まったプレイリストから「i don’t know anything」と聞こえる。わからないことばかりだ。

雨降りだけれどせっかくの休日なので、どこかに出かけることに。東京都現代美術館で行っている『ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台』を観に行くことにした。オランダを代表する現代美術アーティストで、映像制作を対話構築の契機と捉えた実践を続けてきた彼女の国内初めての個展だそう。入り口でヘッドフォンと美しいデザインのパンフレットを手にして、会場を回る。順番はなくて、好きなものから観ていいそうだ。いくつかのスクリーンの前に木でできた舞台セットのような造作物があって、そこにヘッドフォンのプラグを差し込むと音が聴こえる。自分も登場人物の一人になっているような感覚になる。

植民地主義、ナショナリズム、家父長制、フェミニズム、ジェンダー。丁寧な考証、個人の言葉、場所が持つ記憶が絡み合いながら、さまざまな交錯する問題が浮かび上がってくる。映像の持つ力を感じた。例えば『ヒア』という作品は、かつてオランダ植民地とのつながりがある人々による紳士クラブだったという改修工事中のアーネム美術館で撮影され、テキストの朗読や、FREDというバンドによるインドネシアの伝統的なクロンチョン音楽、彼女たち自身の曲などが重なり合う。今この場所で立って生きていくためには、感情の機微も、社会を取り巻く状況や歴史的背景も、どちらかだけを重んじるわけにはいかないのだ。

『オブサダ』という作品では、女性という立場から映画を制作することについて話し合い、互いに撮影する過程で即興的なアクションを行う。そのなかで「子守りをすることが一番の芸術的挑戦なの」というような言葉や、自尊心が失われてしまうことに悩んでいるような話に触れて、自分が先週ずっと悩んでいた「支配し続けている考え」は私個人の中から勝手に湧き上がってきたものとは言い切れないものなのだということを作品を観ながら思い出していた。

時間が足りず最後まで観れなかったけれど、本を読み感じたことを話し合う姿が印象に残っている『彼女たちの』。東京と横浜で撮影され、林芙美子と宮本百合子、女性や階級の問題に強い意識を持つ異なる二人の作品を手がかりに、さまざまな人々が対話を交わし、朗読する。作品の一つひとつが創作の過程や、歴史、個人的な声、対話を重視してつくられていて、とても誠実だと感じ、刺激を受けた。

閉館時間の関係で観れなかった作品もいくつかあるので、年末年始に時間があるときに続きを観にきたい。年末年始のしんとした空気の中、静かな美術館や博物館に行く時間が大好きなのだった。展示会場を出たところにあるナディフの展示関連コーナーには、林芙美子や宮本百合子、エトセトラブックスやザ・フー、IWAKANの本なども並んでいた。

帰り道に居酒屋「だるま」の近くにある古着屋さんで青色のカシミヤのニットをお手頃な価格で見つけてうれしい。前にだるまで飲んだ日のことを思い出す。あの日はコロナ前だったな。今日はお休みで入れなかった。駅前あたりで、どしゃぶりと強風で傘が壊れる。未だに強風のときにどうやって傘をさしたらいいかがわからない。

いい休日だったねえと話しながら、夕飯。テレビではワールドカップのニュースが流れている。ワールドカップの盛り上がりに毎年ついていけないまま気づくと終わっている日々を34年間過ごしているけれど、いつか変わるのだろうか。変わらないのだろうか。(me and youのニュースレターより)

・2022.11.22

仕事の合間に、レンナさんとアップルパイを食べに表参道へ。短い時間にぎゅっと詰まったおしゃべり。今日のテーマは自意識だった気がする。

今日は自分のことを手綱でつかめている感じがして調子がいい。カウンセリングに行ったことが効いているのかはわからないけれど、聞いてもらえるということの大事さを感じる。身近な人間関係においても聞く、聞かれるは大切だけれど、相手にとっては自分がしたい話をすると気に触る可能性がある。でもそうやって話したいことを押し込めていくと、自分がなくなっていってしまう。「自分の話を絶対に聞いてもらえる」ということがお金を払うことで手に入る安心というか、ある種お金を払っている関係だからできることというのはあるよなあと感じる。

・2022.11.21

Alice BomanというアーティストとPerfume GeniusがコラボしているFeel Like A Dreamという曲が美しくて、立ち止まる。自分にとって音楽は薬のような効果が強いような気がして、メロディやリズムや声が重なりあいながら自分に染み渡っていくと、そのときの自分の死んでいた部分が蘇るような感覚がする。そうやって何度も助けられてきている。好きな歌詞もあるし、言葉ももちろん大事な要素のひとつだけれど、意味合いを理解して好きになるというわけではなく感覚的に受け取っているから、言葉にするのがいつもすごく難しい。

夜、学芸大学のリ・カーリカで剣持さんとごはん。コース料理、あまりにもおいしくて感動した。シェフの方もすばらしくて、いままで行ったお店のなかでもかなり好きなお店になった。オーガニックワインも厳選していて、全然頭が痛くならなくって。新卒で入った会社の先輩だったはずの剣持さんとも気づくとだいぶ長い付き合いで、生きていくということについて深いところまで潜って話すことが楽しい人の一人。

・2022.11.20

ベッドからいかに抜け出すかが大切だ、と毎日しつこく思い続けてるけどなかなかうまくいかない。

髪を切って着たい服に似合うようになった気がしてうれしい。決まりすぎないというか、適当な感じもあってそれがいい。アホ毛が多いのでそれが目立たないのもありがたい。インスタのストーリーにニューヘアをあげちゃお、と勢いづく。が、いらない自意識が働いて、褒めてほしいと思われるんじゃないか、わたしの髪型など誰も興味がないんじゃないか、など別の自分が問いかけてくる。それらの自分を追い払って、そのへんのチューリップの写真をかわいいね!ってあげる感じと変わらないのだ、と自意識のチューニングをしてから目を瞑ってアップした。そこまでするならアップするなよ、と思われるかもしれないけれど、正直気に入ってるから誰かに褒めてもらいたかったのだ。

バスに乗って二子玉川へ。買うつもりはなかったけど、グレーのウールのスカートとギンガムチェックのコートを買う。うれしくてだいぶ浮かれてしまい、家に帰ってもかわいくてにやにやする。

・2022.11.19

髪を切りたくなったので、Instagramで見つけた気になる美容師さんのところに行ってみることにして、おまかせでオーダーした。意外な共通の友人がいることがおもしろかったからという理由と、ジェンダーにとらわれないヘアスタイルをつくるのが好きだというところがいいなあと思って。ゆるいパーマで顔周りを少し短くして、ちょっとウルフっぽく伸ばせるようにしてもらった。高校生の頃の髪型みたいでやたらと落ち着く。

いくつかの服屋さんをまわって、電車に乗ってカウンセリングの場所へ。行きがてら何人かにおすすめされた東畑さんの『聞く技術 聞いてもらう技術』を読む。カウンセリング、たったの50分ではあるけれど、話をしっかりと聞いてもらえた、という感じがある。ちゃんと聞いてもらえるだけで、なんでこんなに気持ちが落ち着くんだろう。自分の内側の内側の方にいる自分が喜んでいるのを感じる。何回かかけて、少しずつ解いていきたい。

髪型を変えたからか、男の子が着てる服がもっと着たくなった。晃生が買ったヘルスニットのたっぷりサイズのサーマルのタートルを安く買い取らせていただいたのでいっぱい着る。

・2022.11.18

朝起きて、いい一日を送ろうな、と自分に呼びかける。カームダウンさせるイメージで。ここ最近の自分は少し暴走しがちだった気がする。コントロールできていない感じがある。

夜、新卒で入った会社の後輩2人と、同期でもうだいぶ長い付き合いの福ちゃんと4人で韓国料理。後輩とはあまりにひさしぶりで、7年ぶり?と話していた。「竹中さんにもらったドーモくんのぬいぐるみ、まだ持ってますよ」と言われたけれど、そんなのあげたことすら持っていたことさえも思い出せない。

ここ1,2年ほとんど話に出ることはなかった前の会社の同僚や先輩たちの名前が次々とあがって、一気に当時の気分が蘇ってくる。辞めるときはいろいろと思うことがあったけれど、一緒に働いている人たちのことは大好きだったんだ。上司たちは自分のこともちゃんと評価してくれていて、のびのびと仕事ができていたように思う。だから、大変だったけれど5年間くらい働いていた。当時はslackとかなかったから、よくFacebookメッセンジャーで仕事のやり取りをしていて、懐かしい名前の一人ひとりを検索してみたら、過去のやり取りが見えて、胸がいっぱいになった。

本当に楽しくていい会社だった、けれど、後輩が「入ったばっかりのとき、性差別的なことが罷り通っててそれが本当に嫌だったんです」と言う話をして、ああそれはほんとうにあったよな。わたしも辞めたうちの一つの理由はそれだったんだから、ということもしっかりと思い出した。

今の自分がここ数年でできあがったものだと思ったら本当に大間違いで、すべての時間を経て、すべてのつながりを経てここに立っているんだなあということを再確認した。長い月日を越えても、なんの違和感もなく会えるのだということ、そして一回会ってしまうともうこれから気軽に会えるんだろうなあという気分になる。

・2022.11.17

ひどく寒い日。朝は英会話、Nikeのレイシズムについて扱っていた広告についての話になって、ポジティブな面もネガティブな面も話したかったのに、まったくうまく話せず落ち込む。先生にDisagreeと言われて、あ〜そういうことではなく…となって取り乱してしまった。その後、打ち合わせなど。夜のBig Thiefのライブ、本当に本当に楽しみにしてたけれど、調子が悪くて行くのをやめた。悔しくて絶対に感想とか調べないようにする。

・2022.11.16

心がざわついてる時って大体、携帯を見ながら同じループを繰り返している。アプリを開いたり消したり。特に何も見ずに。いらない自己分析を始めてしまい、すればするほど「私はこういうところがある」ということでがんじがらめになっていくような気がする。このままでは落ちるところまで落ちてしまいそうだったので、ひさしぶりにカウンセリングを予約した。前の人は合わなかったので、調べて見つけた新しい場所へ行くことに。ずっと悩み続けていることを対処療法的にやり過ごすのではなく、根幹から見つめてみることにしたい。

友達から連絡がきて、新たな一歩を踏み出すことを教えてくれた。いつも背中を押したり前向きにしてくれるから、そのおかげだよ、というメッセージがきて、弱ってたこともあるからか泣いてしまった。自分が誰にとっても必要のない存在なのではないかという気持ちに陥ってしまっていたので、誰かにとっていいことができていたのだということが感じられて本当にうれしい。同時に、いつも同じようなうじうじとした思考回路に陥っていることが、おこがましいような、恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちになる。

夜、りおちゃんとゆめさんと新宿でごはん。5年前くらいにみんなでカラオケ行ったときの写真を見て笑った。

・2022.11.15

あんまり落ち着いて自分の心を整理できていないような気がしてそわそわする。どこかに書き出したり、考えたりする時間が必要だ。朝ごはんはパンとスープ。外で打ち合わせ2つ。その後、自分を卑下することを人に押し付けるような発言をしてしまい言い争いになる。家に帰っていろいろ考えたけれど、前提となっている考え方が違うと、なにか誤解として相手に伝わってしまうこともあれば、こちらにも伝わってきてしまうことが確実に存在している。難しい。

・2022.11.14

好きな色の組み合わせがあるなあ、と思ってiPhoneのメモに書いておいた。水色と茶色、緑と黒、赤と紺、クリーム色とキャメル色、グレーとピンク。

・2022.11.13

エルピス二話。まさかの安倍が出てきてびっくりする、踏み込んでてすごい。「国家権力ってもんはプチっと潰しても声が出せない、出したとしても周りに聞こえないような人を狙うんで」のような言葉がすごくて、思わず書き留めた。Twitterで反響を検索する。Twitterはこういうときの反応、人々の声を調べるのに重宝しているから、そういう意味ではなくならないでほしい。

夜、Twililightできくちゆみこさんとカナイフユキさんをお招きしたイベント。ゆみこさんが教えてくれた、シュタイナー教育で行うという銅の玉を隣に渡していく時間がよくって。円になって座るということは隣と隣が連なっていることなんだなあと実感。過去の自分を癒してあげるために、というような話が出て、ああ、わたしもそれがしたいのだ、ということを思い出した。私の月星座はなんだったかな?と家に帰りがてら調べたら、蠍座だった。

・2022.11.12

キッチンのシンクの汚れが急に気になり始めて、家にあるいろんな掃除用具を使ってもなかなかとれず、最後に使った重曹の効き目が抜群だった。新築、というのは言い過ぎかもしれないけれど、越してきたときのシンクに近い感じ。光ってて気持ちがいい。掃除をしていると、ある種なにかの罪滅ぼしというか、心のなかの淀みを磨いて流していっているような感覚がある。何かわかりやすく小さな成果を得られる体験をいくつも持っておきたい。

夕方、幡ヶ谷でまりかと晃生と。行こうと思っていたお店はお休みで、それから5,6軒まわったけれどどこもいっぱいだった。この街の人気っぷりよ。上原のちょっとした居酒屋にやっと入れて、下のワインバーに寄って帰った。わたしの好きな人たちにいいことがいっぱい訪れるようにと願った夜だった。

・2022.11.11

最近、母から連絡がきた。大学時代仲が良かったけれど、近頃は年賀状しか交換していなかった友人に思い立ってLINEをしたらしい。岐阜のキムタクのパレードを見て、岐阜に住んでいるその友人のことを思い出したから、だそうだ。「失った45年、話したいことたくさんある」と返事がきたらしくて、今後会うことにしたんだ、と嬉しそうにしている。その話を聞いて、キムタクというきっかけ一つで45年間の時を超えて距離が近づくことがあるんだよなあ、と心が震えてしまった。そんな大きなきっかけがなくても、ふとした瞬間に思い出す、ということでさえもそれがきっかけなんだと思う。

こないだの月蝕の日はみんなが空を見上げていて、Instagramを見てもさまざまな場所に住んでいる人が同じ月の写真をあげていて、それもすごくよかった。わたしも月の写真をあげたら♡をつけてくれた女の子がいて、聞いてみたらインドネシアで暮らしているらしく、しばらくDMのやり取りをしている。何かをきっかけに時間も場所も超えて、遠く離れていたはずの人やものと近づくことができる、ということにいつだって心が惹かれてしまう。ニュースを見ていたら、今日の夜は月が火星に接近する日、みたいだ。

今日も晴れていて気持ちがいい。この季節の午前中にしか感じられない太陽の感じってあるよなあ、なるたけ晴れている日は外を歩くようにしよう、と思いながら渋谷へ。朝ごはんを食べそびれ、時間を気にしながらヴィ・ド・フランスでパンとゆで卵とコーヒーを5分くらいで食べる。普段の食事では食べるのは遅いほうだけれど、時間がなくてもそこまで慌てずに食事を済ますことができるのは、社会人になってから身につけたスキルだ。

金子由里奈さんが監督した『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の初号試写へ。大前粟生さんによるこの本を読んだときに感じたことを今でも覚えていて、さらに『眠る虫』が素晴らしかった金子さんによる映画化だから、とても楽しみにしていたけれど、楽しみ以上だった。登場人物一人ひとりが愛おしくて、それぞれが抱えていることをとても丁寧に扱っているところもよくて、音楽もとってもよかった。途中からほとんどずっと涙ぐんでいて、帰りにプロデューサーの髭野さんにお会いしたから感想を伝えようと思ったけれど、言葉にならなかった。いつもこういうときにすぐに言葉にできないことや、初対面の人と話すときに滝汗をかいてしまうことであたふたするけれど、この映画を見たあとはそういう自分に対して「大丈夫だよ」とどこかから声が聞こえるようだった。

話せるときに話したり、話を聞いたり。少し大丈夫になった人が、大丈夫ではない人に声をかけたり。そういう場所を大事にしていきたい。同時に、そうした場所が行き渡って、道を歩いていても電車を歩いていても脅かされずにやさしさを感じられる社会になってほしい。この作品では「ぬいサー」という場所のやさしさについて思うところがある白城という登場人物のことも丁寧に描かれているというところも、とても大事なことだなと感じた。彼女はぬいぐるみとしゃべらないけれど、そこに一緒にいるのだ。そのことについても引き続き考えたいし、原作も読み返したい。

帰り道、この季節は電車から差し込む光もいい感じで眠たくなる。お昼ごはんは何を食べようかな、と考えながら歩いていたら、「ねえ、今って夕方?」と親に聞いている子供がいる。「12時だから、夕方じゃないよ」。12時が夕方だって、17時が朝だって、7時が夜だって、そう思う日があってもいいはずだ。気づくとわたしたちは時間を気にしすぎている、時計を見すぎてしまっている。最近、時間と資本主義社会について語られている映像を見たことを思い出した。社会化されすぎていない時間感覚を持つ日も大事にしたいなあ、と思った。

家について、植物たちをベランダに出してあげよう、と思い立つ。霧吹きでたっぷり水もかけてあげた。部屋にあったぬいぐるみたちも、一番光が差し込む窓のそばに置いてあげた。

・2022.11.10

なにか深層心理をあぶり出したような夢を見た。最近そういう夢ばかり見ている。あまりにも気にとられすぎるとよくないだろうなあと思って、メモはしてない。でも、夢がなにかを教えてくれようとしているようにも思う。夜、ARToVILLAのプレス、レセプションパーティへ。オンライン上でしか会ったことがなかった方々や、森さんや綿貫さん、中橋さん、大北さんなどにお会いして、いろいろおしゃべりできてたのしかった。三瓶さんもいらしてて、うれしかったな。パーティは得意ではないけれど、知っている人がいるパーティは心強い。

・2022.11.09

昨日、皆既月食の写真をストーリーにあげたらいいねをしてくれた人がいて、アカウントを見に行ったらヒジャブを被っている女の子で、アップされている写真の雰囲気も素敵で、どこの国だろう?と思ってメッセージを送ってみた。何通かメッセージのやり取り。こういうことが起きる、ということにこそネットのよさがあると思っていて、もっとそういう瞬間を積み重ねていきたい。自分が一番うれしくなる、どきどきするのはこういうことなんだな、という再確認をした。

いい天気なので、晃生と散歩して隣駅のカフェへ。だいぶはかどった。週に1,2日はどこかで集中的に作業をする時間があるのがよさそう。帰りに書店へ。この本屋さんはジェンダーの棚がとても充実していて、ほしい本がずらりと並んでいる。前来たときは気づかなかったけれど、左は皇室関連、右は百田尚樹の本や「慰安婦は嘘」という本、憲法を改正せよという本が面出しされていて複雑な気持ちになる。それぞれの棚の担当が陳列の際にどういう会話をしているのか聞いてみたい。

歩いて家まで帰る。いい運動になった。夜ごはんを作って、ごはんを食べながら『エルピス』をみはじめた。噂通りおもしろくて、毎週の楽しみになりそう。

・2022.11.08

朝インスタを開いたら、アメリカに住んでいるはずの人と東京に住んでいるはずの人が同じような月の写真をあげていた。違う場所で同じものを見ている、そういう瞬間が存在していること、というのにとても惹かれてしまう。

昼、ご近所のようこさんとカレーを食べた。はじめてのお店。遠くに安達茉莉子さんの本が見えた。風が強い日で、外にあった花瓶が倒れたそばには國分功一郎さんの暇と退屈の倫理学。ちょうどキンプリのニュースがあったので、そのことについて、とか。仕事の合間のごはんの時間を誰かと過ごすというだけで、だいぶ自分のなかに風が吹き抜ける感じがする。会社員時代はこういう時間が日々のなかに自然に存在していたんだよなあ。すっかり忘れてしまっていた。

夕方出かけようとしたとき、お母さんから、今日は皆既月食だよ、というLINE。どうりで道行く人が空を見上げて写真を撮っていたんだ。朝のインスタもそういうことだったのかな。どんな場所からも変わらず同じものを見ることができる、月や太陽という存在があることが急に尊く感じる。自分という存在のちっぽけさに気づいて、すうっと気持ちが楽になった。

かなめさんや柿沼さん、ゆめさんとごはん。4人でごはんに行こうとだいぶ前に言っていたけれど、コロナとかいろいろあってこのタイミングになって、それぞれの近況について共有。こういう時間が少しずつ増えているようでうれしい。

・2022.11.07

午前中たっぷり休んで、だいぶ気持ちを整えることができた。Twitterを開いたら、イーロン・マスクのことでMastadonに行こうとしてる人がちらほら。時代の節目を感じる。これまでもTwitterに思うところはいろいろあったけれど、いよいよ本当に信用できない場所になっていくのかな。next social media platform などで検索するけど、やっぱりMastadonとかしか出てこなかった。Twitterやめようかなあと1年くらい思い続けている自分としては、マイクロブログのMastadonをやるのであればwordpressでやってるこのブログで十分こと足りてるなという気分。自分が書く分には。Twitterだけでなくソーシャルメディア自体から離れていく人も増えていくような気がする。そうなるとまた新しい場所ってどうなるんだろ。新しいプラットフォームがまたどこかで生まれるのかな。初期のMySpaceの感じがあるプラットフォームがそんなに流行りすぎない感じで生まれたらいいなあ。

・2022.11.06

昨日の夜は大変で、わたしも晃生も酔っ払ったせいかなかなかひどい喧嘩をした。そもそも駅に行くためのバスに乗れなかったのがよくなかった。道が暗くて怖いのもよくなかった。歩いて帰れるのでは?と思い歩き始めたものの、いつまで経っても辿り着けず途方に暮れて、不機嫌をお互いにぶつけ合うみたいになっていて、そのときは感情がぐちゃぐちゃだったけれど、バス乗り場に戻るという選択肢を見つけてからは「わたしたちは早くホテルに帰りたいだけだったのだ」ということを思い出せた。深夜2時くらいにホテル着。普段あんまり喧嘩をしないのでたまにはこういうことがあってもよいだろうと日曜になったら思えたけど、その最中は絶望的だし喧嘩はやはり疲れるので、限界状態でも落ち着けるような心持ちを手に入れたい。

目覚めて、会場に行く気力が失われてしまったので2日目は行かないことに決めた。このあたり、特に粘らずに精神面含めた体調を何より優先しようとするところが一致するのが本当にありがたい。掛川をぶらつこう、と思ったけれど二日酔いでダウナーすぎたのでごはんだけ食べて帰ろう、ということにする。近くにハンバーグで有名なさわやかがあることがわかって散歩がてら行ってみたけれど、長蛇の列で入れなかったので文具屋でファンシーグッズを見てもとの道を戻った。自然薯の店があってランチ。しばらくとろろはいいかなあという気持ちになる。

一日ぶりの家に15時くらいに着いて、ベッドでごろごろしながらやっぱり家は最高だなあと思った。泊まりがけのフェスは体力的にもう厳しいのかもしれない。いや、酒を飲みすぎなければ大丈夫なのか?反省モードで一日が終わった。

・2022.11.05

frue festivalへ。フェスとか久しぶりすぎて、というか宿泊ありの旅行も久しぶりだから、嬉しくて早く起きてしまった。パンとコーヒーを買い込んでロマンスカーへ。せっかくロマンスカーに割と気軽に乗れる場所に住んでいるから、これからはもっとふらっとロマンスカーに乗って日帰り温泉にでも行きたいねえ、など話す。掛川の駅でやまちゃんに似てる人を見かけて、「やまちゃーん」と呼びかけたけれど気づかれず、でもやっぱりやまちゃんだった。みんなでタクシーで向かうことに。タクシー運転手さんが、どんなに違う話をしても全部ドラクエの話に回収していて、会話というのはここまで自分の話に引っ張っていくことができるのかと驚く。

会場に着いたら岡田拓郎さんが演奏していた。千葉広樹さん、山本達久さん、石橋英子さんとの4人編成。半屋外みたいな会場はいい開け具合で、リラックスした雰囲気だった。このフェスはごはんもお酒もあまりにも美味しくって、食が進む。いい感じに酔った状態で見た折坂悠太さんのライブ、すごかった。どんどん進化している感じ。ハルカフさんに会う。あゆみさんにも会って、予約が取れないというラ・カーサ・ディ・テツオ オオタのバターたっぷりのチキンがやばいよと聞いて、食べながらPino Palladino and Blake Mills featuring Sam Gendel & Abe Roundsのライブ。贅沢すぎる。フェスに行くとお酒やご飯を重視しすぎる傾向があるので、今考えるともうちょっと近くで見に行けばよかった。Salamandaを最後にステージの近くで一人で見て、その時間もよかった。酔っ払いすぎて、Donna Leakeは見ずにホテルに帰ることにする。

・2022.11.04

何を考えているかわからないと感じるときに、ついあれこれと想像してしまいモヤモヤしたりそわそわしてしまうけれど、結局それは自分の想像の範疇でしかない。そんなことわかりきっているけれど、でもなんでこんなに人は勝手に想像してしまうんだろうか。

・2022.11.03

のぞみん、薫さん、ももちゃん、きみちゃんとピクニック。のぞみんがシャインマスカットを持ってきてて、それを洗う用の水も持ってきていて、水を浴びるシャインマスカットに太陽が照らされててきれいだった。ピクニックとはまったく関係のないふとした出来事が外部からやってきたことで急にもやもやした気持ちが芽生えて、少し動揺してしまったけれど、フリスビーをしてたらだいたいどうでもよくなった。公園は最高。太田達成監督の『石がある』を観に、フィルメックスへ。今日の一日の中にこの映画の時間があってよかったな。個人的な感情が動いたことの大事さ、利害のない関係性、信頼と距離感とは、無意味さについて。犬、日記を書くこと。終わった後の太田さんのQ&Aの時間もすごくよくて、人柄が滲んでいた。会場に来ていた映画に関わった人たちのことを一人ひとり紹介していた。きみちゃんと金子くんと晃生と飲みながら、映画の話、太田さんがすばらしいって話をした時間もよかったなあ。

・2022.11.02

YouTubeのAlice Cappelleという人のチャンネルが好きでいろいろ見ている。リビングのエアバイクを漕ぎながら、15分間。今日は「time is a social contruct」という動画を見た。社会、思想についてポップカルチャーを交えながら軽やかに話してくれるチャンネル、日本にもこういうYouTuberはいるのかな。夜ごはん、富ヶ谷の麗郷でしおたんとゆめさんと。ひさしぶりで、時間が足りなかった。

・2022.11.01

取材を受けるありがたい機会があって、たのしい時間だった。どうしても写真を撮られるということが苦手で、いつもぎこちなくなってしまう。終わった後に大丈夫だったのか?という不安に駆られる。自意識過剰だと言われたら終わるのだけれど、どう見られるのかということについての恐怖感がずっとあって、なぜそういうふうになったのかもだいたいわかってはいるのだけれど、ありがたい機会をもっと楽しむためにもいいかげん払拭したいなあ。

夜、青山で大事な友達と久々に二人で会った。会って本当によかったな、と思った。なぜかわたしには話してしまう、と言ってくれたのがすごくうれしかった。聞く相手になれている、安心して話してくれていると感じることが自分にとって本当にうれしいことなんだなと思う。

幼少期や思春期にあった辛かったことを、自分が過大に思い過ぎているのではと疑ったり、なかったことにしたほうが楽になるんじゃないかと思うことがあるけれど、決してそんなことはないんだよね、という話をした。彼女と私の経験は同じではなく、わかるよと言うことは絶対にできないけれど、こうして話すことで重なるところが見つかり、自分の過去も癒えていく感じがした。話すってすごいことだな。どうしても拭えなくてそのままにしてきたことを、そろそろ解きにいきたいなと思う。そう思った夜だった。

2022年10月の日記

・2022.10.31

雲のない青空、あまりにも気持ちがよくて絶対に公園に行きたいと思った。ちょっと高いけどおいしいパンを買って、公園で昼ごはん。ビルも見えず人もほとんどいない、広い広場に寝転がっている瞬間が一番生きていることを感じられる気がする。定期的に土を踏まなくてはいけない。帰り道に小学生とすれ違ったときに「ポリコレ」と聞こえて、思わず振り返った。

月末なのでお金まわりの整理。源泉徴収について作業しながら、これはナチス・ドイツにならって取り入れられた制度なんだよなあ、と思うとげんなりする。由来を知ってげんなりすることが多い、特に仕事においては。「戦略」という言葉もなるべく使いたくないけれど、無意識に使っている戦争に由来したビジネス用語も多い。

ここ最近急に外出が増えたこともあって、日々積み重ねていったルーティーンが崩れて少し不安定になっているように感じる。ひさしぶりにYouTubeを見ながらストレッチ。コメント欄で同じストレッチをしている人たち同士を応援しあう文化とってもいいよね、と思ってる。いくつか回遊していたら、ビュー数が多い動画では英語やさまざまな言語で「今日は忙しくてあんまりできなかった」とか「がんばったから自分を褒めたい」とかそういうことが書かれていた。国を問わずみんな悩んでいたりすることがあって、こうやって共有できる心強さってあるよなあ。そしてこういう「場所や言語などをこえて、個人的ななにかしらで繋がる」ということにどうしてもいつだって惹かれてしまうのだということを再確認した。

・2022.10.30

朝、ボーナストラックで日記の会。毎回この会はものすごくきれいな青空で、風が抜けて気持ちがいい。飲みすぎたせいか昨日の夜はあまり眠れなくて、靄の中を歩いているような気分で電車に乗った。大人になったら計画的にお酒を飲むことができるようになると思っていたけれど、そんなにできていない。むしろやや酒癖が悪くなっているような気がして自分のことが心配になる。

晃生と待ち合わせをして、府中の競馬場へ。天皇賞があるからたのしみに前から入場券をとっていたのだった。駅についたら大量の人、受付で入場用のバーコードがうまく表示できずあたふたする。大体の入り口で突っかかる人生を送っている気がする。嫌な予感はしていたけれどやっぱり混んでいて、混みすぎている場所が苦手なわたしたちは次第に口数が少なくなり、一レースもしっかり見ずに帰宅することにした。馬も全然見れないし。コンディションがよくないときは自分の境界線が薄れるのか、まわりの人の言葉や感情がどんどん自分に染み込んできてしんどい。結局家に帰って、ベッドに寝転がってスマホで漫画を読んでいた。漫画サイトでレコメンドされた『九条の大罪』を一気に読む。恐ろしい、けど実際に存在しているこの社会の黒いところをどっと浴びつつ、なにがよくてなにが悪いかを判断するということがときに困難になるこの世界を思った。

テレビもSNSもあまり見ていないせいで、梨泰院で起きた事件に気づくのにだいぶ時間がかかってしまった。

・2022.10.29

英会話へ。準備がいろいろ間に合わず宿題もできぬまま出かけた。がんばって早起きしたんだけど、他にやるべきことがあったりして、時間が足りていない。慌ただしい気持ちでいくつかの予定がある日に突入するのはあまりよくない。来週あたりから立て直さなきゃ。

大学の友人たちとの集まりで、カルディでワインとおつまみを買って家へ向かった。卒業後はしばらく会っていなかったけれど、25歳とかそれくらいのときから1年に1,2回集まっていて、もう10年近く経っている。大学時代、ライブでダイブしたり中指を立てて舌出して写真に写っていたような友人が、不動産業で都内のビルを動かす仕事をしていて、「でも家を買うのはフィーリングでしかないよ」と話していることとか、だいぶ感慨深い気持ちになる。友達が好きな人と出会う過程を話してくれるなかで、「小一時間話した」じゃなくて「小二、三時間話した」と言っていたのが話す時間がたりなさすぎる感じがあってすごくよかった。しょっちゅう会うわけではないし、普段過ごしているコミュニティもそれぞれ全然違うのだけれど、なんとなく思い出して連絡し合ったりしている関係がいくつかの場所に存在していて、それがわたしにとって心地の良い距離感なのかもしれない。

晃生と国際映画祭でやってるノア・バームバックの『ホワイト・ノイズ』を観に日比谷へ。身近に存在している死をテーマにした作品でありながら、この現代社会に対する風刺たっぷりにコミカルに描いていて、アダム・ドライバーやグレタ・ガーウィグの演技もよかったし、最後の曲はLCDサウンドシステム!すごくおもしろかったし、今考えたいことが詰まっている作品だった、と思う一方で、国際映画祭という場所では映画館とは異なり多くの人が声をあげて笑うことが許されるシチュエーションで、その笑いに暴力性を感じる瞬間が何度もあった。特に、終盤にかけて。性暴力を告白するシーンがあって、そこで笑っていた人のことをわたしは絶対に忘れない。群衆による熱狂の怖さを風刺している作品でもあると思うから、その「笑い」についても考えてた。NetFlix配信が始まったらもう一度観たい。

終わったあと、日比谷の飲み屋街で晃生とごはんを食べに行って、気づいたら深夜1時をまわっていた。晃生は飲み屋で、横の席にいる知らない人に話しかけるということをよくするのだけれど、そのたびに、本当は隣にいる人といくらでも出会えるはずなのに、日常の中で隣のいる人が永遠に交わらない存在として過ごしていくことがほとんどで、そのことを不思議に感じる。

・2022.10.28

えりさんと「アイスクリームが溶けても」の収録。食べものやお酒の話をした。いつも思うけれど、話すという行為は予定とは全然違うところに自然と進んでいくからおもしろい。だいぶ昔に感じたり考えたりしていたけれど、そのままどこかに眠ったままになっていたことが、話すことで引き出されたり、広がっていく経験。今日もそんな話ができた気がする。

ニュースレターを書いたり、ばたばたと仕事をしながらゆめさんと軽く打ち合わせをして、蟹ブックスへ。花田さんと話をしながら、ここ数年で働き方の変化がいろいろあることを振り返っていた。なんかそういう機会が最近ぎゅっと集まっている気がする。終わったあとにゆめさんと高円寺で軽く飲んで、これからのこととかを話した時間がよかった。

・2022.10.27

夜、つめをぬるひとをお招きしたつめをぬる会でゆったりした時間を過ごした。日記は書けず。

・2022.10.26

生理のせいなのかなんだかわからないけれど、頭痛がひどく体調が悪くなって寝込んでいた。イベントの出演があるのに。熱もないし咳もなくて、たぶん生理のせい。晃生にいろいろと買ってきてもらって、ありがたかった。朝の打ち合わせはお休みさせてもらって、ロキソニンとチョコラBBと鉄分のサプリメントを飲んで2時間くらいしっかり寝たらびっくりするほどすっきりした。眠って起きるくらいのときに、身体にまつわりついていた重いものが外に出ていくようなイメージが湧いた。シャワーを浴びたら、何だったんだろう?と思うほど普通の状態に戻っていた。

エトセトラの松尾亜紀子さん、佐藤亜沙美さんとのトーク。黒鳥社若林さんとヴーヴ・クリコの方と。なかなかお金まわりも含めた経営のことについて話す機会がなくって、新鮮な機会だった。起業や独立という言葉にまとわりつくなんとなくきらきらしたイメージがあるけれど、まったくそれだけではなくって、わりと現実的な、地に足がついてないとやっていけない部分があることについてもっと話していきたい。前に進んでいく勇気をもらったし、いただいたワインが本当においしかった。

・2022.10.25

興奮したからか、あんまり寝れなくって、そのまま朝8時からme and you clubのお茶会。寝れないとどうしてもぼんやりしてしまって、この日は日記を書けなかった。

・2022.10.24

あゆさんから内見に同行するという謎の誘いがきたとき、おもしろすぎてすぐに返信した。内見ってだいすき。2軒周ったけれど、一つはとてもよくって、不動産屋の人よりもこの物件の良さを推してしまったような気がする。似合うよ〜って服を勧めているようなカジュアルさで物件を勧めてるけど、家はそんなに簡単には決められないものだよなあ。

代官山でTaiko Super Kicksのライブ。情景がそこに立ち上がるようで、とても感動した。一人一人がそれぞれでありながら、共にある、を表現の中でやり遂げていて、彼、彼女たちにしかできないことをやっているんだなあと思った。身内であるとか友達であるとかそういうことは関係なく。12月のWWWもたのしみ。終わったあと、あゆさんと飲んだ時間も良かった。

・2022.10.23

ワタリウム美術館とかそのあたりを散歩しようという話をしていて、外苑前に行く電車に乗っていたけれど間違えてしまって、代々木公園の駅で降りることに。中国点心専門店ができてて、わたしが住んでいた頃にはなかったよねと話しながらお店に入った。すごくおいしくて、充実した気持ちになる定食、住んでたときにあったらよかったのにな。もう外苑前に行かなくていいのでは?となり、適当に渋谷あたりを歩くことにした。予定を決めて、次にここ、次はここ、とするのはそんなに得意じゃなくって、毎分変わっていく気分に合わせて変えていく、という感じの方が休日を感じる。渋谷の馬券場で2レースだけ見た、当たると思ったけれど全然当たらなかった。

家に帰って黒沢清の『回路』を観た。黒沢清のホラーのやつ、わたしはかなり怖がりでホラーとかそういう怖いのはあまり観ないようにしてるんだけど、90年代独特の怖さのようなものに触れたくなって晃生と観ることにした。おもしろかった。死んだらどうなるのかは決してわからず、みんなが共通して持っているわからなさのこと、その中で今ここにある生を生きること、つながることができる、ということのおそろしさと希望、昨日観たドラマと伝えたいメッセージは一緒なのかもしれないなあと思う。永遠の死ももちろん怖いけれど、永遠の生もわたしは怖い。

・2022.10.22

朝、英会話でアイルランド・ダブリンの話を聞く。英語が使われているけれど、それとは別にアイルランド語があること。調べてみたら第一公用語であるアイルランド語の話者はたったの2〜3%しかいないらしい。けれど、見せてくれた免許証はアイルランド語で書かれていて、彼は「読めない」ということ。言語の歴史を辿って、侵攻の歴史をちゃんと知りたい。

そのまま出かけようと思ったけれど、どうしても着ている服が気に食わなくっていったん家に帰った。服を着替えて、銀座へ。渋谷駅で乗り換えようとするときに、急に大学時代のときに仲良かったある友達の顔が浮かんだ。恋愛で起きたしょうもない話が中心だったと思うけれど、彼女には何でも話せる感じがあって、話している時間が好きだったこと。なんで全然会わなくなっちゃんだろう。自然とそうなったのかもしれないし、わたし側に何かあったのかもしれない。数年前に一度LINEの履歴が全部消えてしまったから、どんなやりとりをしていたかも思い出せない。あの頃って、誰かとのやりとりはもうLINEだったんだっけ?一応彼女のことを検索していたら、ピザとワインのアイコンで存在していた。トーク画面まで開いて、「久しぶりに飲もうよ〜」って書きかけたけれど、さすがに急すぎるかなと思って少し思いとどまった。

銀座で、資生堂ギャラリーの展示へ。それぞれの作品がそれぞれでありながらゆるやかに呼応しているところや、余白や過程、考え途中のことなどをたい切にしているところが面白くて、小さな展示室が誰かの日常やどこか遠くと繋がっているように感じる体験だった。目 [me] による河川敷の映像がすごくよくて、たまたま同じタイミングで隣に腰をかけた人と一緒に夜の河川敷にいるような気持ちにあった。会場を張り巡らせるロープが、隔てているようで、行きやすくしている感じもあって。見えないものが見えるようになるような、そんな展示だった。

銀座の歩行者天国ってだいすき。いくつかお店やギャラリーを回って、カフェで昨日TOUTEN BOOKSTOREさんから届いた『言葉の展望台』をちょこっと読んだ。予定を詰めずに、一人で気ままに過ごす時間の大切さ。晃生もわたしが忙しい日にそういうことをやっていて、お互いにそういうふうに一人の時間を大切しているところが自分たちの関係性の好きなところだなと思う。

『モダンラブ・東京』の黒沢清が監督した回だけ見たけどすごくよかったな。恋愛をテーマにしたドラマのはずだけれど、恋愛!という感じの話ではなく、生きていくこと、死んでいくこと、そういうことを考えるドラマ。でも人を愛することと生きることは深く関係しているのだから、と、まとまらないことを考えながら眠った。

・2022.10.21

夜、あっこゴリラさんのライブを観に、新代田Feverへ。みっちゃんとハルさんに受付でばったり会う。らなさんにも会えた。GOOD VIBRATIONSはつながりを大事にしているイベントのようで、アーティストの方々を見ても、お客さんを見ても、こういう場所が存在しているということ自体を楽しんでいるように思えてとてもいいイベントだった。あっこさんの音楽とともに、音楽と音楽の間の言葉も印象に残っていて、同じ旗を振ろうとわたしは言わない、けれどそれぞれの旗を掲げてほしい、という言葉が残っている。たとえ言葉で言わなかったとしてもそのことが伝わるような、音楽の力を感じた。

みっちゃんとハルさんの靴下がピンクと緑で、ホームの向かいに座ってるときに靴下がちらと見えてかわいかった。

・2022.10.20

柏井さん、横田さん、ゆめさんと夜ごはん。新しい会社を始めたばかりの柏井さんがすごく眩しく見える瞬間があって、何かやりたいことをやろうとしている人しか放たない煌めきってあるよなあと思う。わたしたちも、She isを始めるとききっとそういう眩しさがあったのかもしれないな。me and youも新しいことではあるけれど、どちらかというと「新しい」よりも「続いている」「続けていく」の方に意識が向いているから、眩しさとは違うのかもしれない。二人がわたしたちのことをバンドとして表現してくれたの、面白かった。わたしはリードギターらしい。

・2022.10.19

こないだ土曜に働いた分休もうと思い、午前中を休みに。朝は英会話に出かけた。話の流れで、トランプの話、そこからキャンセルカルチャーの話になって、自分の意見を言いたいのにうまく言葉にできず、それが考えとしてまとまっていないからなのか、語彙力が足りていないからなのかわからなくなったけれど、多分どっちもなんだと思う。ちょうど『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』を読もうとしていたところだったから、ますます読みたくなった。

この間バーに行ったときにTelevisionの話になって、中高生の時に一時期やってたブログの名前を「see no evil」にしていたのに(恥ずかしい)最近全然聴いていなかったなあと思って聴いていたら、やっぱり涙が出るほどすごくかっこいいし、再生前から頭の中でギターのリフが再現できて、やっぱりたくさん聴いていた曲ってそうなるんだなあって思った。わたしの頭の中には何曲くらいそういう曲が入ってるんだろう。

・2022.10.18

打ち合わせと収録と。とにかく小さいことでイライラしてしまって、人格が変わってしまったような感じがするけれど、多分生理が来るんだと思う。生理が始まる7〜10日前くらいからいつも感情がおかしくて、生理中は感情はましだけれど体調がそんなによくないから、冷静に計算すると生活の二分の一がよくない状態って思うと本気で悲しくなるから計算しないでおく。

・2022.10.17

9月に買った「弱さ」の哲学特集の『群像』を少しずつ読み進めている、頭から。文芸誌、いつもなかなか読み切れないのだけれど、気になったときにちょこちょこ読むように置いておきたい。上田岳弘さんの『多島獣の話』続きが気になる。

今日は朝、窓の外から「ママはミーアキャットが〜〜」と聞こえて、駅から帰る時にも「ミーアキャットは別に猫じゃないんですけど〜〜」と聞こえて、ちょっと怖くなった。こういうよくわからない偶然が重なると、ミーアキャットにわたしは何かしてしまったのか?という気持ちになる。

夜、寝っ転がりながら『七年目の浮気』を観た。

・2022.10.16

昨日飲みすぎてしまったからか何もできなかった。二日酔いの日ってなんでこうなってしまうんだろう。絶望的な気持ちで目覚めた。昨日は帰りながらかなり悲観的なことを口走っていたらしいけれど、全然覚えていない。

たまたま目にした「産み控え」という言葉の、残酷さ。クーポンという手法もそうだけれど、この名前に宿る残酷さってなんなんだろう。

夕方、アイコと晃生と新大久保へ。今度韓国旅行に行こうという話をしていて、その打ち合わせも兼ねて。韓国食材をたくさん買えてうれしい。大学一年の時にフランス語のクラスが一緒だっためぐとも15年ぶりくらいに会って懐かしかった。韓国人の友達に教えてもらったという、チャミスルの瓶の蓋の裏側に書いてある数字を当てるゲームをしたりした。前にイギリスに行ったときにイギリス人の友達にビールを使ったゲームを教えてもらったことを思い出した。日本ってそういうゲームあったっけなあ。

・2022.10.15

取材。駒沢公園はワンコフェスをやっていたので犬が大量にいた。花壇のまわりに並ぶプードルたち、もうちょっと寄って!と写真を撮る風景に気持ちが和む。ひさびさに駒沢にきたので、ピキヌーでカレーを食べた。ライスにナンプラーをかけて食べるのがおいしくて家でもやりたい。

電車で用賀へ行って、そのあと家まで歩いて帰った。涼しくなってきたと思って長袖ででかけたけれどあたたかい陽気で、40分くらい歩いていたら汗がにじんだ。イヤフォンもせずに、ただ何も考えずに歩く。乗り物に乗って移動するのは早いけれど、隙間も余白も生まれない。そうした時間がとれるような日々を送りたい、来年はなるべく。

夜ごはんを食べに近場のお店でごはんを食べた。酔った勢いで晃生に「わたしは何を人生のテーマにしていると思う?」という雑な質問をしたら、まじめに答えてくれた。ものごとの表だけでなく、裏側を覗こうと、めくろうとするところがあるよね、といったことを言われて、たしかにそういった面はあるかもしれないと思った。また誰かに聞いてみたい。店を出て、この間行ったバーにレコードを忘れたから、と一杯だけ飲もうと立ち寄ったら、きづいたら4,5杯ジントニックを飲んでいてべろべろに酔っ払ってしまった。政治の話や女性の扱われ方について、もはや何を話したのか覚えていないしどうやって帰ったかも覚えていなかったけれど、携帯のメモを見る限りそういうことを話したんだと思う。いい時間だった。

・2022.10.14

近頃しらたきばかり食べている。しらたきでつくる豆乳担々麺がかんたんでおいしい。気にいるとそればかり食べてしまう。集中して仕事ができて、身体が整っている感じ。とてもいいこと。

夜、パルコのシネクイントでM.I.A.の映画を観た。M.I.A.は大学生の頃にエレクトロにはまっていてKITSUNEのコンピを聴き漁っていてそれで知ったのをよく覚えている。けれど、彼女の背景については全然知らなかった。なぜ知ろうとしなかったんだろう。音楽でこんなにも伝えようとしていたのに、と自分自身に少し歯がゆい気持ちが湧いた。

印象に残っているのは、自分の中で譲れないもの、人生のなかでやっていくべきことを見つけている、彼女の表情だ。憧れのマドンナの舞台に出たけれど、いい顔をするのではなく、譲れないからこそステージ上で中指を立ててしまう彼女の「そうせざるを得ない」というところも。難民問題、マスメディア、女性の人権。いろんなことを考えた映画だったけれど、何より音楽が持つ力を信じたくなる映画だった。肌蹴る光線による上映で、きみちゃんが「見えていないものを考える」というテーマでこの映画を選んだ、というのがすてきだなと感じた。好きな女の子たちも何人もきていて、テンションがあがった。飲み行こうぜという話もあがったけれど、次の日の取材に備えておとなしく帰宅。えらい。

・2022.10.13

あすけんで記録しはじめて体重が2kg減っていて、やればできるじゃないかとやたらと自信が湧いてくる。昨日までできない感覚に襲われていたはずなのに。数字がすべてではないと思っているはずだけれど、数値によるわかりやすい変化が自分を保たせてくれるときがたしかにあって、今回に関してはそれだった。歩数を稼ぎたいという目的のもとなるべく歩くようにしていたことで、考えが整理されたり身体が動いているという気持ちよさが手に入ったし、カロリーを減らしたいという目的のもとやっていた運動は、普段使わない筋肉が動くことでリラックスできたし。しばらく続けてみる。

朝は取材があって、今まで話したことがない話ができたのがよかった。昼、道玄坂にあるタイ料理屋さんでゆめさんとごはん。あすけんの話などをする。わたしは記録癖のようなものがあるから合ってたけれど、果たして他の人に勧められるものなのかはよくわからない。お会計をするときに、店員のお姉さんが「お久しぶりですね」と声をかけてくれる。覚えててくれたんだ!といううれしさ。また来よう。

しばらくオンラインで定例会をやっていたけれど、最近はなるべく会って行うようにしていて、それがすごくいい気がする。何でも話せる気分になって、なぜか口をついて「私って何が得意だと思う?」とゆめさんに聞いてみた。唐突すぎだよと思ったけれど、なんか聞いてみたいと思ったのだ。もらった回答は、わたしがやっていけたらいいけれど自信がなかったことと重なっていて、ああやっぱりがんばろうという気持ちになれた。それくらい自分で見つけて人がなんと思おうと自分でしっかりと掴んでいなさい、という見方もあると思うけれど、自分で考えるとわりとボヤッとしてしまうので、信頼している誰かに聞くことで自分が無意識にしている行動や考え方を教えてくれるんじゃないかなと思う。他の人にも聞いてみたいな、と思う。

・2022.10.12

三軒茶屋のtwililightで打ち合わせ。9月から『わたしとあなた 小さな光のための対話集』が書店に並び始めて、twililightさんでもお取り扱いをしてくださっている。できたときからずっと行ってみたかったけど行きそびれていて、この打ち合わせで初めて訪れることになった。階段をのぼり、「ニコラ」を通り過ぎ、さらに階段をのぼってドアを開けると、店主の熊谷さんの人柄が滲んでいるようなやさしい空間が広がっていた。そして目に飛び込んできた『わたしとあなた』。この場所をつくりあげる一部になっていてすごくうれしい…。取り扱っていただいている本屋さんに一つひとつ足を運べたらな。

屋上にあがらせていただき、茶沢通りを眺める。twililightのすぐそばにはこれまた大好きなTROPEというお店がある。わたしが暮らしていたときとそこまで大きく変わらない風景に安心する。柴田元幸さんが訳し、カナイフユキさんが絵を描かれている、レベッカ・ブラウンの『ゼペット』と、江國香織さんの短編集『ぬるい眠り』を買った。最近、麦島汐美さんの『アケルマン・ストーリーズ』を読んでいて、そのなかの日記で江國香織さんの小説が何度か出てきたから、ひさしぶりに読みたいと思っていたのだ。誰かの日記が次に手に取るものを連れてきてくれることが、最近すごく多い。

階段を降りて、茶沢通りに出る。ゆめさんと別れ、ごはんを食べに向かった。三軒茶屋はわたしが生まれ育った街で、4年前くらいまでここで暮らしていた。コロナ後も何回か訪れていたけれど、一人で来たのはひさしぶりで、ああそうだ、親とよく食べに行っていたイタリアンに行こう、と思い立った。お酒が好きな親とはよくごはんに行っていたけれど、コロナになってから外食を控えるようになって、この店にもまったく行けてなかったのだ。

目的のイタリアンは満席で、あいたら電話します、と言われる。その間にトイレに行こうと思って、キャロットタワーの2階に向かった。当たり前だけれどトイレは全然変わってなくって、手を洗おうと鏡に向かったら、ふと絶望してトイレに駆け込んだときの10代のわたしが現れて、どきっとした。

結局電話はかかってこなくて、チェーン店のイタリアンに入ってパスタを食べて、次の予定まで時間があったからスタバの2階で仕事をすることにした。大学に入ってすぐ、ここのバイトの面接を受けて落ちたなあ。そういえばわたしは郵便局の年賀状バイトさえも落ちているのである。おしゃれなお店に一人で入るのが苦手だから、スタバはちょうどいい時間を潰すための場所で、学生時代によく訪れていた。2階の窓から見える景色に、制服を着たわたしが通り過ぎたように思えた。彼女はきっと、246沿いにある今はなきレコード屋の「フラップノーツ」に向かう。そして偶然ジャケ買いしたビキニ・キルの「Reject All American」をきっかけに、ライオット・ガールのことを知るのだ。多分。

変わらない風景に安心していたはずなのに、気づくときれいな思い出よりも消してしまいたいような思い出ばかりが浮かび上がってきて、胸が苦しくなってしまった。三軒茶屋にはあまりにも多くの思い出がありすぎる。途切れずにそこで暮らしていたときにはまったく気づかなかったけれど、この場所を離れたからそう思うのだろうか。

動揺していたからか、次に向かうべきなのは目黒駅だったのに、18歳のときにスタバの面接に落ちた代わりに働けることになったフレッシュネスバーガーがある中目黒駅についてしまった。何をやってるんだろうな。

・2022.10.11

晴れてすごく嬉しい。やっぱ晴れじゃなきゃだめだ。曇りや雨の日が続いていたからこそ、晴れの日の嬉しさを実感できるということもたしかにあるのだけれど。

六本木に収録に向かう。行きの電車で見た空があまりにきれいだった。山崎まどかさんにゲストとしてお越しいただき、ある往年の映画について、そして近日公開される映画についてお話を伺った。まどかさんの話を聴いたり、本を読んだりすることで、自分が何を大切にしていきたいかをいつも再確認させてもらっている。

学生のとき、社会人になってからも、自分があまり本数を観ていないからというので「それも知らないのに」とあしらわれる経験があって、それがきっかけで映画が好きだと言えない日々が続いていた。けれどここ2,3年仲良くしている映画が好きな人たちは、自分が人生の中で大切にしたいことを忘れずに映画を観ていて、映画を通じて自分が大切にしたいことについて考えているところがあって、そういう人と映画の話をするのはすごく楽しい。意見が違っていたとしても。まどかさんもテーマを持って映画を観ていくことのお話をされていて、わたしもそうありたいし、そう考えるとわくわくする気持ちが湧いてくるのだった。

・2022.10.10

最悪な夢を見た。定期的に見るから日記にも度々登場してるかもしれないけれど、バンドでステージに立ってギターを弾けない夢。毎回、みんなに失望されてしまう。今日見た夢では、もう一人のギターの子のとてもうまい演奏とともに彼女の手元に映像が寄って、ノートが見えるのだった。ノートには切り貼りしたギターコードとメモが詳細に記されていて、努力していたことがわかる。わたしは何も努力していなかったのだ。その後場面が変わって、エスカレーターに乗っていたわたしが手でしっかりと掴んでいた何かが、エスカレーターの強い慣性の力に引っ張られて持ちきれなくなり、どこかへ勢いよく飛んでいってしまう。全体的に「できない」という感じが強い夢で絶望する。幼少期からのこの強い「できない」の感覚に襲われていて、いつか解き放たれるのかな?

朝、読書。読みかけのデヴィッド・グレーバーとマーク・フィッシャーの本を読みたいと思って、少し前の方に取り出した。ここ2か月くらいで読み終わった本をNotionにメモする。読んだ本のことをすぐ忘れてしまうので、忘れないようにすべてメモしている。メモしない間はまだ読み終わっていない感覚なのだ。できれば、本の感想について話すときはこのメモを見ながら話したい。記録に対するこの強い執着はなんなんだろう。

昼ごはん、中華料理を食べに。帰り道に近所の神社に行って、お参りをして出ようとしたら「がんばってね!」と声をかけられた。知らない人だったけれど、エールを送られるのは今のわたしにはうれしく感じて「ありがとうございます!」と答える。状況によってはがんばれ、が重荷に感じることはあるかもしれないけれど。わたしは特にどこの宗派というわけではないけれど、ご都合主義的に神様を信じていて、こうしてお参りをすることで神様に許してもらえるんじゃないかと思っているところがある。

夜は『サポート・ザ・ガールズ』のトーク。話すことについてもっと精進しなくては、と反省しながらも楽しい時間だった。ケア、寄り添うこと、どれだけコミットするかの難しさについてはもっと考えたいし、学びたい。終わった後me and you clubのメンバーの人たちが集っていてとても心強かった。

・2002.10.09

日記の会。自意識と自我の違い、エモい日記の話などが印象に残っている。書き始めて自分が変化したことについて、など。帰りに月日さんに立ち寄って、懐中日記という小さな日記を買った。書く欄は罫線がなくスクエア型で、何を書こうかな?描くのにも向いていそうだ。月日さんの前あたりにりんご屋さんがいたので、赤いりんごと青いりんごを一つずつ買った。

急に化粧品がほしい、と思い立って渋谷に向かった。スクランブルスクエアの化粧品コーナーでいくつか見て回る。コロナ以降まったくコスメカウンターに行っていなかったし、オンラインで化粧品を買うこともだいぶ増えたけれど、もともとは百貨店の化粧品コーナーがだいすきなのだった。OSAJIで気になってた香水とシャドウを買って、アディクションでリップを買った。セルヴォークにも立ち寄って、試してから買おうかなと思ってフルでメイクをしてもらった。普段自分ではこんなに下瞼にメイクしないけれど、だいぶ雰囲気が変わる。眉毛の形を褒めてもらえてうれしい。眉毛は前髪でどうせ見えないし、と適当にしてたけれど、メイクしてもらうとやっぱり違う。自分の手で施す仕事をしている方への尊い気持ちが湧いて、やさしい気持ちになった。行きは渋谷の雑踏に消えちゃいそうな気持ちだったけれど、下瞼のキラキラのアイラインが自分をしっかりと守ってくれてる感じがする。午後をほかのことに使おうかなと思っていたけれど、今日はこれが正解だった気がする。

・2022.10.08

小田急線に乗って適当に降りてみる遊びをたまにしている。今日は鶴川駅で降りてみた。駅を出て適当に歩き出す。一駅変わるだけで景色もだいぶ変わるし、その街で過ごす人たちも違って見える。その街を構成する要素、例えば建造物や自然のバランス、坂道の多さ、空の抜け具合が異なるから違うというのもあるし、その場所を選んで暮らしている人たちが無意識に生み出している場所の空気感もあるから、なんとなく合う街と合わない街、どちらでもない街があるなあと思う。

武相荘という白洲次郎と白州正子が暮らしていた家があるというので、行ってみた。白洲次郎のようなスーツでキメた人が何人か目の前を歩いている。本気のファンじゃないと入れないのではないかと思い一瞬不安になった。農業をしながら暮らしていたという邸宅は美しく、かつ完璧に整った美しさではなく、白州正子は「無駄が多い」と言いそこに美しさを見出していたそう。今すぐじゃなくてもいつか自分の自由自在に変えることができる一軒家に住んでみたいかもしれない、けれど一箇所に根づさずにあちこちを点々としてもいいかもしれない、わたしはまだ決めきれないなあと考えた。

・2022.10.07

粛々と調べて記録していくことが好きだなあ、ということを最近思い出していた。仕事柄、腰を据えてずっと同じことを調べ研究し続けることは少ないけれど、自分が好きで得意だと思うことにもっと立ち返らなくてはなあと感じる。学生のとき友達に「検索ちゃん」と呼ばれたことも急に思い出した。老後は検索が苦手な人のために代理で検索をして調べあげるサービスとかしようかな。需要あるのか。

夜、Twitterの裏アカで美容アカウントのことをずっと見ていたら時間がだいぶ経ってしまっていた。お尻と脚がとにかく痩せたくて、ストレッチ動画を漁る。自分のなりたい姿になるために努力している人がこんなにたくさんいるのか。わたしは自分のありのままの姿をどうがんばっても愛せず、学生時代に悩みすぎて醜形恐怖症になり病院に通っていたことがある。そういうこともあるからか、ありのままを愛そう、という直球のメッセージは自分にとっては眩しすぎて、厳しく感じられることが多かった。だからなりたい姿になりたい、変わりたいと思う人たちの気持ちが痛いほどわかる。けどその「こう変わりたい」という姿が社会によって押し付けられていないか、メディアによって醸成されてないか、ということはルッキズムについて知っていく中で考えるようになった。ありのままの自分の姿を愛せなくさせている社会の方に目を向けるべきだし、その中で努力して変わりたいと思うことはその人なりの生き延び方なのだから、絶対に奪ってはいけないと思う。ぼんやりそんなことを考えていた。

KYOTO EXPERIMENTもあいち2022も取りそびれて自分の計画性のなさにうんざりする。百瀬文さんの見たかった。

・2022.10.06

寒くて冬だった。昨日からあすけんを始めたので、食べるごはんはあすけんの未来先生の言いなりになっている。明らかに食べる量が減ったから、おなかが空いて次のごはんが待ち遠しくて仕方がない。ごはんを出すときに回転しながら求めてくる犬の気持ちがわかる。

夜なんとなく見始めたドラマ「モー/Moo」が面白くて続きを見ようかなと思った。アメリカで暮らすパレスチナ難民のコメディアンであるモー・アマーさんの自叙伝的なドラマで、労働許可証がないからクビになったり、宗派の異なる彼女が家族に受け入れられなかったり、度重なる苦難にぶつかりながらもふてくされつつ乗り越えていく、コミカルなタッチの作品。日本で生まれた日本人で、日本語を話すわたしが、いかに自由に選択できているか、ということに気づいたのは恥ずかしながらここ数年のことだ。やりたい仕事にどんなにつきたくてもつけない人や、逮捕に怯えながら生きている人はこの国にも存在している。あとでA24が手がけていることを知った。

・2022.10.05

「言ってやった」や「論破」とバズの虚しい関係性。インターネットってこんな場所だっけ? アンダーグラウンドの場所をつくってきた人物が、TwitterやYouTube、マスメディアで「いいね」を稼いでいる姿はかなり滑稽に思えるんだけどどうなんだろう。メディアもいけないよね。どんな意見を持っててもいいけれど、大衆に向けて発言力を持ってしまった人が冷笑的な視点で吹聴するのは、子供も含めて「そういう考え方がいいんだ」というムードの情勢に繋がるので素直にやめていただきたい。

レベッカ・ソルニットの「無邪気な冷笑家」を思い出した。Naive Cynicism。それって意味あるの?という価値観は、じわじわと生きている意味を奪っていくように思える。意味がある、とされているものは数にできるものに収斂されていく。フォロワー数、視聴数、売上、年収、日数。そこにいる人が抱える、複雑でカウントなんてできないもののことは、人々は手放していくんだろうか。それがまかり通った世界であれば、それこそ人間として生きている意味がなくなるようにわたしには感じられる。

秋はレイチェル・ダッドが聴きたくなる。秋のプレイリスト作ろうかな。

・2022.10.04

ニュース、北朝鮮からミサイルが飛んだらしい。日本海じゃなくて太平洋に。ミサイルが飛んでいても日常は当たり前に存在しているし、未だ軍事侵攻が続いているウクライナだって日常を過ごしている姿がニュースで目に入ってくる。どのような状況の国にも日常は存在している。日本で暮らしていると感じるぼんやりと薄暗いムードが、世界中がみんな平等に影響を受けているコロナによるものだと思っていたけれど、それだけではないということがはっきりと感じられるようになってきた。どうにかやり過ごすことしか本当にできないのだろうか。

とはいえミサイルが飛んでいても何もできることはないので、砧公園に散歩に出かけた。この場所に住むことを決めたのはこの公園があるからだ。軍事訓練場だったらしい、という過去を知るとまた薄暗い気持ちがよぎるけれど、この場所を歩いていると平穏な幸福感が訪れるし、東京に住んでいるのを忘れる。やっぱりこの間みたダミアン・マニヴェルの映画にでてきた公園に似てる。枯葉を踏みしめながら小道を通り、小川の横を歩きながら、丘を登っていく。ちょっとした山登りみたい。銀杏がばしばし落ちてくる。拾ったことないけど食べられるのかな。

人に撮られた自分の写真を見てだいぶ落ち込む。日々の生活のたるみが見た目に出ている気がしているし、最近身体が重く感じていたこともあって、ヘルシーになりたいと思ってあすけんを始めた。記録が大好きなのでレコーディングダイエットは向いていそう。

・2022.10.03

昨日の夜は4時間くらいぶっ通しで無料配信中だった『明日、私は誰かのカノジョ』を読んでいたので頭の中がそれでいっぱいに。前に数話読んだことがあったのだけれどこんなに進んでいるのは知らなかった。感想はまだまとまってないけどすごい漫画。一人ひとりの登場人物の生きてる感が。本当にこの世界のどこかにそのままの彼女たちが存在しているような気がする。ぼろぼろになりながらも譲れないものを大切にしながら自分のやり方で生き抜いている人が好きだ。だけれどこの社会の欲望と金の動きにどうしても虚しく辛くなってしまう。家から出なくても課金ができてしまう世界、欲望のループはどこに向かうんだろう。とにかくこの漫画について話したいという気持ち…

終日撮影。プロップ周りをふんだんに盛り込んだ撮影はあまりやることがないから楽しい。最高のメンバー。

夜、明日カノの影響もあったからかTwitterで美容アカや整形アカ、そこからさらにトー横キッズのアカウントを見ていたらだいぶ時間が経っていた。

・2022.10.02

原宿に向かう電車の中、いつも日記をメモしているday oneというアプリを開いたら、11年前の同じ日の日記がサジェストされたので見てみた。2011年10月2日のわたしは23歳で新卒一年目だった。思わずその年の日記を読みふける。毎日終電まで働いていて、楽しいことはあるけど同じことの繰り返し、ブックオフでポールオースターの本を買っていて、「誰も知らない」を観ていた。新卒1年目が会社の忘年会の催しものをやらなくてはいけなくて、そこでチームを代表してなぜか自分が謝っていたけれど平気な顔して謝るのは全然苦じゃない、とか。当時付き合っていた大学のゼミが一緒だった人のことが好きだった理由について、「この世界を生きづらいと思っている同士だから。ある程度うまくできて他人にいい顔もできて、周りからちょっと変わったやつだと思われてるけど、別に何も特別なものを持っているわけではない軋轢に苦しんでいるから」と書いてあって、こうやってやたらと客観的に観察して書いているところがわたしらしくて面白い、根本のところはやはり何も変わってないんだなあと思った。

マリカと表参道から恵比寿にかけて展示を巡った。ゆっくり散歩していろいろ話しながら。She isのときにインターンとしてお世話になっていた新家さんの展示、tanaka daisukeのTシャツのチャームをオリジナルで「She is」にしててびっくりアンドうれしい。YUKI SHIMANEの展示会、最後はナディフで遠藤文香さんの展示。色に魅せられた。北海道に行きたい。

近所の祭り。楽しみにしていたけれど出店とかは何もなく、ステージで子供のダンスと大人のバンド演奏。聞いたことがない曲だったから後で検索したらセカオワだった。目の前で見てたお母さんのTシャツのバックプリントがアレック・ソスだった。

・2022.10.01

行ってみたかった近くの英会話教室に行ってみた。しばらくずっとオンライン英会話をやっていたけれど、いい先生と巡り会うことや予約をすることの難しさを感じて、もうちょっと腰を据えてやりたいと思っていたこともあり、通いで近場でいいところはないかなと思ってGoogle Mapで検索していたらたまたま見つけたところ。先生がアートや音楽が好きで写真が趣味の先生だったからか、話したいことがどんどん出てきて嬉しかった。オンラインで話すのは日本語でさえ苦手なのだから、英語では言葉が出てこなくなるの当たり前だよね。でもやっぱり細かなニュアンスを表現することはできないし、少しでもナーバスになると何も話せなくなる。学生時代からこんなにも語学を勉強し続けてるのに、いつかこのフラストレーションから抜け出すことはできるのだろうか。日本語というものに縛られているように思えて、すごく不自由さを感じる。

狛江の駅前で地べた音楽祭という音楽イベントをやっていた。地べたに座る人たちの合間をぬいながら、石を転がしてピンク色の線をひいている人がいて、「何してるんですか?」と聞いたら「線を引いています」と言われた。たしかにそうなのだ、線をひいている。この間映画を観ていて考えていた、犬の散歩をしているときだけ許される行動が存在することについて話していた。

帰り道、乗り換えで使った渋谷。すれ違うときによけずに真っ直ぐ歩き続ける人の姿がゲームのアバターみたいで、虚しくなった。

2022年9月の日記

・2022.09.30

こんないい天気なのだから朝公園に行けばよかった。秋になるとYo La Tengoが聴きたくなる。ふと流れてきたShadowsを口ずさんだ。ずっとこんな天気がいい。

重力の光がイメフォで最終日、ゆめさんと一緒に観に行った。北九州で出演者の人たちに会った後に観たのは初めてで、心に迫るものがあった。前よりも演劇パートが特に染み入ったのは、北九州で少しだけでも聖書を読む時間に参加させてもらったことも影響しているのだろうか。みんなでプリクラを撮るところや、下別府さんが踊ってる姿も、心に残った。上映終了後、海さんとコムアイさんのトーク。富田克也監督と話されていたという「アンテナ」の話。二人のトークを聴きながら、同じ道を通っていても、同じものに触れていても、きらめいて見える日もあれば何も汲み取れない日もあって、この世界で生きていきたいと感じられる日とそうではない日があることを思い出していた。

・2022.09.29

昨日はイ・ランさんといがらしみきおさんの『何卒よろしくお願いいたします』を読みながら眠った。AIやネットやパソコン、神の話。自分がAIになる、ということを考えたこともなかったからびっくりする。そういえばこの間快快の舞台を観たときに、何十年後にメタバースで〜という描写があって、生きているうちに身体が必要なくなったらどうしよう、という考えが浮かんだのだけれど、既に手元のスクリーンを離したら不安感に襲われる身体に変わってしまっているほどなのだから、その頃には何の違和感もなくなっているのかもしれない。人間中心主義すぎる世界に飽き飽きしている自分もどこかで人間>ロボット、AIだと信じているのだと思い、何がそうさせてるのだろうと考える。同時にもうこの辺りでもう技術革新はいいんじゃないかな、と思っている自分もいる。

大学の先輩とひさしぶりにごはん。2年前に会社を作ったそうで、経営の先輩だ。自分が考えられていなかったけれど、なんとなく考えた方がいいんだろうなあと思っていたことを、やっぱりしっかり考えていて、もっと長期的な目線で考えなければなあと思った。試行錯誤しながらなんとかやってるけれど、相談できる人が何人かいることの心強さを実感した日。

・2022.09.28

今日から仕事、生活を戻そうと7時半に起きていつものストレッチ。洗濯もする。昨日もらった食パンによつばバターを塗って食べる。小松菜のオイル蒸しスープもつくったので一緒に。食べている、という感じがするパンが運動後の身体に染み渡る。できるだけ毎日、こういう気持ちよさを味わいたい。

夜、me and you clubで学びについて話す会をした。学びたいことを書き出して、やっと滞っていたものが流れはじめたような感覚になる。

・2022.09.27

国葬かー。本当にそうなってしまった。惣田さんのインスタの投稿で「国、シンプルにまともになってほしい」という言葉があって、大きく頷いた。直視すると本当に絶望的な気持ちになってしまいそうだから、ややニュースから離れたくなってしまっている。それはそれでこのまともじゃない国で見て見ぬふりをしてやり過ごしている気分になって最悪の気分になる。ニュース見ながらかじった自然食品ミルクサブレがやさしかった。

昨日の乃木坂の物々しさ。都会に出たくないなあと憂鬱な気持ちになって、バスで二子玉川に行った。スタバで作業をして、秋服を買ったら、あっという間に外が暗くなっていた。川沿いでぼおっとしようと思っていたのに。夕方の二子玉川ってやけに寂しい。川沿いだから?

こないだ出会ったばかりのご近所のふうきちゃんが「お近づきのしるしに」と代々木上原のお気に入りの店で買ったという食パンを分けてくれた。漫画とかドラマに出てくるご近所さんみたいだね!と感激して、お返しに何を持って行こうかね、と話しながら階段を上がった。

・2022.09.26

うちの実家にお兄ちゃんの義理のお母さんから大量にお米が届いたみたいで、分けてくれるというので母がスポーツジムの帰りに車でお米を持ってきてくれた。いつもは最近どう?とか話して帰るのに、ほとんど何も話さずに一瞬で帰ってしまって、なんだか他人行儀でぼんやりと寂しさを募らせる。なんでそんなに急いでいたんだろう。実家に住んでいた時間が長く、母には自分のことをだいたい全部話してきた気がするけれど、母のことはそんなに知らないのかもしれない。離れて暮らすともう今の家のほうがずっと落ち着くし、母が今実家のリビングでどんなふうに過ごしているかはまったく知らないんだから…などと考えていたら、「ジムにもう着いた!車だと早い!」というLINEの連絡がきて、ジムの隙間時間にきていたから急いでいたことが判明した。それまでに浮かんでいた寂しさが一気にどこかに消えた。

ところで「お兄ちゃんの義理のお母さん」って難しい表現だけれど、他にいい言い方があるのかな。「お兄ちゃんの妻のお母さん」の方がわかりやすい気がする。お兄ちゃんのお義母さん?読み方は「おかあさん」になるしなあ。わたしは自分の夫の母のことを「おかあさん」と呼ばず、名前をさん付で呼んでいる。わたしにとってのおかあさんはお母さんだけだから、という意識があるからかもしれない。

昼食べたパスタが全然美味しくなくって、身体にどんよりと赤いパスタが沈んでいく感じがした。近頃まったく本を読めていなかったから、読みたかった本を何冊か取り出して昼ごはんの後に少し読んだ。ジュディス・バトラーのジェンダー・トラブルと宮地直子さんの環状島=トラウマの地政学。

六本木で収録、歩いて帰りながら忙しさは調整していきたいよなあなどの話をする。下北沢の2階で一人で坦々麺を食べて、そういえばここの店は前にデザート付きメニューを「レディースメニュー」としていた気がするけれどそうではなくなっていた。変わるもんだな。B&Bで本を納品して、歩いて帰るときにふっとやりたいなあ!と思えることが閃いて、ここ最近の点が繋がるような気持ちになった。来週になったらまた気分は変わっているかもしれないけれど。

・2022.09.25

近所の民家に自販機がある。その横にテラス席があって、どう見ても人の家の敷地内って感じだからそこでくつろぐ人はいないんじゃないかと思っていたけれど、今日初めてそこで自販機の缶を飲みながらくつろいでいる人を見た。やっぱり座っていいんだ! でもまだ家の住人という可能性が拭えないし、本当にその自販機とテラス席が一般人も使っていいものなのかを注意深く見守りたい。

下北沢で二週間ぶりの日記の会。終わった後に日記はすべからくいいものなのか?ということについて話していて、考えながら歩く。今日の話を聞きながら、日記というもののはある種「日付とセットである」というフォーマットしかなくて(もはやそのフォーマットもないのかもしれない?)、その自由さがいいのだろうなと思う。たとえば絶対にこの書き方じゃなくてはだめです、とか、何時に書かなくては意味ないです、とかがあったらまた違ったものになりそう。日記を毎日書くと高収入になりますとか、ビジネス的な文脈が別に付随してもいいけれど、それだけだったらまた全然違いそう。日記の語源的な意味が知りたくて「日記 意味」で検索しようとしたら「日記 意味がない」と出てきて、なくてよくないか?となった。意味に押しつぶされそうな社会って。

家に向かう電車の中、空が広くて気持ちがいい。ライオンズマンション経堂の深い緑色が好きで、あの色の服が欲しい。駅に着くと、ベンチでスーツ姿の会社員らしき人が電話しながら「抑えられるとこ全部抑えといて」と言っている。外で、大きな声で携帯電話で仕事の話をする人、だいたいがお金の話か、枠を抑える話してる。お金の大きさや枠の多さが、自分を大きく見せてくれるのだろうか。

昨日は飲みすぎないつもりだったけれど、やっぱり飲みすぎていたみたいで虚無感にやられる。眠いしおなかも痛いし、外に出るかかなり悩んだけれど、大道寺莉乃さんの『夏には冬のことをすっかり忘れてしまう』の上映会に行くために大塚へ。サリーちゃんが誘ってくれて、前行けなかったから今回こそはと思っていたのだった。大塚、初めて降りたかもしれない。会場のお店のはす向かいにトミヤマカレーがあった。気になる街だ。ビールを買おうとしたら偶然ごちかさんにも会えてうれしい。会場には10数人のお客さんがいた。

イタリアで夫とお子さんと暮らす莉乃さんの日記映画を観て、素直にどきどきした。朝から日記のことを考えていたから、というのもあるけれど、映像でモンタージュとして作るからこそ伝わるもの、残るものがある。鏡に向かって今日会ったことを話す莉乃さん、波の粒子ややくるくる回るメリーゴーラウンドの映像の断片、歌声、10年前にハリネズミカメラ(懐かしい)で撮影したといういつかのビデオ、それらがつなぎ合わさったことで、頭の中をそのまま覗きこんでいるような、文章とはまた異なるリアリティを感じた。最後に添えられた火星に持っていくための地球の音のプレイリスト10曲で、気持ちが込み上げてしまった。20年後、30年後に自分がこの映画をまた見たら、どう感じるんだろう。あるいは100年後に、わたしが死んだ後に、誰か別の人が見たら。あるいは別の国の人が。別の言語の人が。別の惑星の人が。

香港でも同時に上映会をしていたみたいで、香港とzoomを繋いで話す時間もあった。香港だと「寂しさを感じる」という声が結構あったようだった。コロナウイルスによるパンデミックという同じ経験をしているのに、香港の政策との違いを感じるからということらしい。メディアの統制がさらに強まっている香港で、なかなか個人の感情に気づけることが少ないから、日記映画のようなものを通してそれに気づけるんじゃないか、という話もあがった。それと、今回の上映会は知り合いとかその知り合いとかだけしか呼んでいないらしく、小さく届けることについての話も。個人的な内容だからこそ大きなところでたくさんの人に見せる、というのではなく、映像を担いで会いにいくような、こういうおしゃべりも含めた会がいいよねと話していて、今考えていたことの点がつながっていくような感覚を覚えた。帰り道、「大塚バッティングセンター ゆったりパチンコ ひょうたん島」のネオンが輝いていてなんかすごくよくて、思わず映像で記録する。『夏には冬のことをすっかり忘れてしまう』はyaejiの曲からとったみたいで帰りに山手線で聴きたいなと思ったけど、Spotifyには入っていなかった。

・2022.09.24

うどんが食べたいなあ、と話しながらうどん屋へ。明確に食べたいものがあるって気持ちいい、雨でも出かける気が湧く。今年最後の冷たいうどんかな。ケーキ屋さんの奥の喫茶室で読書。前にme and you clubの詩の会で薦めている人がいた、斉藤倫さんの『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』を読む。絵は高野文子さん。福音館書店から出ている子どものための本だけれど、大人になって、言葉の難しさに打ちひしがれるようなときがあったからこそ響くものもあったのかもしれなくて、読み終えるときにじわと涙が溢れた。好きだな、と思う詩にも出会えた。詩集を買おう。できれば好きな本屋で探したいから、Amazonで即買うのはやめた。

体がばきばきだったので、そのすぐそばにあるマッサージ屋でマッサージを受けた。安いやつ。目を瞑っている最中、「(〜〜だったら)店長ころすぞ」と遠くにいるお客さんが笑いながら言っているのが聞こえた気がして、気が気じゃなくなった。足をほぐされながら、そのまま私の部屋に狂人が殴りかかってくるAパターンと、「店長こぼすぞ」とか別の言葉だったのではないかというBパターンがぐるぐると頭を巡った。立ち上がって走り出すことだってできるけど、どうしよう。でもそうしたらお金を払わなかったというので逮捕されてしまうのか? 声が消えて、次第にどうでもよくなっていた。痛気持ちいい。「終わりました」と言われてマッサージ師の名札を見ると「店長」と書いてあって震えた。ころすぞと言いそうな人はどこにもいなくて、空耳だったのか冗談だったのかもわからない、技術力は良かったけど、さすがに回数券は購入できなかった。

下北沢でケイたちとごはん食べて、夏目さんのリリースパーティへ。「人生」よかった。友達や知り合いに会えたのもよかった。だらだらと飲んで1時すぎにタクシーで帰宅。

・2022.09.23

今日もコンビニくらいしか出ずに、ずっと家でぼんやりしていた。夕方になって、ベッド横の本を整理して積み直したり、ぐちゃぐちゃになってた衣類の整理をしたりして、今日もよくがんばりましたという気持ち。

なんとなく見始めた韓国ドラマ『このエリアのクレイジーX』にはまってしまい、大切に少しずつ見ていたのだけれど、第8話「もしかすると私たちには何の問題もないかもしれない」・9話「私の味方ができるということ」が神回で泣いてしまった。軽やかなラブコメでありながら、デートDVやセカンドレイプ、見た目による差別、メンタルヘルスなど今の社会におけるいろんな問題に触れていて、その扱い方がとても丁寧なところがいいなと思う。ただ単純に二項対立にするのではなく、複雑な関係性や感情を肯定しているという感じがする。この人たち最悪じゃん、と思っていた登場人物も、変わらない部分はありながらもちゃんと謝ったり変わっていくところも好きだ。大好きな登場人物も、「それはだめでしょ」という部分を抱えているところも。完璧なんてないわけであって、変わり者であっていいのだ。

人を信じることが難しくなってしまったときに、味方だよとちゃんと言ってくれる人が近くにいることの大切さについて。どうしようもない状態にあったある人に対して何て声をかけたらいいかわからなくなってしまったときに「何があっても味方だから」という言葉がすっと出てきたことがあって、その時のことを思い出してまたちょっと泣いた。『メイドの手帖』『おいハンサム!!』を見てたときにも思ったけれど、このドラマを見終わってしまうことが寂しい。

・2022.09.22

自分で適当に切ってしまった前髪への違和感がそろそろ拭えなくなっていたので、楽しみにしていた美容院の日。とにかく人の髪を切るのが好きな亀井さんに髪を切られていると落ち着く。美容院もでき上がりだけでなくプロセスが大事だよねと思う。近くのカフェで仕事をして、帰り道にSALT AND PEPPERで「BINGO FREAKS」というzineを買った。Matt Goiasという人がラスベガスでビンゴをする人たちを撮影したもの。晃生が買っていたジョナス・メカスのzineに載っていた「keep dancing, keep singing  have a good drink and do not get too serious! OK?」の言葉にやられた。せっかくこのあたりまで来たので、デスペラートリビングに寄ってデニムのスカートを買って、聴いたことのないアーティストのレコードを何枚か聴いて家に帰った。

自分の普段の日常ではなかなか接点がないかもしれないけれど、この世界のどこかで存在する人たちと出会いたいという欲求があるから、そういうプロジェクトや作品にもどうにも惹かれてしまう。これをやらざるを得なかった、という切実さを感じるものにも。いくらかっこよくても、きれいだったとしても、それを感じないもののことはすぐに忘れてしまう。技術的なことや歴史についても勉強不足でわからないことが多いけれど、自分が好きな作品に共通しているのはこういったことなんだろうなあと思う。たくさんのzineやレコードに触れて、何か小さくてもいいから始めてみたいという気持ちがまた戻ってきた。

渋谷川の付近を歩きながら、「前にこのへん歩いたとき、頭虫がたくさんいて、その向こう側でカップルがセルフィーしてたよね」という話をしたら「よく覚えてるね」と言われた。名前や誰かが言っていたことなどの言葉の記憶はどんどんこぼれ落ちていってしまうけれど、ふとしたトリガーがあれば映像でいくらでも引き出される。だからかもしれないけれど、映画というものに凄さを感じるし、怖さも感じる。

夜は近所の友達と4人で中華料理屋で飲んで、何軒かはしご。最後に立ち寄ったずっと行ってみたかったバーで店主の人と政治の話をして、酔っ払いすぎて国葬はおかしすぎるだろという話をしたこと以外はやっぱりあまり覚えていないけれど、またこの店に行きたいなと思える店ができてうれしい気持ち。

・2022.09.21

隣駅まで晃生と散歩。唐突にジャンクなものが食べたくなって、マクドナルドに入る。少し仕事しようかな、と思ったけれど、後ろの席の人の会話が気になってそっちに気を取られてしまった。一人のお母さんがお友達のお母さんに対してこき使っているような口調でそれも気になったけれど、店員さんにも「女の子たちがこれだと喧嘩しちゃうでしょう?」と言いながらハッピーセットを取り替える依頼をしている。続いて、娘に対する「正座をすると不細工な足になるよ、お父さん座りもダメ」という言葉。この雰囲気を二人ともがっつり受け取ってしまって、気分が滅入ってしまった。行きつけのコーヒー屋が休みだったからコンビニでコーヒーを買って、公園で太陽を浴びて回復した。鳩たちがやたらと強気な公園。鳩や道行く犬を眺めながら人って何なんだろう、と考える。

予定がない日が好きだなあと思う。仕事だとタスクをぎゅうぎゅうに詰め込んで時間を気にしながらマラソンみたいにやり続けてしまうタイプだけれど、休みの日はなるべく予定を入れずにそのときの気分で行きたい方へ行ったりやりたいことをやったり何もやらなかったりしたい。今日も何をしたかと言われると、別に何もしなかった。休みだし映画たくさん見ようとか本を読もうとかそういうふうに思ったりもしていたけれど、有意義なことは何もせずに、何もしないをやってやったぜという気持ち。達成感。SNSを見ると意味があるものに溢れていて、変に焦燥感を煽られるので見るのをやめる。特に書きたいなあということも思いつかない。

ぼんやりした隙間みたいな時間のなかで、自分自身が大切にしたいこと、しなくていいこと、やっていきたいなと思うことがじんわりと浮かび上がってきた。それらをノートに書き留めて、一日が終わった。

・2022.09.20

今週は夏休みということにしていて、ちょこちょこ仕事をしているけれどぎゅうぎゅうに詰めていないだけあって気持ちがだいぶ落ち着いている。遠出の予定はなく、いくつか予定が入ってるくらいで、その感じもちょうどいい。何をしようかな。

to doリストにやりたいことを書き込んだら、○○の整理をする、という項目ばかりになった。仕事でも散り散りになっていたことを体系だてて整理をしていくことで落ち着く感覚があるけれど、日常生活の中でも何かに取り掛かるよりも整えるほうに時間をかけているんじゃないかとさえ思う。

アイコと渋谷のメキシコ料理屋さんでごはん。最近タコスばっかりたべてるな。ビールカクテルのミチェラータがおいしくってがぶがぶ飲む。最近考えていたりもやもやしていたことを話して、旅行に行く計画を立てた。自分が自分のままでいられる、と感じる相手って年々少なくなるように思えるけれど、アイコといると自分が自分のままでいられるし、帰り道には自分のことが少し好きになってる。

・2022.09.19

どしゃぶりの雨。渋谷であかねちゃんとやっちゃんと昼ごはん。ほかのお客さんが帰った後もずうっと話していて気づくと3時間以上経っていた。会社を辞めてもずっと仕事の話にだいぶ時間を割いていておもしろいなあと思う。昔マネージャー業務で悩んで深夜飲みに行ったよねとか、深夜に松陰神社から三茶まで歩いたりしたよねとか、いろんなことを思い出した。

帰り道、東急東横店の取り壊しがこんなに進んでいるんだということに気づいて、ノスタルジックな気持ちになる。小学生のときから渋谷に通っていて、大学も会社も渋谷を経由していたから、25年くらいずっと見てきた街。数年前からもうわたしが知っている渋谷ではないなあという気持ちになっている。こんな感じになるんだったら渋谷の開発について意見が言える仕事がしたかった、という若干傲慢な気持ちが湧く。別に自分がいたところで何かできたとは思えないけれど。そもそもわたしが懐古主義的すぎるのか?と思ったりもして、考えるのをやめた。

・2022.09.18

ここ数週間、ばたばたの中でお返しできていなかったメールに一通一通お返事。さまざまな地域にある書店さんとのやりとりをしながら、本をつくったことでよりゆっくりと時間をかけてさまざまな場所で暮らす届いてほしい人に届けることができるんじゃないか、という気持ちになっている。社会人になってからずっとウェブに関わる仕事をしてきて、ふと気づくとこれまでずっと速さや数字に追われていたけれど、本当の意味での「届ける」とは何なのかをもっと考えていきたい。

カルチュラル・タイフーン申し込んでたけれど見れず。基調講演はアーカイブも見れるぽいので時間を見つけて見よう。

夕方、晃生と下高井戸シネマへ。豪徳寺あたりでどしゃぶりの雨に振られた。ダミアン・マニヴェルの『日曜日の朝』という15分の短編と、『パーク』という作品の二本立て。

飲みながら映画の話。『日曜日の朝』は早朝に犬の散歩をする人を追うだけで大きなことは特に起きないのだけれど、とにかく気持ちがいい映画だった。音や動きが印象的だったからか、散歩の一シーン一シーンが頭の中ではっきりと再現できる。最後、犬を愛でる手の力強さがよかったよね、と話す。それからなぜ我々は犬が好きなのか、という話になって、犬はどこかに連れ出してくれるからというのもあるんじゃないかと話していた。

『パーク』は公園で過ごすカップルの平和な映画かと思いきや、夜にかけて不思議なことが起きていく。一つの場所が時間の流れによって著しく変わるということに気持ちの流れが重なって、こんなにシンプルなつくりなのにすごく遠くまで連れていかれたような気持ちになった。映画に出てきた公園が砧公園と酷似していて、そういえば砧公園も昼と夜では全然違う。

酔っ払いながらここ最近自分が考えていたことについて話す。話しながら、「わたしは透明でありたいのかもしれない」と言ったのを覚えているけれど、適当に言ったのかもしれないし、そうなのかもしれないなあと思う。

行ったことのない立ち飲み屋に寄って、携帯をなくしたと騒ぐおじさんの恋愛相談に乗っていた。他のお客さんも気持ちいい距離感の人が多くて、程よく酔って帰宅。こういう、もう二度と会わないかもしれない、自分の普段の日常の中ではあまり接点がなさそうな人との会話が好きだ。自分のタイムラインで当たり前になっている価値観がいかにそうではないかに気づかされて、たまに現実を知ってショックを受けることもあるけれど、だいたいが当たり前だと思っていたことを解き放してくれる。

・2022.09.17

代々木競技場で、わたしたちのスリープオーバーのブース。信頼できるわたスリチーム、らなさんも手伝いに来てくれた。いつもJ-WAVEを聴いててそれで知りましたというトラック運転手のお客さんや、わたスリをいつも聴いてくれているお客さん、zoom越しで話していたme and you clubの人たちも何人か来てくれて、本も思った以上に買ってくださる方が多くてうれしかった。手渡せるものをつくってよかったなあ、とあらためて思った。

ゆめさんは3,4回「文化祭みたい!」と言っていたけれど、こういう野外イベントはCINRAのときのNEWTOWNぶりなような気もする。体力が落ちすぎていて終わる時間にはへとへとだった。ずっと言ってるけど体力つけたい。

・2022.09.16

美容院に行く暇がなく、前髪が伸びきってしまってどうにもこうにも自信が出なくって、ハサミを洗面所に持っていってばつっと切った。10代の頃の自分の癖がいつまで経ってもとれない。歯磨きをするときに部屋の中をくるくるとまわり続けることも、落ち着くために指のささくれをむくことも。

ときどき自分がわからなくなる感じがあって、その度にぼおっとしてしまう。複数の自分が存在しているような感覚があって、それに救われている部分もあるけれど、ときどき自分が消えてなくなってしまうような感覚に襲われる。昨日考えていたことや、好きだったものが、今日になると全部変わってしまっているような気分というか。そういう自分が認められれば楽なはずなんだけれど。

同時に、自分のずるさや性格の悪さ、持ち合わせている特権とそれに無自覚だったこと、これまで誰かを傷つけてしまったことが浮かんでは消える一日だった。

・2022.09.15

大事なプレゼンが終わり、大事な記事の公開や、大事な本の書店販売などが続く。ばたばた。少しずつ何かをやりたい、見たいという気持ちが戻ってきた気がする。もうだいぶゆっくりした休みを取れてないので、休みが必要だ。

鈴木志郎康さんが亡くなったとのこと。快快のコーリングユーで電話をかけていた姿が浮かんだ。

・2022.09.14

10時間くらい眠って、ここ数日あまり眠れていなかった分を取り返した。気持ちがいい。午前中は記事をウェブサイトに流し込む作業をする。集中力がないと間違える作業をいかに早く終わらせるか、タイムアタックのような気持ちでやり切った。

夕方、渋谷で取材。いつまで経っても伝えることは本当に難しい。今の言葉でうまく伝わっただろうか、という不安がいつもあるけれど、その中でもふと伝わった感じがわかるとうれしい気持ちになる。即座に言葉にする、ということが得意ではないという意識があるから、声色や表情や、伝えるときに纏っている空気がいつも支えてくれているような気持ちになる。気づくと何年もリモートで仕事しているけれど、そういうものがなかなか支えになってくれないzoomの画面越しでは伝えられないものがあることはだいぶ明らかになっている。

帰り道にふとスマホの日記アプリを開く。ふとした時間をSNSやニュースメディアを見ることにだいぶ長い時間割いていたけれど、いかに自分が時間を即時的なインプットに割きすぎていたか。TwitterもInstagramももはやほとんど見なくなってしまったけれど、ひさしぶりに見たらおもしろかった。友達とひさしぶりに会うのがうれしい感じといっしょかな。いろんなものとのちょうどいい距離感を模索する。

・2022.09.13

昨日の夜は家に帰ってから急いで提案資料をまとめて印刷していた。家のプリンターがあまりにも遅くって、時計を何度も眺めながら睡眠時間を計算。5時間くらいしか寝れなさそう。4年前くらいまでしょっちゅう朝まで働いてたのに、最近は6時間は寝ないと頭が回らない。できれば8時間は寝たい。

7時半に品川に着かなくてはいけない。本当は電車で行きたかったけれど睡眠時間を優先してタクシーで行くことに決めて、6時に起きることにした。

新幹線で大阪へ。プレゼンが終わり、昼ごはん。滞在3時間で眠気に駆られながら東京へ戻った。新幹線は話に熱中したので、ゆめさんちにいってから仕事。22時くらいになって、後頭部がもわんとするのと吐き気、手足のしびれを感じたので怖くなってタクシーで帰宅した。行きも帰りもタクシーをつかったことでよくわからない罪悪感を感じる。さらに出してもらった夕飯も食べられないまま、目も合わせられず半泣きで帰宅したことにも罪悪感。健康でありたい。

・2022.09.12

ねむくて全然起きれなかった。布団にくるまって、他の人の日記を読んだりしていた。最近忙しくてベッド横の本がどんどん積まれていって、バランスを保てず崩れてしまった。

わたしたちのスリープオーバーの収録、かほさんと。わたしだけが覚えているのかもと思った話を覚えていてくれて、すごくうれしかった。カレーを食べなかったカレー屋の思い出。本の付箋の色がme and youの本の色といっしょできれいだった。ドッグイヤー派だけど付箋にしようかな。

六本木からゆめさんとタクシーで帰りながらいつもいろんな話をしている。今日は何かをスマートにこなすことについて、という話。わたしはフィジカルな動きを伴う作業が昔から苦手で、たとえば体育の授業で「まきちゃんの動きうける」みたいなかんじでいじられたりするタイプだった。財布からお金を出したりするのも遅い。焦らされるとさらにもたつく。それに対していらつかれたりすることもあるし、だからといって愛嬌で乗り越えられるキャラクターでもない自分の置き所に悩む時もあるけれど、基本的なスタンスとしてはだいぶスマートにこなすことを諦めてしまっている。なにか自分の中に大きな諦め、が存在しているなあと思うときがある。

・2022.09.11

ドトールでコーヒーとホットドッグを10分くらいで食べて、日記屋月日へ。気持ちのいい晴れの日。月日のお二人も対面だと初めてお会いするし、参加者の方々も初めましてだったけれど、日記を読んでいたからかあたらしい距離感を感じた。

椅子に座り、足の爪がぼろぼろなのに足指が見えるビルケンを履いてきてしまったことに気づいて、焦って足指に力を入れる。人前で話すのはいつも緊張するけれど、こういうことでますますあせだくになる。昔書いてたブログの話をしたけれど、もっと話したいことがあったはずなのに、という気持ちが湧いた。でも今回は、ここにいる人に会えるのが今日だけではないのだ。

自己紹介を通じて、参加されてる方々が日記を書くという行為についてたくさん考えられていて、自分が意識できていなかったことがたくさんあることに気づいた。何を書いて何を書かないかだったり、書く時間のことだったり、出てくる人の呼び方だったり。わたしはいまのところ、リアルタイムでメモした言葉と、その日の途中で書いたちょっと長めの文章を頼りに、あとからまとめてパソコンで書くことが多い。だけどなかなか書けない時間が続いて毎日のタスクに「日記を書く」が残り続け、それが重荷になっているのも事実だった。誰に言われたわけじゃないけれどずっと存在している、日々をまとまったテキストで記録したいという自分自身の欲求についてももう少し掘り下げたい。

B&Bさんでme and youの本をふなきさんに預けて、ゆめさんと話しながら下北沢の駅へ。

電車で登戸へ向かう。食彩館の2階、本屋やイートインスペースがあるの知らなかった。家から割と近目のところでパンと音楽とアンティークというイベントをやってて、少し覗きに行った。北里彰久さん、家主、ラッキーオールドサンをちら見。オーガニックワインを飲む。ミヤジさんに会った。1500円くらいで入れて、手書きでステージ名が書いてあったりして、ゆるいのがよかった。競艇場を使っているからか三連単という文字が見える。競艇場に集う亡霊たちはこのやさしげなイベントについてどう思ってるのかなと話していた。

連日の疲れが重なり、早めに出てレンタサイクルで多摩川沿いを自転車で帰る時間があまりにもよくって、眠気のあまりこれは幻なのかなと一瞬感じるほどだった。

・2022.09.10

だいたい隔日でやってるストレッチが最近できてなかったから、ねむたい身体を起こすためにストレッチに参戦する。DVDからいつもの音楽が流れる。YouTubeもある時代にDVDって。と思いながら、いやいやDVDでストレッチしてもいいだろう、と思い返す。晃生はわたしがさぼっている間にいつのまにか「上級」をやっていて、かなり難易度の高いポーズをなんなくこなしていた。本当はそのあとに近所のプールに行きたかったけれど、昨日終わらなかった仕事をやるべくパソコンを開く。気を抜くと集中しすぎて延々と仕事をしてしまうけれど、人と暮らすようになってそれが少なくなった。「いつまで仕事してるの!」と言われて14:00くらいでいったん切り上げた。あとは明日の朝と夜にまわそう。

今日の夜はマリカと吉祥寺の祭に行こうと話していたので、晃生と一緒にちょっと早めに吉祥寺の駅へ。打ち合わせとかで訪れることはあったけれど、街を散策するのはひさしぶりだった。駅出てすぐ、NICOって古着屋さんは大学生のときたまに行ってたけど、まだあるんだな。その一階にある古本センターをざっと眺める。アダルト本とか内容的にアウトだろと思う本も多い街の古本屋で、背表紙にならぶ本のタイトルを眺めるだけでもだいぶ面白い。「いろいろ面白みがありそうな新書」「いろいろ変わった新書」というカテゴリ分けも適当すぎていい。こういう雑多な古本屋、あるいはBOOKOFFのような場所に身を置いていると自分が透明になったり、輪郭が浮かび上がったりするのを繰り返す感覚があって、それが好きだ。佐野洋子さんの挿絵が美しい森茉莉さんの『魔利のひとりごと』を250円で購入。

吉祥寺の街はとにかく店が多くて、活気があるなと感じた。「うちらの街の100倍は店があるね」「いや200倍か」など話しながら、結局そんなに店はめぐらずに喫茶店でクリームソーダを飲んだりOSAJIでネイルやシャンプーを買ったりしていたら、待ち合わせの時間。マリカと落ち合って、祭に向かった。

お祭りは思った以上の混み合いで、人混みや並ぶことが苦手なわたしたちにとってはかなり厳しく、ずらりと並んだ屋台を眺めるだけで外に出て、ひさびさに行きたかったTACOS Shopへ。メキシコに行っていた友達に教えてもらって前に食べたことがあるんだけど、4畳くらいの小さな空間で、立ち飲みとタコスの組み合わせが最高で本当においしいお店。おととい話していた、本当に怖いことってなんなんだろうね、という話もした。煙草を吸いに行った晃生が、メキシコ人のお客さんと仲良くなっている。彼のそういうところがうらやましい。店主が、あの人はYo La Tengoが好きなんだよ、あまりそういうふうに見えないかもしれないけれど、と教えてくれた人の携帯には「NO FUN」というステッカーが貼られていた。

マリカおすすめの古着屋さんに行って、飲んだ勢いもあってTシャツとちっちゃいバッグを買った。もうTシャツの季節は終わりそうだけれど。それから、彼女の友達を呼んでもう一杯飲んだ。友達の友達として初対面の人と知り合うのはひさしぶりで、Dean Bluntの話をしたのが記憶に残ってる。好きな音楽の話ができる仲間が増えた感じでうれしい。明日は朝早いから、と思って途中でお茶を結構飲んでたからかあまり酔っ払っていない。アイスを食べながら帰ろうかと思ったけれど、もうそれをするには寒い季節だった。

・2022.09.09

昨日、あいちゃんに教えてもらったLittle Alchemyってスマホのゲームをベッドのなかでずうっとやっててなかなか抜け出せない。四大元素を合成してどんどんあたらしいアイテムをつくっていくゲームなんだけれど、mudとplantでswampが生まれ、swampとenergyでlifeが誕生した瞬間や、humanとhumanでloveが誕生した瞬間ぐっときてしまってスクショした。

ばたばたと仕事。昨日まで北九州出張で、来週は大阪で日帰り出張がある。少しでも時間伸びてくれ、という気持ちで集中して仕事をしていたらごはんを食べそびれて、変な時間にお土産でかってきた九州ラーメン7食入りパックの「長崎」を、急いでいたからのりとねぎだけ乗っけて食べた。

打ち合わせがふたつ。話しながら、あ〜!と頭を抱えたりとか、うう、と嘆いたりしてしまって、永遠に堂々と話せないんじゃないかと自分のことが心配になる。そんなわたしのこともニコニコ見てくれる、安心できる人たちといま仕事をしているのだ、ということにふっとうれしさがこみ上げた。

夕飯、時間がなさすぎて久々のウーバーイーツ。近所の中華、あまりにもおいしい。Netflixで「このエリアのクレイジーX」という韓国ドラマの第一話を観る。主人公の女の子が友達に似てる、似てないとか、この子みたいに秋はでかめのニットとシャツを着たいよね、などいろいろ話しながら観てた。続きを観たい。

資料が終わらなくて寝るギリギリまで資料をつくり続けていた。こないだ買った雑誌スペクテイターの『まんがで学ぶ メディアの歴史』をちょっとだけ読んで、眠った。

・2022.09.08

どこかのホテルで一人で眠るのが久しぶりだったけれど、狭いホテルの部屋で朝6時半くらいにテレビがいきなりついたのが本当に怖かったな。一回目覚めて、怖いから目をつむって二度寝をしたからか、アラームに気づかず、朝ご飯のバイキングに行けなかった。

ゆめさんあいちゃんとホテルの庭園で待ち合わせ。朝の話を二人にする。「竹中さん、バイキング本当に楽しみにしてましたもんね…」と慰めてくれた。朝ごはんを食べに喫茶店へ。途中でシロヤというパン屋さんに立ち寄りつつ、CAFE DE FAN FANというお店に入った。このお店の喫煙所はなんともいえないよさがある。喫煙者が多い街なのかな。仏像の前に置かれた犬のオブジェ、わたしが飼いたいと思ってるウエストハイランドホワイトテリアのオブジェだった。

仕事をしなきゃ、と喫茶店に入ったはずだったけれど、昨日一日でいろいろな人と共に話してきたことについてぽつぽつ話す中で話が広がって、学生時代の経験と今がどうつながってるかとか、自分が本当に怖いものって何かとか、そういう話をずうっとしていた。「怖いものは何と聞かれたらなんて答える?」と聞かれたときに、わたしは迷いながら「突然大切な誰かがいなくなるのが怖くて、だからこそ頭のなかで予行演習をしている」と答えた。そういう予行演習のことをわたしはとても自分勝手だなと思っている。でも、それだけ怖いのだ。数年前だったらまた全然違うものが怖かった気もして、何も怖いものがなかった時期もあったように思える。

どこから海で、どこから川なんですかね、そんなことを話しながら小倉の街を歩いた。橋の下に佇むカラスはいつも見るカラスよりも大きくて、空はいつも見る空よりもずっと高かった。焼けてしまった市場の近くを歩きながら、ここで暮らす人たちのことを思う。街を訪れるたび、この街はあまり合わないと思うことも結構あるのだけれど、この街はなんだか好きだなあ、と感じた。

空港行きのバスの中で、あいちゃんとたくさん話した。自分の中にある加害性であったり、無意識の差別だったり。飛行機に乗る前に10分でラーメンを流し込んで、お土産を買って羽田空港へ。帰りは車に乗せてもらって帰れたのでありがたかった。

・2022.09.07

うまく眠れず、何度も目覚めるのを繰り返してたら7時。新宿駅を経由して高速バスで羽田空港に向かう。飛行機乗るのはひさしぶり。緊張と高揚感。九州に行くのも初めてでうれしかったからか、昨日はなぜか友達に「明日から北九州!」とLINEしてしまった。そんなこと細かに普段日常のこと伝えないのに。ライターとして今回一緒に取材にきてもらうあいちゃんと最近の話をしながら搭乗時間を待つ。

飛行機に乗るたびに新鮮な驚きがある。地図で見るととてもじゃないけれど遠くに見える街並みが、手のひらに乗っけられそうな感覚になるから。雲のなかをすりぬけながら、これまでの飛行機の旅のことを思い出していた。

飛行機に乗っているときのことを思い出すとき、友達と行った旅のことはなぜかあまり思い出せない。自分が自分じゃいられないときに一人で行った旅で乗った飛行機のことは、10年以上前のことでも鮮明に覚えている。そこで観た映画のことも。またああいう気持ちになって、飛行機に乗るときがいつかくるのかな。

今日は海さんの映画『重力の光』の取材で北九州にきた。この日にあったことをいろいろ書こうと思ったけれど、この続きの日記は時間がないと書けなさそうだったので、また別の場所で書こうと思います。

・2022.09.06

早起きが成功して、いつもよりベッドからはやくぬけだせたことがだいぶうれしく、調子がいい。冷凍庫に眠っていたキウイのスムージーを飲んだ。涼しくて、リビングの窓から自分の窓に風が抜けていく。風がないじめっとした暑さは息が詰まりそうになる。今年の夏はそういう日も多かったような。なるべく風が通り抜ける場所で生きていたい。

晴れた空の下で洗濯物を干す時間が好きだ。周りに高い建物がなくて、広い空が見えるこのベランダは結構自慢できる。今日はちょうど洗濯物を干すとき、お隣さんのうちのベランダが開くがらら、という音がした。お隣さんは、たぶん同年代の夫婦。わたしたちが引っ越してきたときに挨拶をして、そのときに「ゲームが好きで夜遅くまでうるさいかもです」と話されてたけど、うるさい音がしたことは一度もない。むしろ、レコード聴いたりギターやベースを弾いたり、歌ったりしているうちのほうがうるさいんじゃないかと心配になる。そんなお隣さんからこのあいだポストに手紙が入っていて、「子どもが生まれたので、うるさくなるかもしれません」と書かれていた。けど、子どもの声が聞こえたことはまだ一度もない。ここで暮らして二年のあいだにわたし自身がいろんな変化があったように、お隣さんの家にもいろんな変化があったんだな。実際の距離はこんなに近いけれど、たまに顔を合わせて挨拶をするくらいの距離感はとてもちょうどよく感じる。距離感、ってなんだろう。

今日は何かの拍子に、わかるよ、という言葉がときに持つ暴力性についてぼんやり考えていた。この言葉によってときどき、自分の経験が消えてなくなってしまうような感覚になるときがある。自分自身もこの言葉を発するときが多いのだけれど、言ったあとに「あ」ってなるときがある。勝手に誰かの経験を自分の手元に押し込めてしまっているような。一方で、わかるよ、という共感によって救われた経験だってたくさんある。わかることとわからないこと、一緒であることと違うこと、そのことについてずっと考え続けている。

・2022.09.05

日曜の夜は飲みすぎないようにするって決めてたけど、昨日はライブに行って、ひさびさの友達に会ったのがうれしくって、終電間際まで飲んでいた。水をいっぱい飲んだけど、まだすこし酔いが残ってる。こういう日はだいたい、卵かけご飯と味噌汁。飲んだ次の日の味噌汁のおいしさってほかに代え難い感じがある。

今日も家からほとんど出てない。行ったのはコンビニくらい。そういう日が結構ある。仕事が終わって、少しだけゲームをする。どうぶつの森をやり込んでいる友達を見てうらやましくなり、今更感をやや感じながら昨日から始めてみた。最近までゼルダをやってたけど、さしてゲームがうまくないわたしにとっては心臓がだいぶばくばくして仕方がなかったので、このゲームはだいぶ気持ちが安らぐ。ゲームが始まりたてでたぬきに対してお金を返済したりローンを組まされたりして、資本主義の現実に戻されてやや虚しい気持ちが訪れたけれど。それでも地続きではないいくつかの世界を持つ、ということが自分にとってはすごく大切なことで、ゲームもその一つな気がする。好きな本や音楽や映画に触れる時間が大切な気持ちとはまったく違ったベクトルで、こうした時間がわたしにとっては大切だ。

今年は全然ゴキブリがでないなと思ってた矢先、夜、出てきた。古いマンションに住んでるからきっと隙間も多くて、きれいにしてるつもりだけれどどこからか入ってくる。晃生に借りて最近読み始めた稲垣諭さんの『絶滅へようこそ 「終わり」からはじめる哲学入門』という本に、人類という種の文明的な歴史はまだ数千年で、ゴキブリのように数億年生きている種もあるけど、あっという間に消えてしまった種がほとんどだという話に触れられていた。ゴキブリは人間のはるか前からこの地球に存在していて、種という意味では先輩なのだから、と認識を変えてみる。それでも目の前のゴキブリが恐ろしくてしかたがない。今日から日記屋月日さんとの企画がスタートするけれど、その一日目がゴキブリの話だなんて。でも、これが日々のリアルだろう、とも思う。

・2022.09.04

落合でタイコのライブ。ケイとひさびさに飲んだ時間もよかったね。

・2022.09.03

ぎりぎりな感じでやっていた日々を乗り越え、休日!という感じの休日でだいぶ気持ちがいい。ストレッチしてプール。平泳ぎ、少しは泳げるようになった。太陽が差し込む中で水にプカリと浮かぶ気持ちよさ。体の輪郭が感じられる。二子玉でトンカツ食べて買い物、特に欲しいものがあるわけではなかった。ヴェレダのトリートメントを買ったりする。川の側は開けていて、みんなが自由な感じで佇んでいるお気に入りの場所がある。去年よく自転車できていたな。木陰でピクニックをしてる女の子たちがいていいなあと思ってチラと見たら、「笑われたんだけど!」という声とともに中指をたてられ、ショックを受ける。「笑っていません…!」とかぼそい声で伝えたものの、なんだかしばらく落ち込んでしまった。じろじろ見たように思われてしまったんだろうか。どうしたらよかったのか。

・2022.09.02

冷や汗、頭痛。午前中は無限に時間があるように思えるけれど、16時くらいから焦りだす。時間感覚に歪みを感じるときがある、横浜まで家から駅まで30分くらいでいけるんじゃないか、とたまに本気で信じてしまうけれど、家から駅まで15分くらいかかることも充分に理解していて、よくわからない。

・2022.09.01

山内尚さんの『魔女の村』を朝読んで、泣きながら起床。