2022年9月の日記

・2022.09.30

こんないい天気なのだから朝公園に行けばよかった。秋になるとYo La Tengoが聴きたくなる。ふと流れてきたShadowsを口ずさんだ。ずっとこんな天気がいい。

重力の光がイメフォで最終日、ゆめさんと一緒に観に行った。北九州で出演者の人たちに会った後に観たのは初めてで、心に迫るものがあった。前よりも演劇パートが特に染み入ったのは、北九州で少しだけでも聖書を読む時間に参加させてもらったことも影響しているのだろうか。みんなでプリクラを撮るところや、下別府さんが踊ってる姿も、心に残った。上映終了後、海さんとコムアイさんのトーク。富田克也監督と話されていたという「アンテナ」の話。二人のトークを聴きながら、同じ道を通っていても、同じものに触れていても、きらめいて見える日もあれば何も汲み取れない日もあって、この世界で生きていきたいと感じられる日とそうではない日があることを思い出していた。

・2022.09.29

昨日はイ・ランさんといがらしみきおさんの『何卒よろしくお願いいたします』を読みながら眠った。AIやネットやパソコン、神の話。自分がAIになる、ということを考えたこともなかったからびっくりする。そういえばこの間快快の舞台を観たときに、何十年後にメタバースで〜という描写があって、生きているうちに身体が必要なくなったらどうしよう、という考えが浮かんだのだけれど、既に手元のスクリーンを離したら不安感に襲われる身体に変わってしまっているほどなのだから、その頃には何の違和感もなくなっているのかもしれない。人間中心主義すぎる世界に飽き飽きしている自分もどこかで人間>ロボット、AIだと信じているのだと思い、何がそうさせてるのだろうと考える。同時にもうこの辺りでもう技術革新はいいんじゃないかな、と思っている自分もいる。

大学の先輩とひさしぶりにごはん。2年前に会社を作ったそうで、経営の先輩だ。自分が考えられていなかったけれど、なんとなく考えた方がいいんだろうなあと思っていたことを、やっぱりしっかり考えていて、もっと長期的な目線で考えなければなあと思った。試行錯誤しながらなんとかやってるけれど、相談できる人が何人かいることの心強さを実感した日。

・2022.09.28

今日から仕事、生活を戻そうと7時半に起きていつものストレッチ。洗濯もする。昨日もらった食パンによつばバターを塗って食べる。小松菜のオイル蒸しスープもつくったので一緒に。食べている、という感じがするパンが運動後の身体に染み渡る。できるだけ毎日、こういう気持ちよさを味わいたい。

夜、me and you clubで学びについて話す会をした。学びたいことを書き出して、やっと滞っていたものが流れはじめたような感覚になる。

・2022.09.27

国葬かー。本当にそうなってしまった。惣田さんのインスタの投稿で「国、シンプルにまともになってほしい」という言葉があって、大きく頷いた。直視すると本当に絶望的な気持ちになってしまいそうだから、ややニュースから離れたくなってしまっている。それはそれでこのまともじゃない国で見て見ぬふりをしてやり過ごしている気分になって最悪の気分になる。ニュース見ながらかじった自然食品ミルクサブレがやさしかった。

昨日の乃木坂の物々しさ。都会に出たくないなあと憂鬱な気持ちになって、バスで二子玉川に行った。スタバで作業をして、秋服を買ったら、あっという間に外が暗くなっていた。川沿いでぼおっとしようと思っていたのに。夕方の二子玉川ってやけに寂しい。川沿いだから?

こないだ出会ったばかりのご近所のふうきちゃんが「お近づきのしるしに」と代々木上原のお気に入りの店で買ったという食パンを分けてくれた。漫画とかドラマに出てくるご近所さんみたいだね!と感激して、お返しに何を持って行こうかね、と話しながら階段を上がった。

・2022.09.26

うちの実家にお兄ちゃんの義理のお母さんから大量にお米が届いたみたいで、分けてくれるというので母がスポーツジムの帰りに車でお米を持ってきてくれた。いつもは最近どう?とか話して帰るのに、ほとんど何も話さずに一瞬で帰ってしまって、なんだか他人行儀でぼんやりと寂しさを募らせる。なんでそんなに急いでいたんだろう。実家に住んでいた時間が長く、母には自分のことをだいたい全部話してきた気がするけれど、母のことはそんなに知らないのかもしれない。離れて暮らすともう今の家のほうがずっと落ち着くし、母が今実家のリビングでどんなふうに過ごしているかはまったく知らないんだから…などと考えていたら、「ジムにもう着いた!車だと早い!」というLINEの連絡がきて、ジムの隙間時間にきていたから急いでいたことが判明した。それまでに浮かんでいた寂しさが一気にどこかに消えた。

ところで「お兄ちゃんの義理のお母さん」って難しい表現だけれど、他にいい言い方があるのかな。「お兄ちゃんの妻のお母さん」の方がわかりやすい気がする。お兄ちゃんのお義母さん?読み方は「おかあさん」になるしなあ。わたしは自分の夫の母のことを「おかあさん」と呼ばず、名前をさん付で呼んでいる。わたしにとってのおかあさんはお母さんだけだから、という意識があるからかもしれない。

昼食べたパスタが全然美味しくなくって、身体にどんよりと赤いパスタが沈んでいく感じがした。近頃まったく本を読めていなかったから、読みたかった本を何冊か取り出して昼ごはんの後に少し読んだ。ジュディス・バトラーのジェンダー・トラブルと宮地直子さんの環状島=トラウマの地政学。

六本木で収録、歩いて帰りながら忙しさは調整していきたいよなあなどの話をする。下北沢の2階で一人で坦々麺を食べて、そういえばここの店は前にデザート付きメニューを「レディースメニュー」としていた気がするけれどそうではなくなっていた。変わるもんだな。B&Bで本を納品して、歩いて帰るときにふっとやりたいなあ!と思えることが閃いて、ここ最近の点が繋がるような気持ちになった。来週になったらまた気分は変わっているかもしれないけれど。

・2022.09.25

近所の民家に自販機がある。その横にテラス席があって、どう見ても人の家の敷地内って感じだからそこでくつろぐ人はいないんじゃないかと思っていたけれど、今日初めてそこで自販機の缶を飲みながらくつろいでいる人を見た。やっぱり座っていいんだ! でもまだ家の住人という可能性が拭えないし、本当にその自販機とテラス席が一般人も使っていいものなのかを注意深く見守りたい。

下北沢で二週間ぶりの日記の会。終わった後に日記はすべからくいいものなのか?ということについて話していて、考えながら歩く。今日の話を聞きながら、日記というもののはある種「日付とセットである」というフォーマットしかなくて(もはやそのフォーマットもないのかもしれない?)、その自由さがいいのだろうなと思う。たとえば絶対にこの書き方じゃなくてはだめです、とか、何時に書かなくては意味ないです、とかがあったらまた違ったものになりそう。日記を毎日書くと高収入になりますとか、ビジネス的な文脈が別に付随してもいいけれど、それだけだったらまた全然違いそう。日記の語源的な意味が知りたくて「日記 意味」で検索しようとしたら「日記 意味がない」と出てきて、なくてよくないか?となった。意味に押しつぶされそうな社会って。

家に向かう電車の中、空が広くて気持ちがいい。ライオンズマンション経堂の深い緑色が好きで、あの色の服が欲しい。駅に着くと、ベンチでスーツ姿の会社員らしき人が電話しながら「抑えられるとこ全部抑えといて」と言っている。外で、大きな声で携帯電話で仕事の話をする人、だいたいがお金の話か、枠を抑える話してる。お金の大きさや枠の多さが、自分を大きく見せてくれるのだろうか。

昨日は飲みすぎないつもりだったけれど、やっぱり飲みすぎていたみたいで虚無感にやられる。眠いしおなかも痛いし、外に出るかかなり悩んだけれど、大道寺莉乃さんの『夏には冬のことをすっかり忘れてしまう』の上映会に行くために大塚へ。サリーちゃんが誘ってくれて、前行けなかったから今回こそはと思っていたのだった。大塚、初めて降りたかもしれない。会場のお店のはす向かいにトミヤマカレーがあった。気になる街だ。ビールを買おうとしたら偶然ごちかさんにも会えてうれしい。会場には10数人のお客さんがいた。

イタリアで夫とお子さんと暮らす莉乃さんの日記映画を観て、素直にどきどきした。朝から日記のことを考えていたから、というのもあるけれど、映像でモンタージュとして作るからこそ伝わるもの、残るものがある。鏡に向かって今日会ったことを話す莉乃さん、波の粒子ややくるくる回るメリーゴーラウンドの映像の断片、歌声、10年前にハリネズミカメラ(懐かしい)で撮影したといういつかのビデオ、それらがつなぎ合わさったことで、頭の中をそのまま覗きこんでいるような、文章とはまた異なるリアリティを感じた。最後に添えられた火星に持っていくための地球の音のプレイリスト10曲で、気持ちが込み上げてしまった。20年後、30年後に自分がこの映画をまた見たら、どう感じるんだろう。あるいは100年後に、わたしが死んだ後に、誰か別の人が見たら。あるいは別の国の人が。別の言語の人が。別の惑星の人が。

香港でも同時に上映会をしていたみたいで、香港とzoomを繋いで話す時間もあった。香港だと「寂しさを感じる」という声が結構あったようだった。コロナウイルスによるパンデミックという同じ経験をしているのに、香港の政策との違いを感じるからということらしい。メディアの統制がさらに強まっている香港で、なかなか個人の感情に気づけることが少ないから、日記映画のようなものを通してそれに気づけるんじゃないか、という話もあがった。それと、今回の上映会は知り合いとかその知り合いとかだけしか呼んでいないらしく、小さく届けることについての話も。個人的な内容だからこそ大きなところでたくさんの人に見せる、というのではなく、映像を担いで会いにいくような、こういうおしゃべりも含めた会がいいよねと話していて、今考えていたことの点がつながっていくような感覚を覚えた。帰り道、「大塚バッティングセンター ゆったりパチンコ ひょうたん島」のネオンが輝いていてなんかすごくよくて、思わず映像で記録する。『夏には冬のことをすっかり忘れてしまう』はyaejiの曲からとったみたいで帰りに山手線で聴きたいなと思ったけど、Spotifyには入っていなかった。

・2022.09.24

うどんが食べたいなあ、と話しながらうどん屋へ。明確に食べたいものがあるって気持ちいい、雨でも出かける気が湧く。今年最後の冷たいうどんかな。ケーキ屋さんの奥の喫茶室で読書。前にme and you clubの詩の会で薦めている人がいた、斉藤倫さんの『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』を読む。絵は高野文子さん。福音館書店から出ている子どものための本だけれど、大人になって、言葉の難しさに打ちひしがれるようなときがあったからこそ響くものもあったのかもしれなくて、読み終えるときにじわと涙が溢れた。好きだな、と思う詩にも出会えた。詩集を買おう。できれば好きな本屋で探したいから、Amazonで即買うのはやめた。

体がばきばきだったので、そのすぐそばにあるマッサージ屋でマッサージを受けた。安いやつ。目を瞑っている最中、「(〜〜だったら)店長ころすぞ」と遠くにいるお客さんが笑いながら言っているのが聞こえた気がして、気が気じゃなくなった。足をほぐされながら、そのまま私の部屋に狂人が殴りかかってくるAパターンと、「店長こぼすぞ」とか別の言葉だったのではないかというBパターンがぐるぐると頭を巡った。立ち上がって走り出すことだってできるけど、どうしよう。でもそうしたらお金を払わなかったというので逮捕されてしまうのか? 声が消えて、次第にどうでもよくなっていた。痛気持ちいい。「終わりました」と言われてマッサージ師の名札を見ると「店長」と書いてあって震えた。ころすぞと言いそうな人はどこにもいなくて、空耳だったのか冗談だったのかもわからない、技術力は良かったけど、さすがに回数券は購入できなかった。

下北沢でケイたちとごはん食べて、夏目さんのリリースパーティへ。「人生」よかった。友達や知り合いに会えたのもよかった。だらだらと飲んで1時すぎにタクシーで帰宅。

・2022.09.23

今日もコンビニくらいしか出ずに、ずっと家でぼんやりしていた。夕方になって、ベッド横の本を整理して積み直したり、ぐちゃぐちゃになってた衣類の整理をしたりして、今日もよくがんばりましたという気持ち。

なんとなく見始めた韓国ドラマ『このエリアのクレイジーX』にはまってしまい、大切に少しずつ見ていたのだけれど、第8話「もしかすると私たちには何の問題もないかもしれない」・9話「私の味方ができるということ」が神回で泣いてしまった。軽やかなラブコメでありながら、デートDVやセカンドレイプ、見た目による差別、メンタルヘルスなど今の社会におけるいろんな問題に触れていて、その扱い方がとても丁寧なところがいいなと思う。ただ単純に二項対立にするのではなく、複雑な関係性や感情を肯定しているという感じがする。この人たち最悪じゃん、と思っていた登場人物も、変わらない部分はありながらもちゃんと謝ったり変わっていくところも好きだ。大好きな登場人物も、「それはだめでしょ」という部分を抱えているところも。完璧なんてないわけであって、変わり者であっていいのだ。

人を信じることが難しくなってしまったときに、味方だよとちゃんと言ってくれる人が近くにいることの大切さについて。どうしようもない状態にあったある人に対して何て声をかけたらいいかわからなくなってしまったときに「何があっても味方だから」という言葉がすっと出てきたことがあって、その時のことを思い出してまたちょっと泣いた。『メイドの手帖』『おいハンサム!!』を見てたときにも思ったけれど、このドラマを見終わってしまうことが寂しい。

・2022.09.22

自分で適当に切ってしまった前髪への違和感がそろそろ拭えなくなっていたので、楽しみにしていた美容院の日。とにかく人の髪を切るのが好きな亀井さんに髪を切られていると落ち着く。美容院もでき上がりだけでなくプロセスが大事だよねと思う。近くのカフェで仕事をして、帰り道にSALT AND PEPPERで「BINGO FREAKS」というzineを買った。Matt Goiasという人がラスベガスでビンゴをする人たちを撮影したもの。晃生が買っていたジョナス・メカスのzineに載っていた「keep dancing, keep singing  have a good drink and do not get too serious! OK?」の言葉にやられた。せっかくこのあたりまで来たので、デスペラートリビングに寄ってデニムのスカートを買って、聴いたことのないアーティストのレコードを何枚か聴いて家に帰った。

自分の普段の日常ではなかなか接点がないかもしれないけれど、この世界のどこかで存在する人たちと出会いたいという欲求があるから、そういうプロジェクトや作品にもどうにも惹かれてしまう。これをやらざるを得なかった、という切実さを感じるものにも。いくらかっこよくても、きれいだったとしても、それを感じないもののことはすぐに忘れてしまう。技術的なことや歴史についても勉強不足でわからないことが多いけれど、自分が好きな作品に共通しているのはこういったことなんだろうなあと思う。たくさんのzineやレコードに触れて、何か小さくてもいいから始めてみたいという気持ちがまた戻ってきた。

渋谷川の付近を歩きながら、「前にこのへん歩いたとき、頭虫がたくさんいて、その向こう側でカップルがセルフィーしてたよね」という話をしたら「よく覚えてるね」と言われた。名前や誰かが言っていたことなどの言葉の記憶はどんどんこぼれ落ちていってしまうけれど、ふとしたトリガーがあれば映像でいくらでも引き出される。だからかもしれないけれど、映画というものに凄さを感じるし、怖さも感じる。

夜は近所の友達と4人で中華料理屋で飲んで、何軒かはしご。最後に立ち寄ったずっと行ってみたかったバーで店主の人と政治の話をして、酔っ払いすぎて国葬はおかしすぎるだろという話をしたこと以外はやっぱりあまり覚えていないけれど、またこの店に行きたいなと思える店ができてうれしい気持ち。

・2022.09.21

隣駅まで晃生と散歩。唐突にジャンクなものが食べたくなって、マクドナルドに入る。少し仕事しようかな、と思ったけれど、後ろの席の人の会話が気になってそっちに気を取られてしまった。一人のお母さんがお友達のお母さんに対してこき使っているような口調でそれも気になったけれど、店員さんにも「女の子たちがこれだと喧嘩しちゃうでしょう?」と言いながらハッピーセットを取り替える依頼をしている。続いて、娘に対する「正座をすると不細工な足になるよ、お父さん座りもダメ」という言葉。この雰囲気を二人ともがっつり受け取ってしまって、気分が滅入ってしまった。行きつけのコーヒー屋が休みだったからコンビニでコーヒーを買って、公園で太陽を浴びて回復した。鳩たちがやたらと強気な公園。鳩や道行く犬を眺めながら人って何なんだろう、と考える。

予定がない日が好きだなあと思う。仕事だとタスクをぎゅうぎゅうに詰め込んで時間を気にしながらマラソンみたいにやり続けてしまうタイプだけれど、休みの日はなるべく予定を入れずにそのときの気分で行きたい方へ行ったりやりたいことをやったり何もやらなかったりしたい。今日も何をしたかと言われると、別に何もしなかった。休みだし映画たくさん見ようとか本を読もうとかそういうふうに思ったりもしていたけれど、有意義なことは何もせずに、何もしないをやってやったぜという気持ち。達成感。SNSを見ると意味があるものに溢れていて、変に焦燥感を煽られるので見るのをやめる。特に書きたいなあということも思いつかない。

ぼんやりした隙間みたいな時間のなかで、自分自身が大切にしたいこと、しなくていいこと、やっていきたいなと思うことがじんわりと浮かび上がってきた。それらをノートに書き留めて、一日が終わった。

・2022.09.20

今週は夏休みということにしていて、ちょこちょこ仕事をしているけれどぎゅうぎゅうに詰めていないだけあって気持ちがだいぶ落ち着いている。遠出の予定はなく、いくつか予定が入ってるくらいで、その感じもちょうどいい。何をしようかな。

to doリストにやりたいことを書き込んだら、○○の整理をする、という項目ばかりになった。仕事でも散り散りになっていたことを体系だてて整理をしていくことで落ち着く感覚があるけれど、日常生活の中でも何かに取り掛かるよりも整えるほうに時間をかけているんじゃないかとさえ思う。

アイコと渋谷のメキシコ料理屋さんでごはん。最近タコスばっかりたべてるな。ビールカクテルのミチェラータがおいしくってがぶがぶ飲む。最近考えていたりもやもやしていたことを話して、旅行に行く計画を立てた。自分が自分のままでいられる、と感じる相手って年々少なくなるように思えるけれど、アイコといると自分が自分のままでいられるし、帰り道には自分のことが少し好きになってる。

・2022.09.19

どしゃぶりの雨。渋谷であかねちゃんとやっちゃんと昼ごはん。ほかのお客さんが帰った後もずうっと話していて気づくと3時間以上経っていた。会社を辞めてもずっと仕事の話にだいぶ時間を割いていておもしろいなあと思う。昔マネージャー業務で悩んで深夜飲みに行ったよねとか、深夜に松陰神社から三茶まで歩いたりしたよねとか、いろんなことを思い出した。

帰り道、東急東横店の取り壊しがこんなに進んでいるんだということに気づいて、ノスタルジックな気持ちになる。小学生のときから渋谷に通っていて、大学も会社も渋谷を経由していたから、25年くらいずっと見てきた街。数年前からもうわたしが知っている渋谷ではないなあという気持ちになっている。こんな感じになるんだったら渋谷の開発について意見が言える仕事がしたかった、という若干傲慢な気持ちが湧く。別に自分がいたところで何かできたとは思えないけれど。そもそもわたしが懐古主義的すぎるのか?と思ったりもして、考えるのをやめた。

・2022.09.18

ここ数週間、ばたばたの中でお返しできていなかったメールに一通一通お返事。さまざまな地域にある書店さんとのやりとりをしながら、本をつくったことでよりゆっくりと時間をかけてさまざまな場所で暮らす届いてほしい人に届けることができるんじゃないか、という気持ちになっている。社会人になってからずっとウェブに関わる仕事をしてきて、ふと気づくとこれまでずっと速さや数字に追われていたけれど、本当の意味での「届ける」とは何なのかをもっと考えていきたい。

カルチュラル・タイフーン申し込んでたけれど見れず。基調講演はアーカイブも見れるぽいので時間を見つけて見よう。

夕方、晃生と下高井戸シネマへ。豪徳寺あたりでどしゃぶりの雨に振られた。ダミアン・マニヴェルの『日曜日の朝』という15分の短編と、『パーク』という作品の二本立て。

飲みながら映画の話。『日曜日の朝』は早朝に犬の散歩をする人を追うだけで大きなことは特に起きないのだけれど、とにかく気持ちがいい映画だった。音や動きが印象的だったからか、散歩の一シーン一シーンが頭の中ではっきりと再現できる。最後、犬を愛でる手の力強さがよかったよね、と話す。それからなぜ我々は犬が好きなのか、という話になって、犬はどこかに連れ出してくれるからというのもあるんじゃないかと話していた。

『パーク』は公園で過ごすカップルの平和な映画かと思いきや、夜にかけて不思議なことが起きていく。一つの場所が時間の流れによって著しく変わるということに気持ちの流れが重なって、こんなにシンプルなつくりなのにすごく遠くまで連れていかれたような気持ちになった。映画に出てきた公園が砧公園と酷似していて、そういえば砧公園も昼と夜では全然違う。

酔っ払いながらここ最近自分が考えていたことについて話す。話しながら、「わたしは透明でありたいのかもしれない」と言ったのを覚えているけれど、適当に言ったのかもしれないし、そうなのかもしれないなあと思う。

行ったことのない立ち飲み屋に寄って、携帯をなくしたと騒ぐおじさんの恋愛相談に乗っていた。他のお客さんも気持ちいい距離感の人が多くて、程よく酔って帰宅。こういう、もう二度と会わないかもしれない、自分の普段の日常の中ではあまり接点がなさそうな人との会話が好きだ。自分のタイムラインで当たり前になっている価値観がいかにそうではないかに気づかされて、たまに現実を知ってショックを受けることもあるけれど、だいたいが当たり前だと思っていたことを解き放してくれる。

・2022.09.17

代々木競技場で、わたしたちのスリープオーバーのブース。信頼できるわたスリチーム、らなさんも手伝いに来てくれた。いつもJ-WAVEを聴いててそれで知りましたというトラック運転手のお客さんや、わたスリをいつも聴いてくれているお客さん、zoom越しで話していたme and you clubの人たちも何人か来てくれて、本も思った以上に買ってくださる方が多くてうれしかった。手渡せるものをつくってよかったなあ、とあらためて思った。

ゆめさんは3,4回「文化祭みたい!」と言っていたけれど、こういう野外イベントはCINRAのときのNEWTOWNぶりなような気もする。体力が落ちすぎていて終わる時間にはへとへとだった。ずっと言ってるけど体力つけたい。

・2022.09.16

美容院に行く暇がなく、前髪が伸びきってしまってどうにもこうにも自信が出なくって、ハサミを洗面所に持っていってばつっと切った。10代の頃の自分の癖がいつまで経ってもとれない。歯磨きをするときに部屋の中をくるくるとまわり続けることも、落ち着くために指のささくれをむくことも。

ときどき自分がわからなくなる感じがあって、その度にぼおっとしてしまう。複数の自分が存在しているような感覚があって、それに救われている部分もあるけれど、ときどき自分が消えてなくなってしまうような感覚に襲われる。昨日考えていたことや、好きだったものが、今日になると全部変わってしまっているような気分というか。そういう自分が認められれば楽なはずなんだけれど。

同時に、自分のずるさや性格の悪さ、持ち合わせている特権とそれに無自覚だったこと、これまで誰かを傷つけてしまったことが浮かんでは消える一日だった。

・2022.09.15

大事なプレゼンが終わり、大事な記事の公開や、大事な本の書店販売などが続く。ばたばた。少しずつ何かをやりたい、見たいという気持ちが戻ってきた気がする。もうだいぶゆっくりした休みを取れてないので、休みが必要だ。

鈴木志郎康さんが亡くなったとのこと。快快のコーリングユーで電話をかけていた姿が浮かんだ。

・2022.09.14

10時間くらい眠って、ここ数日あまり眠れていなかった分を取り返した。気持ちがいい。午前中は記事をウェブサイトに流し込む作業をする。集中力がないと間違える作業をいかに早く終わらせるか、タイムアタックのような気持ちでやり切った。

夕方、渋谷で取材。いつまで経っても伝えることは本当に難しい。今の言葉でうまく伝わっただろうか、という不安がいつもあるけれど、その中でもふと伝わった感じがわかるとうれしい気持ちになる。即座に言葉にする、ということが得意ではないという意識があるから、声色や表情や、伝えるときに纏っている空気がいつも支えてくれているような気持ちになる。気づくと何年もリモートで仕事しているけれど、そういうものがなかなか支えになってくれないzoomの画面越しでは伝えられないものがあることはだいぶ明らかになっている。

帰り道にふとスマホの日記アプリを開く。ふとした時間をSNSやニュースメディアを見ることにだいぶ長い時間割いていたけれど、いかに自分が時間を即時的なインプットに割きすぎていたか。TwitterもInstagramももはやほとんど見なくなってしまったけれど、ひさしぶりに見たらおもしろかった。友達とひさしぶりに会うのがうれしい感じといっしょかな。いろんなものとのちょうどいい距離感を模索する。

・2022.09.13

昨日の夜は家に帰ってから急いで提案資料をまとめて印刷していた。家のプリンターがあまりにも遅くって、時計を何度も眺めながら睡眠時間を計算。5時間くらいしか寝れなさそう。4年前くらいまでしょっちゅう朝まで働いてたのに、最近は6時間は寝ないと頭が回らない。できれば8時間は寝たい。

7時半に品川に着かなくてはいけない。本当は電車で行きたかったけれど睡眠時間を優先してタクシーで行くことに決めて、6時に起きることにした。

新幹線で大阪へ。プレゼンが終わり、昼ごはん。滞在3時間で眠気に駆られながら東京へ戻った。新幹線は話に熱中したので、ゆめさんちにいってから仕事。22時くらいになって、後頭部がもわんとするのと吐き気、手足のしびれを感じたので怖くなってタクシーで帰宅した。行きも帰りもタクシーをつかったことでよくわからない罪悪感を感じる。さらに出してもらった夕飯も食べられないまま、目も合わせられず半泣きで帰宅したことにも罪悪感。健康でありたい。

・2022.09.12

ねむくて全然起きれなかった。布団にくるまって、他の人の日記を読んだりしていた。最近忙しくてベッド横の本がどんどん積まれていって、バランスを保てず崩れてしまった。

わたしたちのスリープオーバーの収録、かほさんと。わたしだけが覚えているのかもと思った話を覚えていてくれて、すごくうれしかった。カレーを食べなかったカレー屋の思い出。本の付箋の色がme and youの本の色といっしょできれいだった。ドッグイヤー派だけど付箋にしようかな。

六本木からゆめさんとタクシーで帰りながらいつもいろんな話をしている。今日は何かをスマートにこなすことについて、という話。わたしはフィジカルな動きを伴う作業が昔から苦手で、たとえば体育の授業で「まきちゃんの動きうける」みたいなかんじでいじられたりするタイプだった。財布からお金を出したりするのも遅い。焦らされるとさらにもたつく。それに対していらつかれたりすることもあるし、だからといって愛嬌で乗り越えられるキャラクターでもない自分の置き所に悩む時もあるけれど、基本的なスタンスとしてはだいぶスマートにこなすことを諦めてしまっている。なにか自分の中に大きな諦め、が存在しているなあと思うときがある。

・2022.09.11

ドトールでコーヒーとホットドッグを10分くらいで食べて、日記屋月日へ。気持ちのいい晴れの日。月日のお二人も対面だと初めてお会いするし、参加者の方々も初めましてだったけれど、日記を読んでいたからかあたらしい距離感を感じた。

椅子に座り、足の爪がぼろぼろなのに足指が見えるビルケンを履いてきてしまったことに気づいて、焦って足指に力を入れる。人前で話すのはいつも緊張するけれど、こういうことでますますあせだくになる。昔書いてたブログの話をしたけれど、もっと話したいことがあったはずなのに、という気持ちが湧いた。でも今回は、ここにいる人に会えるのが今日だけではないのだ。

自己紹介を通じて、参加されてる方々が日記を書くという行為についてたくさん考えられていて、自分が意識できていなかったことがたくさんあることに気づいた。何を書いて何を書かないかだったり、書く時間のことだったり、出てくる人の呼び方だったり。わたしはいまのところ、リアルタイムでメモした言葉と、その日の途中で書いたちょっと長めの文章を頼りに、あとからまとめてパソコンで書くことが多い。だけどなかなか書けない時間が続いて毎日のタスクに「日記を書く」が残り続け、それが重荷になっているのも事実だった。誰に言われたわけじゃないけれどずっと存在している、日々をまとまったテキストで記録したいという自分自身の欲求についてももう少し掘り下げたい。

B&Bさんでme and youの本をふなきさんに預けて、ゆめさんと話しながら下北沢の駅へ。

電車で登戸へ向かう。食彩館の2階、本屋やイートインスペースがあるの知らなかった。家から割と近目のところでパンと音楽とアンティークというイベントをやってて、少し覗きに行った。北里彰久さん、家主、ラッキーオールドサンをちら見。オーガニックワインを飲む。ミヤジさんに会った。1500円くらいで入れて、手書きでステージ名が書いてあったりして、ゆるいのがよかった。競艇場を使っているからか三連単という文字が見える。競艇場に集う亡霊たちはこのやさしげなイベントについてどう思ってるのかなと話していた。

連日の疲れが重なり、早めに出てレンタサイクルで多摩川沿いを自転車で帰る時間があまりにもよくって、眠気のあまりこれは幻なのかなと一瞬感じるほどだった。

・2022.09.10

だいたい隔日でやってるストレッチが最近できてなかったから、ねむたい身体を起こすためにストレッチに参戦する。DVDからいつもの音楽が流れる。YouTubeもある時代にDVDって。と思いながら、いやいやDVDでストレッチしてもいいだろう、と思い返す。晃生はわたしがさぼっている間にいつのまにか「上級」をやっていて、かなり難易度の高いポーズをなんなくこなしていた。本当はそのあとに近所のプールに行きたかったけれど、昨日終わらなかった仕事をやるべくパソコンを開く。気を抜くと集中しすぎて延々と仕事をしてしまうけれど、人と暮らすようになってそれが少なくなった。「いつまで仕事してるの!」と言われて14:00くらいでいったん切り上げた。あとは明日の朝と夜にまわそう。

今日の夜はマリカと吉祥寺の祭に行こうと話していたので、晃生と一緒にちょっと早めに吉祥寺の駅へ。打ち合わせとかで訪れることはあったけれど、街を散策するのはひさしぶりだった。駅出てすぐ、NICOって古着屋さんは大学生のときたまに行ってたけど、まだあるんだな。その一階にある古本センターをざっと眺める。アダルト本とか内容的にアウトだろと思う本も多い街の古本屋で、背表紙にならぶ本のタイトルを眺めるだけでもだいぶ面白い。「いろいろ面白みがありそうな新書」「いろいろ変わった新書」というカテゴリ分けも適当すぎていい。こういう雑多な古本屋、あるいはBOOKOFFのような場所に身を置いていると自分が透明になったり、輪郭が浮かび上がったりするのを繰り返す感覚があって、それが好きだ。佐野洋子さんの挿絵が美しい森茉莉さんの『魔利のひとりごと』を250円で購入。

吉祥寺の街はとにかく店が多くて、活気があるなと感じた。「うちらの街の100倍は店があるね」「いや200倍か」など話しながら、結局そんなに店はめぐらずに喫茶店でクリームソーダを飲んだりOSAJIでネイルやシャンプーを買ったりしていたら、待ち合わせの時間。マリカと落ち合って、祭に向かった。

お祭りは思った以上の混み合いで、人混みや並ぶことが苦手なわたしたちにとってはかなり厳しく、ずらりと並んだ屋台を眺めるだけで外に出て、ひさびさに行きたかったTACOS Shopへ。メキシコに行っていた友達に教えてもらって前に食べたことがあるんだけど、4畳くらいの小さな空間で、立ち飲みとタコスの組み合わせが最高で本当においしいお店。おととい話していた、本当に怖いことってなんなんだろうね、という話もした。煙草を吸いに行った晃生が、メキシコ人のお客さんと仲良くなっている。彼のそういうところがうらやましい。店主が、あの人はYo La Tengoが好きなんだよ、あまりそういうふうに見えないかもしれないけれど、と教えてくれた人の携帯には「NO FUN」というステッカーが貼られていた。

マリカおすすめの古着屋さんに行って、飲んだ勢いもあってTシャツとちっちゃいバッグを買った。もうTシャツの季節は終わりそうだけれど。それから、彼女の友達を呼んでもう一杯飲んだ。友達の友達として初対面の人と知り合うのはひさしぶりで、Dean Bluntの話をしたのが記憶に残ってる。好きな音楽の話ができる仲間が増えた感じでうれしい。明日は朝早いから、と思って途中でお茶を結構飲んでたからかあまり酔っ払っていない。アイスを食べながら帰ろうかと思ったけれど、もうそれをするには寒い季節だった。

・2022.09.09

昨日、あいちゃんに教えてもらったLittle Alchemyってスマホのゲームをベッドのなかでずうっとやっててなかなか抜け出せない。四大元素を合成してどんどんあたらしいアイテムをつくっていくゲームなんだけれど、mudとplantでswampが生まれ、swampとenergyでlifeが誕生した瞬間や、humanとhumanでloveが誕生した瞬間ぐっときてしまってスクショした。

ばたばたと仕事。昨日まで北九州出張で、来週は大阪で日帰り出張がある。少しでも時間伸びてくれ、という気持ちで集中して仕事をしていたらごはんを食べそびれて、変な時間にお土産でかってきた九州ラーメン7食入りパックの「長崎」を、急いでいたからのりとねぎだけ乗っけて食べた。

打ち合わせがふたつ。話しながら、あ〜!と頭を抱えたりとか、うう、と嘆いたりしてしまって、永遠に堂々と話せないんじゃないかと自分のことが心配になる。そんなわたしのこともニコニコ見てくれる、安心できる人たちといま仕事をしているのだ、ということにふっとうれしさがこみ上げた。

夕飯、時間がなさすぎて久々のウーバーイーツ。近所の中華、あまりにもおいしい。Netflixで「このエリアのクレイジーX」という韓国ドラマの第一話を観る。主人公の女の子が友達に似てる、似てないとか、この子みたいに秋はでかめのニットとシャツを着たいよね、などいろいろ話しながら観てた。続きを観たい。

資料が終わらなくて寝るギリギリまで資料をつくり続けていた。こないだ買った雑誌スペクテイターの『まんがで学ぶ メディアの歴史』をちょっとだけ読んで、眠った。

・2022.09.08

どこかのホテルで一人で眠るのが久しぶりだったけれど、狭いホテルの部屋で朝6時半くらいにテレビがいきなりついたのが本当に怖かったな。一回目覚めて、怖いから目をつむって二度寝をしたからか、アラームに気づかず、朝ご飯のバイキングに行けなかった。

ゆめさんあいちゃんとホテルの庭園で待ち合わせ。朝の話を二人にする。「竹中さん、バイキング本当に楽しみにしてましたもんね…」と慰めてくれた。朝ごはんを食べに喫茶店へ。途中でシロヤというパン屋さんに立ち寄りつつ、CAFE DE FAN FANというお店に入った。このお店の喫煙所はなんともいえないよさがある。喫煙者が多い街なのかな。仏像の前に置かれた犬のオブジェ、わたしが飼いたいと思ってるウエストハイランドホワイトテリアのオブジェだった。

仕事をしなきゃ、と喫茶店に入ったはずだったけれど、昨日一日でいろいろな人と共に話してきたことについてぽつぽつ話す中で話が広がって、学生時代の経験と今がどうつながってるかとか、自分が本当に怖いものって何かとか、そういう話をずうっとしていた。「怖いものは何と聞かれたらなんて答える?」と聞かれたときに、わたしは迷いながら「突然大切な誰かがいなくなるのが怖くて、だからこそ頭のなかで予行演習をしている」と答えた。そういう予行演習のことをわたしはとても自分勝手だなと思っている。でも、それだけ怖いのだ。数年前だったらまた全然違うものが怖かった気もして、何も怖いものがなかった時期もあったように思える。

どこから海で、どこから川なんですかね、そんなことを話しながら小倉の街を歩いた。橋の下に佇むカラスはいつも見るカラスよりも大きくて、空はいつも見る空よりもずっと高かった。焼けてしまった市場の近くを歩きながら、ここで暮らす人たちのことを思う。街を訪れるたび、この街はあまり合わないと思うことも結構あるのだけれど、この街はなんだか好きだなあ、と感じた。

空港行きのバスの中で、あいちゃんとたくさん話した。自分の中にある加害性であったり、無意識の差別だったり。飛行機に乗る前に10分でラーメンを流し込んで、お土産を買って羽田空港へ。帰りは車に乗せてもらって帰れたのでありがたかった。

・2022.09.07

うまく眠れず、何度も目覚めるのを繰り返してたら7時。新宿駅を経由して高速バスで羽田空港に向かう。飛行機乗るのはひさしぶり。緊張と高揚感。九州に行くのも初めてでうれしかったからか、昨日はなぜか友達に「明日から北九州!」とLINEしてしまった。そんなこと細かに普段日常のこと伝えないのに。ライターとして今回一緒に取材にきてもらうあいちゃんと最近の話をしながら搭乗時間を待つ。

飛行機に乗るたびに新鮮な驚きがある。地図で見るととてもじゃないけれど遠くに見える街並みが、手のひらに乗っけられそうな感覚になるから。雲のなかをすりぬけながら、これまでの飛行機の旅のことを思い出していた。

飛行機に乗っているときのことを思い出すとき、友達と行った旅のことはなぜかあまり思い出せない。自分が自分じゃいられないときに一人で行った旅で乗った飛行機のことは、10年以上前のことでも鮮明に覚えている。そこで観た映画のことも。またああいう気持ちになって、飛行機に乗るときがいつかくるのかな。

今日は海さんの映画『重力の光』の取材で北九州にきた。この日にあったことをいろいろ書こうと思ったけれど、この続きの日記は時間がないと書けなさそうだったので、また別の場所で書こうと思います。

・2022.09.06

早起きが成功して、いつもよりベッドからはやくぬけだせたことがだいぶうれしく、調子がいい。冷凍庫に眠っていたキウイのスムージーを飲んだ。涼しくて、リビングの窓から自分の窓に風が抜けていく。風がないじめっとした暑さは息が詰まりそうになる。今年の夏はそういう日も多かったような。なるべく風が通り抜ける場所で生きていたい。

晴れた空の下で洗濯物を干す時間が好きだ。周りに高い建物がなくて、広い空が見えるこのベランダは結構自慢できる。今日はちょうど洗濯物を干すとき、お隣さんのうちのベランダが開くがらら、という音がした。お隣さんは、たぶん同年代の夫婦。わたしたちが引っ越してきたときに挨拶をして、そのときに「ゲームが好きで夜遅くまでうるさいかもです」と話されてたけど、うるさい音がしたことは一度もない。むしろ、レコード聴いたりギターやベースを弾いたり、歌ったりしているうちのほうがうるさいんじゃないかと心配になる。そんなお隣さんからこのあいだポストに手紙が入っていて、「子どもが生まれたので、うるさくなるかもしれません」と書かれていた。けど、子どもの声が聞こえたことはまだ一度もない。ここで暮らして二年のあいだにわたし自身がいろんな変化があったように、お隣さんの家にもいろんな変化があったんだな。実際の距離はこんなに近いけれど、たまに顔を合わせて挨拶をするくらいの距離感はとてもちょうどよく感じる。距離感、ってなんだろう。

今日は何かの拍子に、わかるよ、という言葉がときに持つ暴力性についてぼんやり考えていた。この言葉によってときどき、自分の経験が消えてなくなってしまうような感覚になるときがある。自分自身もこの言葉を発するときが多いのだけれど、言ったあとに「あ」ってなるときがある。勝手に誰かの経験を自分の手元に押し込めてしまっているような。一方で、わかるよ、という共感によって救われた経験だってたくさんある。わかることとわからないこと、一緒であることと違うこと、そのことについてずっと考え続けている。

・2022.09.05

日曜の夜は飲みすぎないようにするって決めてたけど、昨日はライブに行って、ひさびさの友達に会ったのがうれしくって、終電間際まで飲んでいた。水をいっぱい飲んだけど、まだすこし酔いが残ってる。こういう日はだいたい、卵かけご飯と味噌汁。飲んだ次の日の味噌汁のおいしさってほかに代え難い感じがある。

今日も家からほとんど出てない。行ったのはコンビニくらい。そういう日が結構ある。仕事が終わって、少しだけゲームをする。どうぶつの森をやり込んでいる友達を見てうらやましくなり、今更感をやや感じながら昨日から始めてみた。最近までゼルダをやってたけど、さしてゲームがうまくないわたしにとっては心臓がだいぶばくばくして仕方がなかったので、このゲームはだいぶ気持ちが安らぐ。ゲームが始まりたてでたぬきに対してお金を返済したりローンを組まされたりして、資本主義の現実に戻されてやや虚しい気持ちが訪れたけれど。それでも地続きではないいくつかの世界を持つ、ということが自分にとってはすごく大切なことで、ゲームもその一つな気がする。好きな本や音楽や映画に触れる時間が大切な気持ちとはまったく違ったベクトルで、こうした時間がわたしにとっては大切だ。

今年は全然ゴキブリがでないなと思ってた矢先、夜、出てきた。古いマンションに住んでるからきっと隙間も多くて、きれいにしてるつもりだけれどどこからか入ってくる。晃生に借りて最近読み始めた稲垣諭さんの『絶滅へようこそ 「終わり」からはじめる哲学入門』という本に、人類という種の文明的な歴史はまだ数千年で、ゴキブリのように数億年生きている種もあるけど、あっという間に消えてしまった種がほとんどだという話に触れられていた。ゴキブリは人間のはるか前からこの地球に存在していて、種という意味では先輩なのだから、と認識を変えてみる。それでも目の前のゴキブリが恐ろしくてしかたがない。今日から日記屋月日さんとの企画がスタートするけれど、その一日目がゴキブリの話だなんて。でも、これが日々のリアルだろう、とも思う。

・2022.09.04

落合でタイコのライブ。ケイとひさびさに飲んだ時間もよかったね。

・2022.09.03

ぎりぎりな感じでやっていた日々を乗り越え、休日!という感じの休日でだいぶ気持ちがいい。ストレッチしてプール。平泳ぎ、少しは泳げるようになった。太陽が差し込む中で水にプカリと浮かぶ気持ちよさ。体の輪郭が感じられる。二子玉でトンカツ食べて買い物、特に欲しいものがあるわけではなかった。ヴェレダのトリートメントを買ったりする。川の側は開けていて、みんなが自由な感じで佇んでいるお気に入りの場所がある。去年よく自転車できていたな。木陰でピクニックをしてる女の子たちがいていいなあと思ってチラと見たら、「笑われたんだけど!」という声とともに中指をたてられ、ショックを受ける。「笑っていません…!」とかぼそい声で伝えたものの、なんだかしばらく落ち込んでしまった。じろじろ見たように思われてしまったんだろうか。どうしたらよかったのか。

・2022.09.02

冷や汗、頭痛。午前中は無限に時間があるように思えるけれど、16時くらいから焦りだす。時間感覚に歪みを感じるときがある、横浜まで家から駅まで30分くらいでいけるんじゃないか、とたまに本気で信じてしまうけれど、家から駅まで15分くらいかかることも充分に理解していて、よくわからない。

・2022.09.01

山内尚さんの『魔女の村』を朝読んで、泣きながら起床。