2022年11月の日記

・2022.11.30

仕事が一分たりとも余裕がないかんじ。

・2022.11.29

昔からの男友達の一人称がいつ誰とでも「わたし」でぶれないのなんだかいいなと思う。男性の一人称は「僕」「俺」「わたし」とあるけど女性はだいたい「わたし」しかないよなあ。不思議。柏井さんのオフィスへ。仕事でだいぶばててたけれど嬉しくなって飲みすぎてしまう。BGMにしていた映像で若いトム・ヨークが映っていた。

2022.11.28

大事な話をしに代々木上原へ。これからがますますたのしみに。

・2022.11.27

日記屋月日さんでの会が今日で最後だった。会を通じて自分自身の日記の書き方が変わるかな?と思っていたけれど、自分自身は特に変わらなかったかもしれない。自分にとって日記を書くことは、忘れることが怖くて、忘れっぽいという自覚のある自分の記憶を代わりにどこか別の場所に覚えててもらう、という意味合いが強くて、それは多分ずっと変わらないことだと思う。

ボーナストラックでみやじさんとしゃべってて、わたしが「チェックチェック〜」と言ったらみやじさんの鞄から「チェックチェック」という雑誌が出てきて爆笑した。ついに予言ができるようになったか。

どこかで本でも読もうかな、と思って3冊持ってきたけれど、徹底的に家でごろつこうと急遽予定を変更する。トイレ掃除の道具がなくなったなと思ってドラッグストアに行ったらあれこれほしいものがあって目移り。ドラッグストアってほんと大好き。家に帰ってトイレ掃除をして、ぐちゃぐちゃになっている本をジャンル別に整理した。読み途中の本が多すぎる。

・2022.11.26

昨日globeを聴いた影響で朝はSpotifyでTKまわりの曲を歌ってた。m-floなどをはさみつつ、最後はcoccoに行き着いていた。夜は巨大な枕を抱えて登場したもえちゃんと飲む。

・2022.11.25

定例会をしていたら数年ぶりの人がわたしのことを発見してくれて、外で仕事しているとこういうことが起きるんだなあ。東京、狭いようで全然人とすれ違わない。

夜、日比谷で倉田翠さん演出・構成の『今ここから、あなたのことが見える/見えない』。大手町・丸の内・有楽町エリアで働くワーカーが出会い、彼らのコミュニケーションを通して立ち上げる舞台ということで、大丸有SDGs ACT5というプロジェクトのなかで行われているようだ。

舞台にはオフィスでよく見る綺麗に生けられた花、会議室によくあるテーブル、オフィスチェア、などなどが並ぶ。爆音のglobeの「SWEET PAIN」から始まる。「やり直しがきく今なら 昨日が気まずいだけ」。舞台に出ているのは、弁護士事務所で秘書をしている女性、不動産会社で働く男性、普段役者として舞台に立つ仕事をしているわけではない人たち。一人ひとりが自分の日常や日々考えていることをそれぞれ話していく。ラルクのライブに行きたかったこと、サンプリングをもらってしまうこと、暗渠やテニプリについての熱狂、タモリと根暗の話、子供が不登校だということ、大学生の頃に子供が産まれて土下座したこと。スクリーンにはUDトークが映されている。弁護士秘書の女性の話を聞きながら、わたしも12年間女子校だったよ、このあと飲みに行こうよという気持ちになる。けれど、すべての話が、感動的だったり自分にとってすばらしくいい話だというわけでは全然なく、それぞれの人間み、整合性のなさ、ぐちゃぐちゃな部分も含めて、ずらりと舞台に並ぶ。きれいなスーツ、オフィスカジュアルの服を着て、会社に向かって歩いている人々の無色さとは相反するいろいろさがあった。どんな人にでもその色々さがある、ということは日々のなかでふと忘れてしまう。電車の前の席に座ったゲームをしているサラリーマンらしき男性を見て、その見た目だけで、自分の人生で交わることがほとんどないだろうと自分のなかで選び取ってしまって、通り過ぎてきたことを思い出す。帰りの満員電車の風景が違って見えた。

こないだ観た展示でも、映像制作の過程で生まれる対話を見てきた。ここ最近、作品を作るという過程に強い関心がある。作品を作る、ということでしか生まれない対話が存在しているようで、そのことについて学んでいきたい。来年は演劇や対話を大切にした作品をたくさん観る年にしたい。

・2022.11.24

晃生が出張で大阪へ。しばらく一人暮らしで寂しい。リビングを占有してやろうと思う。

朝、英会話の先生から遅れるという連絡があって、広場のベンチに座ってぼおっとしていた。保育園の子供たちが遊んでいる。何人かで遊んでる子、二人で遊んでる子、一人でいる子。一人でいる子と目があった。この子は何を考えているんだろう。幼稚園の頃、みんなで遊ぶのが得意じゃなくて、一人で絵を描いていた記憶が蘇る。お泊り会が死ぬほど嫌だったし、そもそも幼稚園に行きたくなさすぎてギャン泣きしていたらしい。でもわたしの母も、保護者会とかでほかのお母さんとまったくつるんでいなかったな。今振り返るといろいろと辻褄が合う。英会話はこの間うまく話せなかったことをエッセイにして書いてきたことでうまく伝えられてよかった。hypocriticalという言葉を覚えた。

仕事、だいぶはかどった感じがして気持ちがいいけれど、どうも一人だと仕事をしすぎてしまって目が冴えてうまく眠れなかった。生理がきて、気持ちが少し落ち着いている気がする。やっぱり先週の調子の悪さはPMSも関係しているのか。もう生理がきはじめて240回目とかだと思うけれど、いつも忘れてしまう。いい加減PMSの時期をちゃんと予測したいので、一番見るであろうGoogleカレンダーに「PMSかもしれない」といれた。

・2022.11.23

秋晴れが続いていたけれど、今日は雨降りでぐっと冷え込んでいる。昨日終わらなかった仕事をしながら、先週のことを考えていた。ここ10日間くらい調子がよくなくて、自分を昔から支配し続けている考えが強い力でぐいぐいと引っ張ってきて、いつもはそれなりに操縦して行きたい方向に気持ちが向けているけれど、どうにもこうにもいかなくて本当に困ってしまった。這い上がるためにいろいろとできることをしてみて、新しくしてみたこともある。そのおかげなのか、ただ時間が過ぎたからなのかはわからないけれど、こんなに雨が降っているのに目の前が澄んでいる感じ。お気に入りの曲が詰まったプレイリストから「i don’t know anything」と聞こえる。わからないことばかりだ。

雨降りだけれどせっかくの休日なので、どこかに出かけることに。東京都現代美術館で行っている『ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台』を観に行くことにした。オランダを代表する現代美術アーティストで、映像制作を対話構築の契機と捉えた実践を続けてきた彼女の国内初めての個展だそう。入り口でヘッドフォンと美しいデザインのパンフレットを手にして、会場を回る。順番はなくて、好きなものから観ていいそうだ。いくつかのスクリーンの前に木でできた舞台セットのような造作物があって、そこにヘッドフォンのプラグを差し込むと音が聴こえる。自分も登場人物の一人になっているような感覚になる。

植民地主義、ナショナリズム、家父長制、フェミニズム、ジェンダー。丁寧な考証、個人の言葉、場所が持つ記憶が絡み合いながら、さまざまな交錯する問題が浮かび上がってくる。映像の持つ力を感じた。例えば『ヒア』という作品は、かつてオランダ植民地とのつながりがある人々による紳士クラブだったという改修工事中のアーネム美術館で撮影され、テキストの朗読や、FREDというバンドによるインドネシアの伝統的なクロンチョン音楽、彼女たち自身の曲などが重なり合う。今この場所で立って生きていくためには、感情の機微も、社会を取り巻く状況や歴史的背景も、どちらかだけを重んじるわけにはいかないのだ。

『オブサダ』という作品では、女性という立場から映画を制作することについて話し合い、互いに撮影する過程で即興的なアクションを行う。そのなかで「子守りをすることが一番の芸術的挑戦なの」というような言葉や、自尊心が失われてしまうことに悩んでいるような話に触れて、自分が先週ずっと悩んでいた「支配し続けている考え」は私個人の中から勝手に湧き上がってきたものとは言い切れないものなのだということを作品を観ながら思い出していた。

時間が足りず最後まで観れなかったけれど、本を読み感じたことを話し合う姿が印象に残っている『彼女たちの』。東京と横浜で撮影され、林芙美子と宮本百合子、女性や階級の問題に強い意識を持つ異なる二人の作品を手がかりに、さまざまな人々が対話を交わし、朗読する。作品の一つひとつが創作の過程や、歴史、個人的な声、対話を重視してつくられていて、とても誠実だと感じ、刺激を受けた。

閉館時間の関係で観れなかった作品もいくつかあるので、年末年始に時間があるときに続きを観にきたい。年末年始のしんとした空気の中、静かな美術館や博物館に行く時間が大好きなのだった。展示会場を出たところにあるナディフの展示関連コーナーには、林芙美子や宮本百合子、エトセトラブックスやザ・フー、IWAKANの本なども並んでいた。

帰り道に居酒屋「だるま」の近くにある古着屋さんで青色のカシミヤのニットをお手頃な価格で見つけてうれしい。前にだるまで飲んだ日のことを思い出す。あの日はコロナ前だったな。今日はお休みで入れなかった。駅前あたりで、どしゃぶりと強風で傘が壊れる。未だに強風のときにどうやって傘をさしたらいいかがわからない。

いい休日だったねえと話しながら、夕飯。テレビではワールドカップのニュースが流れている。ワールドカップの盛り上がりに毎年ついていけないまま気づくと終わっている日々を34年間過ごしているけれど、いつか変わるのだろうか。変わらないのだろうか。(me and youのニュースレターより)

・2022.11.22

仕事の合間に、レンナさんとアップルパイを食べに表参道へ。短い時間にぎゅっと詰まったおしゃべり。今日のテーマは自意識だった気がする。

今日は自分のことを手綱でつかめている感じがして調子がいい。カウンセリングに行ったことが効いているのかはわからないけれど、聞いてもらえるということの大事さを感じる。身近な人間関係においても聞く、聞かれるは大切だけれど、相手にとっては自分がしたい話をすると気に触る可能性がある。でもそうやって話したいことを押し込めていくと、自分がなくなっていってしまう。「自分の話を絶対に聞いてもらえる」ということがお金を払うことで手に入る安心というか、ある種お金を払っている関係だからできることというのはあるよなあと感じる。

・2022.11.21

Alice BomanというアーティストとPerfume GeniusがコラボしているFeel Like A Dreamという曲が美しくて、立ち止まる。自分にとって音楽は薬のような効果が強いような気がして、メロディやリズムや声が重なりあいながら自分に染み渡っていくと、そのときの自分の死んでいた部分が蘇るような感覚がする。そうやって何度も助けられてきている。好きな歌詞もあるし、言葉ももちろん大事な要素のひとつだけれど、意味合いを理解して好きになるというわけではなく感覚的に受け取っているから、言葉にするのがいつもすごく難しい。

夜、学芸大学のリ・カーリカで剣持さんとごはん。コース料理、あまりにもおいしくて感動した。シェフの方もすばらしくて、いままで行ったお店のなかでもかなり好きなお店になった。オーガニックワインも厳選していて、全然頭が痛くならなくって。新卒で入った会社の先輩だったはずの剣持さんとも気づくとだいぶ長い付き合いで、生きていくということについて深いところまで潜って話すことが楽しい人の一人。

・2022.11.20

ベッドからいかに抜け出すかが大切だ、と毎日しつこく思い続けてるけどなかなかうまくいかない。

髪を切って着たい服に似合うようになった気がしてうれしい。決まりすぎないというか、適当な感じもあってそれがいい。アホ毛が多いのでそれが目立たないのもありがたい。インスタのストーリーにニューヘアをあげちゃお、と勢いづく。が、いらない自意識が働いて、褒めてほしいと思われるんじゃないか、わたしの髪型など誰も興味がないんじゃないか、など別の自分が問いかけてくる。それらの自分を追い払って、そのへんのチューリップの写真をかわいいね!ってあげる感じと変わらないのだ、と自意識のチューニングをしてから目を瞑ってアップした。そこまでするならアップするなよ、と思われるかもしれないけれど、正直気に入ってるから誰かに褒めてもらいたかったのだ。

バスに乗って二子玉川へ。買うつもりはなかったけど、グレーのウールのスカートとギンガムチェックのコートを買う。うれしくてだいぶ浮かれてしまい、家に帰ってもかわいくてにやにやする。

・2022.11.19

髪を切りたくなったので、Instagramで見つけた気になる美容師さんのところに行ってみることにして、おまかせでオーダーした。意外な共通の友人がいることがおもしろかったからという理由と、ジェンダーにとらわれないヘアスタイルをつくるのが好きだというところがいいなあと思って。ゆるいパーマで顔周りを少し短くして、ちょっとウルフっぽく伸ばせるようにしてもらった。高校生の頃の髪型みたいでやたらと落ち着く。

いくつかの服屋さんをまわって、電車に乗ってカウンセリングの場所へ。行きがてら何人かにおすすめされた東畑さんの『聞く技術 聞いてもらう技術』を読む。カウンセリング、たったの50分ではあるけれど、話をしっかりと聞いてもらえた、という感じがある。ちゃんと聞いてもらえるだけで、なんでこんなに気持ちが落ち着くんだろう。自分の内側の内側の方にいる自分が喜んでいるのを感じる。何回かかけて、少しずつ解いていきたい。

髪型を変えたからか、男の子が着てる服がもっと着たくなった。晃生が買ったヘルスニットのたっぷりサイズのサーマルのタートルを安く買い取らせていただいたのでいっぱい着る。

・2022.11.18

朝起きて、いい一日を送ろうな、と自分に呼びかける。カームダウンさせるイメージで。ここ最近の自分は少し暴走しがちだった気がする。コントロールできていない感じがある。

夜、新卒で入った会社の後輩2人と、同期でもうだいぶ長い付き合いの福ちゃんと4人で韓国料理。後輩とはあまりにひさしぶりで、7年ぶり?と話していた。「竹中さんにもらったドーモくんのぬいぐるみ、まだ持ってますよ」と言われたけれど、そんなのあげたことすら持っていたことさえも思い出せない。

ここ1,2年ほとんど話に出ることはなかった前の会社の同僚や先輩たちの名前が次々とあがって、一気に当時の気分が蘇ってくる。辞めるときはいろいろと思うことがあったけれど、一緒に働いている人たちのことは大好きだったんだ。上司たちは自分のこともちゃんと評価してくれていて、のびのびと仕事ができていたように思う。だから、大変だったけれど5年間くらい働いていた。当時はslackとかなかったから、よくFacebookメッセンジャーで仕事のやり取りをしていて、懐かしい名前の一人ひとりを検索してみたら、過去のやり取りが見えて、胸がいっぱいになった。

本当に楽しくていい会社だった、けれど、後輩が「入ったばっかりのとき、性差別的なことが罷り通っててそれが本当に嫌だったんです」と言う話をして、ああそれはほんとうにあったよな。わたしも辞めたうちの一つの理由はそれだったんだから、ということもしっかりと思い出した。

今の自分がここ数年でできあがったものだと思ったら本当に大間違いで、すべての時間を経て、すべてのつながりを経てここに立っているんだなあということを再確認した。長い月日を越えても、なんの違和感もなく会えるのだということ、そして一回会ってしまうともうこれから気軽に会えるんだろうなあという気分になる。

・2022.11.17

ひどく寒い日。朝は英会話、Nikeのレイシズムについて扱っていた広告についての話になって、ポジティブな面もネガティブな面も話したかったのに、まったくうまく話せず落ち込む。先生にDisagreeと言われて、あ〜そういうことではなく…となって取り乱してしまった。その後、打ち合わせなど。夜のBig Thiefのライブ、本当に本当に楽しみにしてたけれど、調子が悪くて行くのをやめた。悔しくて絶対に感想とか調べないようにする。

・2022.11.16

心がざわついてる時って大体、携帯を見ながら同じループを繰り返している。アプリを開いたり消したり。特に何も見ずに。いらない自己分析を始めてしまい、すればするほど「私はこういうところがある」ということでがんじがらめになっていくような気がする。このままでは落ちるところまで落ちてしまいそうだったので、ひさしぶりにカウンセリングを予約した。前の人は合わなかったので、調べて見つけた新しい場所へ行くことに。ずっと悩み続けていることを対処療法的にやり過ごすのではなく、根幹から見つめてみることにしたい。

友達から連絡がきて、新たな一歩を踏み出すことを教えてくれた。いつも背中を押したり前向きにしてくれるから、そのおかげだよ、というメッセージがきて、弱ってたこともあるからか泣いてしまった。自分が誰にとっても必要のない存在なのではないかという気持ちに陥ってしまっていたので、誰かにとっていいことができていたのだということが感じられて本当にうれしい。同時に、いつも同じようなうじうじとした思考回路に陥っていることが、おこがましいような、恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちになる。

夜、りおちゃんとゆめさんと新宿でごはん。5年前くらいにみんなでカラオケ行ったときの写真を見て笑った。

・2022.11.15

あんまり落ち着いて自分の心を整理できていないような気がしてそわそわする。どこかに書き出したり、考えたりする時間が必要だ。朝ごはんはパンとスープ。外で打ち合わせ2つ。その後、自分を卑下することを人に押し付けるような発言をしてしまい言い争いになる。家に帰っていろいろ考えたけれど、前提となっている考え方が違うと、なにか誤解として相手に伝わってしまうこともあれば、こちらにも伝わってきてしまうことが確実に存在している。難しい。

・2022.11.14

好きな色の組み合わせがあるなあ、と思ってiPhoneのメモに書いておいた。水色と茶色、緑と黒、赤と紺、クリーム色とキャメル色、グレーとピンク。

・2022.11.13

エルピス二話。まさかの安倍が出てきてびっくりする、踏み込んでてすごい。「国家権力ってもんはプチっと潰しても声が出せない、出したとしても周りに聞こえないような人を狙うんで」のような言葉がすごくて、思わず書き留めた。Twitterで反響を検索する。Twitterはこういうときの反応、人々の声を調べるのに重宝しているから、そういう意味ではなくならないでほしい。

夜、Twililightできくちゆみこさんとカナイフユキさんをお招きしたイベント。ゆみこさんが教えてくれた、シュタイナー教育で行うという銅の玉を隣に渡していく時間がよくって。円になって座るということは隣と隣が連なっていることなんだなあと実感。過去の自分を癒してあげるために、というような話が出て、ああ、わたしもそれがしたいのだ、ということを思い出した。私の月星座はなんだったかな?と家に帰りがてら調べたら、蠍座だった。

・2022.11.12

キッチンのシンクの汚れが急に気になり始めて、家にあるいろんな掃除用具を使ってもなかなかとれず、最後に使った重曹の効き目が抜群だった。新築、というのは言い過ぎかもしれないけれど、越してきたときのシンクに近い感じ。光ってて気持ちがいい。掃除をしていると、ある種なにかの罪滅ぼしというか、心のなかの淀みを磨いて流していっているような感覚がある。何かわかりやすく小さな成果を得られる体験をいくつも持っておきたい。

夕方、幡ヶ谷でまりかと晃生と。行こうと思っていたお店はお休みで、それから5,6軒まわったけれどどこもいっぱいだった。この街の人気っぷりよ。上原のちょっとした居酒屋にやっと入れて、下のワインバーに寄って帰った。わたしの好きな人たちにいいことがいっぱい訪れるようにと願った夜だった。

・2022.11.11

最近、母から連絡がきた。大学時代仲が良かったけれど、近頃は年賀状しか交換していなかった友人に思い立ってLINEをしたらしい。岐阜のキムタクのパレードを見て、岐阜に住んでいるその友人のことを思い出したから、だそうだ。「失った45年、話したいことたくさんある」と返事がきたらしくて、今後会うことにしたんだ、と嬉しそうにしている。その話を聞いて、キムタクというきっかけ一つで45年間の時を超えて距離が近づくことがあるんだよなあ、と心が震えてしまった。そんな大きなきっかけがなくても、ふとした瞬間に思い出す、ということでさえもそれがきっかけなんだと思う。

こないだの月蝕の日はみんなが空を見上げていて、Instagramを見てもさまざまな場所に住んでいる人が同じ月の写真をあげていて、それもすごくよかった。わたしも月の写真をあげたら♡をつけてくれた女の子がいて、聞いてみたらインドネシアで暮らしているらしく、しばらくDMのやり取りをしている。何かをきっかけに時間も場所も超えて、遠く離れていたはずの人やものと近づくことができる、ということにいつだって心が惹かれてしまう。ニュースを見ていたら、今日の夜は月が火星に接近する日、みたいだ。

今日も晴れていて気持ちがいい。この季節の午前中にしか感じられない太陽の感じってあるよなあ、なるたけ晴れている日は外を歩くようにしよう、と思いながら渋谷へ。朝ごはんを食べそびれ、時間を気にしながらヴィ・ド・フランスでパンとゆで卵とコーヒーを5分くらいで食べる。普段の食事では食べるのは遅いほうだけれど、時間がなくてもそこまで慌てずに食事を済ますことができるのは、社会人になってから身につけたスキルだ。

金子由里奈さんが監督した『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の初号試写へ。大前粟生さんによるこの本を読んだときに感じたことを今でも覚えていて、さらに『眠る虫』が素晴らしかった金子さんによる映画化だから、とても楽しみにしていたけれど、楽しみ以上だった。登場人物一人ひとりが愛おしくて、それぞれが抱えていることをとても丁寧に扱っているところもよくて、音楽もとってもよかった。途中からほとんどずっと涙ぐんでいて、帰りにプロデューサーの髭野さんにお会いしたから感想を伝えようと思ったけれど、言葉にならなかった。いつもこういうときにすぐに言葉にできないことや、初対面の人と話すときに滝汗をかいてしまうことであたふたするけれど、この映画を見たあとはそういう自分に対して「大丈夫だよ」とどこかから声が聞こえるようだった。

話せるときに話したり、話を聞いたり。少し大丈夫になった人が、大丈夫ではない人に声をかけたり。そういう場所を大事にしていきたい。同時に、そうした場所が行き渡って、道を歩いていても電車を歩いていても脅かされずにやさしさを感じられる社会になってほしい。この作品では「ぬいサー」という場所のやさしさについて思うところがある白城という登場人物のことも丁寧に描かれているというところも、とても大事なことだなと感じた。彼女はぬいぐるみとしゃべらないけれど、そこに一緒にいるのだ。そのことについても引き続き考えたいし、原作も読み返したい。

帰り道、この季節は電車から差し込む光もいい感じで眠たくなる。お昼ごはんは何を食べようかな、と考えながら歩いていたら、「ねえ、今って夕方?」と親に聞いている子供がいる。「12時だから、夕方じゃないよ」。12時が夕方だって、17時が朝だって、7時が夜だって、そう思う日があってもいいはずだ。気づくとわたしたちは時間を気にしすぎている、時計を見すぎてしまっている。最近、時間と資本主義社会について語られている映像を見たことを思い出した。社会化されすぎていない時間感覚を持つ日も大事にしたいなあ、と思った。

家について、植物たちをベランダに出してあげよう、と思い立つ。霧吹きでたっぷり水もかけてあげた。部屋にあったぬいぐるみたちも、一番光が差し込む窓のそばに置いてあげた。

・2022.11.10

なにか深層心理をあぶり出したような夢を見た。最近そういう夢ばかり見ている。あまりにも気にとられすぎるとよくないだろうなあと思って、メモはしてない。でも、夢がなにかを教えてくれようとしているようにも思う。夜、ARToVILLAのプレス、レセプションパーティへ。オンライン上でしか会ったことがなかった方々や、森さんや綿貫さん、中橋さん、大北さんなどにお会いして、いろいろおしゃべりできてたのしかった。三瓶さんもいらしてて、うれしかったな。パーティは得意ではないけれど、知っている人がいるパーティは心強い。

・2022.11.09

昨日、皆既月食の写真をストーリーにあげたらいいねをしてくれた人がいて、アカウントを見に行ったらヒジャブを被っている女の子で、アップされている写真の雰囲気も素敵で、どこの国だろう?と思ってメッセージを送ってみた。何通かメッセージのやり取り。こういうことが起きる、ということにこそネットのよさがあると思っていて、もっとそういう瞬間を積み重ねていきたい。自分が一番うれしくなる、どきどきするのはこういうことなんだな、という再確認をした。

いい天気なので、晃生と散歩して隣駅のカフェへ。だいぶはかどった。週に1,2日はどこかで集中的に作業をする時間があるのがよさそう。帰りに書店へ。この本屋さんはジェンダーの棚がとても充実していて、ほしい本がずらりと並んでいる。前来たときは気づかなかったけれど、左は皇室関連、右は百田尚樹の本や「慰安婦は嘘」という本、憲法を改正せよという本が面出しされていて複雑な気持ちになる。それぞれの棚の担当が陳列の際にどういう会話をしているのか聞いてみたい。

歩いて家まで帰る。いい運動になった。夜ごはんを作って、ごはんを食べながら『エルピス』をみはじめた。噂通りおもしろくて、毎週の楽しみになりそう。

・2022.11.08

朝インスタを開いたら、アメリカに住んでいるはずの人と東京に住んでいるはずの人が同じような月の写真をあげていた。違う場所で同じものを見ている、そういう瞬間が存在していること、というのにとても惹かれてしまう。

昼、ご近所のようこさんとカレーを食べた。はじめてのお店。遠くに安達茉莉子さんの本が見えた。風が強い日で、外にあった花瓶が倒れたそばには國分功一郎さんの暇と退屈の倫理学。ちょうどキンプリのニュースがあったので、そのことについて、とか。仕事の合間のごはんの時間を誰かと過ごすというだけで、だいぶ自分のなかに風が吹き抜ける感じがする。会社員時代はこういう時間が日々のなかに自然に存在していたんだよなあ。すっかり忘れてしまっていた。

夕方出かけようとしたとき、お母さんから、今日は皆既月食だよ、というLINE。どうりで道行く人が空を見上げて写真を撮っていたんだ。朝のインスタもそういうことだったのかな。どんな場所からも変わらず同じものを見ることができる、月や太陽という存在があることが急に尊く感じる。自分という存在のちっぽけさに気づいて、すうっと気持ちが楽になった。

かなめさんや柿沼さん、ゆめさんとごはん。4人でごはんに行こうとだいぶ前に言っていたけれど、コロナとかいろいろあってこのタイミングになって、それぞれの近況について共有。こういう時間が少しずつ増えているようでうれしい。

・2022.11.07

午前中たっぷり休んで、だいぶ気持ちを整えることができた。Twitterを開いたら、イーロン・マスクのことでMastadonに行こうとしてる人がちらほら。時代の節目を感じる。これまでもTwitterに思うところはいろいろあったけれど、いよいよ本当に信用できない場所になっていくのかな。next social media platform などで検索するけど、やっぱりMastadonとかしか出てこなかった。Twitterやめようかなあと1年くらい思い続けている自分としては、マイクロブログのMastadonをやるのであればwordpressでやってるこのブログで十分こと足りてるなという気分。自分が書く分には。Twitterだけでなくソーシャルメディア自体から離れていく人も増えていくような気がする。そうなるとまた新しい場所ってどうなるんだろ。新しいプラットフォームがまたどこかで生まれるのかな。初期のMySpaceの感じがあるプラットフォームがそんなに流行りすぎない感じで生まれたらいいなあ。

・2022.11.06

昨日の夜は大変で、わたしも晃生も酔っ払ったせいかなかなかひどい喧嘩をした。そもそも駅に行くためのバスに乗れなかったのがよくなかった。道が暗くて怖いのもよくなかった。歩いて帰れるのでは?と思い歩き始めたものの、いつまで経っても辿り着けず途方に暮れて、不機嫌をお互いにぶつけ合うみたいになっていて、そのときは感情がぐちゃぐちゃだったけれど、バス乗り場に戻るという選択肢を見つけてからは「わたしたちは早くホテルに帰りたいだけだったのだ」ということを思い出せた。深夜2時くらいにホテル着。普段あんまり喧嘩をしないのでたまにはこういうことがあってもよいだろうと日曜になったら思えたけど、その最中は絶望的だし喧嘩はやはり疲れるので、限界状態でも落ち着けるような心持ちを手に入れたい。

目覚めて、会場に行く気力が失われてしまったので2日目は行かないことに決めた。このあたり、特に粘らずに精神面含めた体調を何より優先しようとするところが一致するのが本当にありがたい。掛川をぶらつこう、と思ったけれど二日酔いでダウナーすぎたのでごはんだけ食べて帰ろう、ということにする。近くにハンバーグで有名なさわやかがあることがわかって散歩がてら行ってみたけれど、長蛇の列で入れなかったので文具屋でファンシーグッズを見てもとの道を戻った。自然薯の店があってランチ。しばらくとろろはいいかなあという気持ちになる。

一日ぶりの家に15時くらいに着いて、ベッドでごろごろしながらやっぱり家は最高だなあと思った。泊まりがけのフェスは体力的にもう厳しいのかもしれない。いや、酒を飲みすぎなければ大丈夫なのか?反省モードで一日が終わった。

・2022.11.05

frue festivalへ。フェスとか久しぶりすぎて、というか宿泊ありの旅行も久しぶりだから、嬉しくて早く起きてしまった。パンとコーヒーを買い込んでロマンスカーへ。せっかくロマンスカーに割と気軽に乗れる場所に住んでいるから、これからはもっとふらっとロマンスカーに乗って日帰り温泉にでも行きたいねえ、など話す。掛川の駅でやまちゃんに似てる人を見かけて、「やまちゃーん」と呼びかけたけれど気づかれず、でもやっぱりやまちゃんだった。みんなでタクシーで向かうことに。タクシー運転手さんが、どんなに違う話をしても全部ドラクエの話に回収していて、会話というのはここまで自分の話に引っ張っていくことができるのかと驚く。

会場に着いたら岡田拓郎さんが演奏していた。千葉広樹さん、山本達久さん、石橋英子さんとの4人編成。半屋外みたいな会場はいい開け具合で、リラックスした雰囲気だった。このフェスはごはんもお酒もあまりにも美味しくって、食が進む。いい感じに酔った状態で見た折坂悠太さんのライブ、すごかった。どんどん進化している感じ。ハルカフさんに会う。あゆみさんにも会って、予約が取れないというラ・カーサ・ディ・テツオ オオタのバターたっぷりのチキンがやばいよと聞いて、食べながらPino Palladino and Blake Mills featuring Sam Gendel & Abe Roundsのライブ。贅沢すぎる。フェスに行くとお酒やご飯を重視しすぎる傾向があるので、今考えるともうちょっと近くで見に行けばよかった。Salamandaを最後にステージの近くで一人で見て、その時間もよかった。酔っ払いすぎて、Donna Leakeは見ずにホテルに帰ることにする。

・2022.11.04

何を考えているかわからないと感じるときに、ついあれこれと想像してしまいモヤモヤしたりそわそわしてしまうけれど、結局それは自分の想像の範疇でしかない。そんなことわかりきっているけれど、でもなんでこんなに人は勝手に想像してしまうんだろうか。

・2022.11.03

のぞみん、薫さん、ももちゃん、きみちゃんとピクニック。のぞみんがシャインマスカットを持ってきてて、それを洗う用の水も持ってきていて、水を浴びるシャインマスカットに太陽が照らされててきれいだった。ピクニックとはまったく関係のないふとした出来事が外部からやってきたことで急にもやもやした気持ちが芽生えて、少し動揺してしまったけれど、フリスビーをしてたらだいたいどうでもよくなった。公園は最高。太田達成監督の『石がある』を観に、フィルメックスへ。今日の一日の中にこの映画の時間があってよかったな。個人的な感情が動いたことの大事さ、利害のない関係性、信頼と距離感とは、無意味さについて。犬、日記を書くこと。終わった後の太田さんのQ&Aの時間もすごくよくて、人柄が滲んでいた。会場に来ていた映画に関わった人たちのことを一人ひとり紹介していた。きみちゃんと金子くんと晃生と飲みながら、映画の話、太田さんがすばらしいって話をした時間もよかったなあ。

・2022.11.02

YouTubeのAlice Cappelleという人のチャンネルが好きでいろいろ見ている。リビングのエアバイクを漕ぎながら、15分間。今日は「time is a social contruct」という動画を見た。社会、思想についてポップカルチャーを交えながら軽やかに話してくれるチャンネル、日本にもこういうYouTuberはいるのかな。夜ごはん、富ヶ谷の麗郷でしおたんとゆめさんと。ひさしぶりで、時間が足りなかった。

・2022.11.01

取材を受けるありがたい機会があって、たのしい時間だった。どうしても写真を撮られるということが苦手で、いつもぎこちなくなってしまう。終わった後に大丈夫だったのか?という不安に駆られる。自意識過剰だと言われたら終わるのだけれど、どう見られるのかということについての恐怖感がずっとあって、なぜそういうふうになったのかもだいたいわかってはいるのだけれど、ありがたい機会をもっと楽しむためにもいいかげん払拭したいなあ。

夜、青山で大事な友達と久々に二人で会った。会って本当によかったな、と思った。なぜかわたしには話してしまう、と言ってくれたのがすごくうれしかった。聞く相手になれている、安心して話してくれていると感じることが自分にとって本当にうれしいことなんだなと思う。

幼少期や思春期にあった辛かったことを、自分が過大に思い過ぎているのではと疑ったり、なかったことにしたほうが楽になるんじゃないかと思うことがあるけれど、決してそんなことはないんだよね、という話をした。彼女と私の経験は同じではなく、わかるよと言うことは絶対にできないけれど、こうして話すことで重なるところが見つかり、自分の過去も癒えていく感じがした。話すってすごいことだな。どうしても拭えなくてそのままにしてきたことを、そろそろ解きにいきたいなと思う。そう思った夜だった。

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