ガザについて考えるためのノート

ガザで起きていることについて、しっかりと知り、行動していきたい。正直なところ、これまでの自分はイスラエルとパレスチナ間の問題を「宗教が絡んだ、難しい問題」だと思ってしまっていた。それだったら、なぜパレスチナ難民が多いのだろう? 恥ずかしいけれどしっかりと考えてこれなかったのだ、ということを自覚している。これは今始まったばかりのことではないし、ガザでいま起きているのは、戦争ではなく、虐殺であるということ。このことはまだ学び途中であっても誰かとシェアし、考え続けていきたい。

遠い国のことだから、ではまったくない。10/24、G7において、日本を除くアメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・イタリア・カナダがイスラエルの自衛を支持した。10/29、上川外相は人道目的での休戦求める決議を「棄権」した。その後も上川外相がイスラエル・パレスチナをそれぞれ訪れるなど、日本の動きが非常に重要であることを知ると、一日でもはやくこの恐ろしい事態を終わらせるためには、日本で暮らす人々一人ひとりが関心を持つことが重要だとあらためて思う。自分に対しての自戒も含めて。

これは余談だけれど、母から昔、「クウェートで暮らしていたかもしれなかった」と聞いたことがあった。わたしの祖父はクウェートで石油の仕事をしていて、そこで亡くなった。つい最近も、母や叔母や祖母がクウェートに行ったときの写真を見せてもらったばかりだ。その話を聞いてからなんとなくアラブのことがずっと頭にあって、わたしももしかしたらアラビア語を話していたかもしれないとか思いながらも、アラブの人々や国々のことについて学ぼうとしてこれなかった。クウェートはパレスチナ国家の闘争を支持し、シオニスト国家の存在を認めず、パレスチナの土地のいかなる占有も認めないと強調している。

そして、ちょうど自分が書いていた連載のなかで、関東大震災が起きたときに自分が住んでいた街でも朝鮮人虐殺という恐ろしい出来事が起きていたことをこの夏知ったばかりだった。植民地主義や人種差別に対して、恥ずかしいことに自分ごととしてしっかりと考えてこれなかったと思う。身近に存在している支配・被支配という関係に対して強い怒りを感じるのに、日本も植民地支配をしてきた国家であるということについてもしっかりと学んでこれなかったし、そして今もなお支配はさまざまな場所でおき続けていることに対して、身近ではないからと目を背けてきてしまったのだ、と反省する。

いち早く停戦してほしいし、イスラエル政府による違法なパレスチナ占領・ガザ封鎖がいち早く終わってほしい。そしてガザで暮らす一般市民たちの生活が守られてほしい。さまざまな場所で暮らすパレスチナ人が差別されないでほしい。そしてそれを願っているユダヤ人が多くいることも知っていて、辛い歴史を背負ってきたユダヤ人がそれを理由に差別されることもあってはならない。イスラエル政府・軍と、イスラエル人・ユダヤ人を一緒くたに考えてはならない。

これはまだ考え途中のノートで、できることや、知り学ぶためのリンクなどを追ってまとめていこうと思います。自分のためにも、たまたまこのノートを読んだ人のためにも。

🌟今すぐにできることのメモ

明日少女隊さんの支援先リスト

「私たちのパレスチナ人の友人であり、LAのギャラリーThe Studio 203のオーナーであるアネッサ(Aneesa Shami Zizzo)に紹介されたものです。パレスチナは寄付や物資が届きにくい問題を抱えていますが、寄付したいという方はこちらの団体が信頼できるとのこと」

・寄付:Medical Aid for Palestinians

・寄付:UNRWA

・寄付:国境なき医師団

・寄付:パレスチナ子どものキャンペーン

・寄付:日本国際ボランティアセンター

・署名:国境なき医師団「イスラエル・パレスチナでの「無差別攻撃の即時停止」と「医療の保護」、「人道性の回復」を」(終了)

・署名:アムネスティ「ガザ・イスラエル紛争の即時停戦を!」

🌟知るためのメモ(まだ書けていない、途中ですが)

Instagram:<パレスチナ>を生きる人々を想う学生若者有志の会

Instagram:パレスチナに平和を

【特集】イスラエル侵攻のガザ地区~過去・現在・未来(高橋和夫×高橋真樹) / 荻上チキ・Session~発信型ニュース・プロジェクト

Podcastをよく聴いている方は。1時間程度でこれまで何が起きてきたのか・いまなにが起きているのかをよく知ることができる。

ハチ公前に響いた「パレスチナを解放せよ!」 抗議の声を上げた人たちに理由を聞いた / 東京新聞

<録画配信&まとめ記事>フェミニズムとパレスチナ:みんなの解放のために

パレスチナ問題 TOP|パレスチナ子どものキャンペーン

あないすみーやそこさんの投稿。1980年から93年までの間、イスラエル政府はパレスチナの国旗と同じ色を使用することを禁止したそうで、そこから赤・緑・黒が使われているスイカのイメージがレジスタンスの象徴になったそう。

BjorkやAURORAなどのミュージシャンのpostしはじめている。

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