2022年3月の日記

・2022.03.31

朝、天気がよかったので公園で仕事。まだ生まれたての桜の木を見たのは初めてだったかもしれない。大きな木に育った頃にはわたしはこの世界にいないのだろうと思うと不思議。公園のカフェでGia Margaretが流れていて、それもよかった。銀行に行って、印鑑を眺めながら、亡くなった祖母の苗字のことを考えていた。娘しかいなかった祖母の苗字は美しくて好きだった、幼い頃わたしは女だから継げるわけがない、と思いこんでいたことに、このときやっと気がついて、女だからという理由で消えていくさまざまなものたちがその美しい苗字の印象とともに頭に浮かんだ。

・2022.03.30

外で仕事。眠くて帰宅後寝てしまった。春だからか。

・2022.03.29

休み明けでばたばたと仕事、夜は六本木で収録。

・2022.03.28

飲みすぎてあんまり眠れず朦朧としてしまっていて、車でぐっすり眠ってふと目覚めたら海沿いに満開の桜。そのまま不安定な道をどんどん登っていき、なんにもない高原に出た。人も建物も何も見えなくて、生命力が強そうな草木が生い茂る向こう側に、静かな海が見える。狭い場所にいると自分のことでいっぱいになってしまうけれど、こんなにも広大な場所に身を置くと、やっと自分は世界の本当に些細な一部であるということを信じられる。とっておきの場所を教えてもらえてうれしかった。江之浦測候所に立ち寄って、眠気とともに黄色い菜の花の間を歩く。この付近には関東大震災の津波で流されてしまった駅があるらしい。海の見えるテラスで、ここでいま生きていることが奇跡に感じる、という話をした。旅行の帰り道に高速から反射する光が眩しくって、給油のために立ち寄るガソリンスタンドでしか感じられない感情ってあるよなあと思った。

・2022.03.27

友人たちと箱根一泊旅行。車出してどこか行くのとかだいぶ久しぶりで昨日の夜はあまりよく眠れなかった。ポーラ美術館でロニ・ホーン展、会期終了間近ということで賑わっていて、会いたかった人ともすれ違ったみたい。詩の朗読の映像が特に記憶に残っている、水という誰もが触れるとても普遍的なものから、わたしやあなたや、そのもっと向こう側へと広がっていく、ロニ・ホーンの思想と静かに向き合うような時間。ファスビンダーの引用や、作品に書き込まれたリディア・デイヴィスのこと。アイスランドはいつか行きたい場所で、Google Mapにはたくさんピンをたてている。きっと行くんだろうと思う場所。ひとつの場所に通い続けるという経験はまだしていなくて、そういうときがきたらいい、という思いがより強くなった。霧が立ち込める旅館はロニ・ホーンの作品の延長にあるみたいで、夜通し「コードネーム」というカードゲームをして、気づくと2時を過ぎていた。

・2022.03.26

映画や展示に行く予定をカレンダーにぎゅうぎゅうに詰めていたけれど、やり残していた作業の方が心残りで一日中ずっと仕事。やり終えてだいぶ気持ちがいい。

・2022.03.25

またあまりにもリアルな夢を見てしまって、夢に関する本を買った。夜は近所に住む彼の友人が来客、深夜までいろいろ話しておもしろかったけどまあまあ酔っ払っていたので何を話していたかは覚えていない。深夜に購入したイオンのキャラメルアイスクリームが外国のアイスみたいな味がしておいしかった。

・2022.03.24

なかなか熱狂できないことについて朝だらだら話していた。まっすぐに渦の中に飛び込むことができないところが自分にはあって、熱狂に対してすごく憧れる気持ちが湧くときもあれば、そういう自分もいいなと思うときもある。夜は女子校の話。12年も女子校いたけれど、女子校についてまだ自分のなかであまり考えがまとまっていないように感じる。

・2022.03.23

この日の日記はme and youのニュースレターに書きました。

・2022.03.22

先日の震災のこともあり、電力不足で停電するというニュース。Twitterを見ると、この機に際して原発推進を呼びかけるツイートも見かける。いろんな意見があってはいいと思うものの、ある著名とされている「有識者」の人のツイートにげんなりして、布団のなかでその人のタイムラインを遡っていると時間はどんどん過ぎていく。都心に出ると、こんなに街を照らさなくていいんじゃないかといつも思う。なのに、夜景のきらめきは美しくてやっぱりいいなとも思ってしまう。矛盾ばっかりだ。

仕事のメールのやりとりの中で、天気のことを知るのが好きだ。わたしの部屋の窓はすりガラスで、窓を閉じていると外の様子がはっきりわからない。雪が降ってましたね、というメールを見て、ベランダに出てみたけれど、わたしの街ではまだ降っていなかった。

・2022.3.21

代々木公園であすかさんとピクニック。あすかさんと話すといつも心強い。もやっと考えていたことについていろいろ話した。代々木公園を覆っていたオレンジ色のネットは少しずつ少なくなっている気がする。なぜか、代々木公園に来た日のことは一日一日鮮明に覚えてる。どの木のそばにいたかも含めて。

HOUGAの展示会に滑り込み。萌さんは大学のゼミが一緒で、以前から展示会に行きたかったから楽しみにしていた。HOUGAの服は不思議なかたちをしている。波打っていたり、どう着るの?という形をしていたり。シンプルなフォルムの服が好きで似合うと思っていたわたしは、素敵だけれど似合わないかも、とおずおず試着した。すると自分の身体と合わさってまた新しい形になって、すごくかわいくて。走り出したくなるような軽さもあって、ほかにはない魅力があるブランド。いろんなしがらみから抜け出させてくれる服。

・2022.3.20

今日みたいに少しストップする日がわたしには必要で、昼寝をして何か生まれ変わったような気分になった。ひたすらに、昔聴いていた曲を聴いたり、歌ったり。この間行ったラーメン屋はイエモンばっか流れてたよ、という話をして、たしかめにラーメン食べに行ったらやっぱりイエモンが流れてた。メイドの手帖見終わって寂しくて、Sharon Van Ettenをずっと聴いてる。

・2022.3.19

朝風呂で堅田香緒里さんの『生きるためのフェミニズムパンとバラと反資本主義』を読み終えた。フェミニズムの本であり、複雑に交差する差別や特権について目を向ける本でもあった。自分自身の特権や、無意識に抱えていた差別意識が浮き彫りになる。でもそうやってひとつひとつ無視せずに自覚していくことが小さいけれど大切なことだと思う。

あたたかい日、喜多見のbeet eatでカレーを食べて、PLAIN STOCKで古着のリーバイスのジーンズを買った。スタンダードなジーンズ買ったのとかいつぶりだろう。10年ぶりとかかもしれない。自信持って似合っている、と思えてほっとする。似合わないと拒絶していたものを取り返していく作業、これからも負けじと続けていく。

マリカちゃんとごはん。いっぱい話した。深いところまでゆっくりと潜っていくような時間。アキオがいるっていうので新宿にタクシーで移動してゴールデン街の西瓜糖へ。はくるさんひさしぶり、お店は相変わらず大勢のお客さんで賑わっていた。

・2022.3.18

あわあわと日常が過ぎていき、なかなか今社会で何が起きているのかわかっていない状態だったけれど、ニュースをゆっくり見る時間をとることができた。ウクライナのこと、この間の震災のこと。6月の『FESTIVAL FRUEZINHO 2022』、Sam Gendel&Sam Wilkesに坂本慎太郎。Bruno Pernadasもceroも楽しみで即チケットとった。海外アーティストの来日ライブをいつもたのしみにしていたけれど久しく行っていなかったから、えー来日するの!と驚いた。夜、のぞみんとももちゃんと中華食べて、久々カラオケ。aikoの「ストロー」が頭から離れない。

・2022.3.17

税理士さんとの打ち合わせをしていて、会社を始めてもうすぐ1年経つことを実感した。お金まわりのことはまだわからないことだらけだけれど、お金はただの数字じゃなくて気持ちにも変わるし、時間ともつながっている。そう思うと、わたしたちみたいに小さな会社でもどういう姿勢でお金と向き合っているかが本当に大事なことだと感じている。資本主義社会に対する疑問を持ちながら会社を経営していくことについて、頭の中でふわっと考えていることをもう少し言葉にしておきたい、来年度は。

・2022.3.16

夜はme and you clubのはじまりのイベント。数日落ち込みがちだったけれど、このイベントがあったことでだいぶ救われた。Zoomの使い方に戸惑いかなりパニックになってしまったけれど、多くの人が助けてくれて優しい世界だった。イベント終了後、激しい揺れがあって、携帯を見たら宮城・福島で震度6強。

・2022.3.15

頭が痛くてすべてに対して悲観的な気持ちでおそらくPMSのせい。

・2022.3.14

考えが足りなかった、と思うことが多くて自己嫌悪が重なった一日だった。こういう日は心も身体もすべてそういうモードになっちゃっているから、おとなしくしているに限る。

・2022.3.13

髪、伸ばしてたけどばっさり切ってショートに。担当の亀井さんが切ります、といったとたんにざくざく切りはじめてておもしろかった。この人は本当に髪を切るのが好きなんだな。夜、bunkamuraでみんなで『寝ても覚めても』を観た。昔観たときは朝子の行動が理解できず、気持ちがぶんぶん振り回されていたけれど、二回目だからなのか、月日が経ってから見るからなのか、3.11を境にした変化や、相容れない二つの感情を同時に抱える朝子の気持ちが印象的だった。後から海外のタイトルは『Asako I & II』だということを知って、このタイトルを知るとまた違った見え方をするなと思った。

・2022.3.12

りおちゃんと神楽坂でごはん、その後目黒シネマで『リトル・ガール』と『トムボーイ』の二本立て。二本立てとか久しぶりだった。リトル・ガールは先にパンフレットを観ていて(このパンフレットがとてもすばらしい)、ずっと観たかったから特にうれしい。バレエ教室のロシア人教師が最後までサシャのことを理解しようとせずにしていたことについて、ぎざぎざした気持ちが残り続けている。トムボーイはすごく美しい映画だったけれど、終わりかたについて思うところがあって観た人と話したい。

・2022.3.11

この日の日記はme and youのニュースレターに書きました。

・2022.3.10

朝は昨日インターネットのことについて考えていた延長で、UbuWebを見ていた。1996年に詩人ケネス・ゴールドスミスによって作られた前衛芸術にまつわるさまざまな資料が保存されているサイト。前からなんとなく知っていたけれどじっくり見たことはなかったのかもしれなくて、大量のサウンドアートや映像の一部を見て、作品はもちろんだけどこれらにすぐにアクセスできるということに感動した。その中にある、200人以上の人による音声の寄稿によって作られている365 Days Projectを見て、好きという気持ちが溢れてしまった。Learning to Love You Moreといい、強く心惹かれるものには共通しているものがあるなと感じる。

知らなかったとある映画監督による、性加害のニュース。つらくて読み進めることができなかった。

・2022.3.9

晴れてあったかかったので久々朝の公園へ。相変わらず誰もいない、だだっぴらい広場に寝転んで太陽を浴びていると生きているなあと感じる。この感じ忘れかけてた。

スペクテイターのパソコンとヒッピーの号を読み進めている。今わたしがこの日記を書くのに使っているパーソナルコンピューターというもの自体、それまで戦争などで使われてきたコンピューターを個人が使えるようにしたものであって、一方で今は個人がコンピュータを使って書きこむことが世界を動かすことさえあるということに未だに慣れない。小学生の頃、パソコンオタクであることをひた隠しにしていたわたしは、ハイパーテキストという概念に感動していた。あれから20年経った今、わたしは何かのリンクを辿ってたまたま辿り着いたロシア語のニュースサイトをDeepLで翻訳して読んでいる。すごいことだよ。

・2022.3.8

友人が映画監督になって、みんなで上映を見に行った夢を見た。パンフレットの一言一句を朝起きたときにまだ覚えていたことが忘れられない。わたしは夢を見るときは一人称目線で、だいたいカラーで、現実的な夢が多い。そのせいで夢で見たことを現実で起きたことだと誤って記憶してしまうことがある。夢の話がつまらないなんて誰が言ったのだろう、もっといろんな人と夢の話がしたい。

国際女性デー、いろいろな記事が出ているのを見て回っていた。Twitterにも書いたけれど、ELLEのクラーク志織さんの記事がすごくよかった。国際女性デーはなぜ「女性」を強調すべきなのか、背景にある反戦争について。自分自身も女性として生きる上で感じる違和感、これまでのことや今感じていることについて話す機会がたまたま多い一日だった。ここ数年で変わったこともあれば、変わらないこともある。わたしがいる場所が変わっていたとしても、そうでない場所がいくらでもあるということも知っている。自分に何ができるのか、も刻々と変わり続けているということも。

・2022.3.7

よくわからない不安に駆られたけれど、今世界で起きていること、これまで起きてきたことが自分の頭にぼんやりとしか入っていなくて、どのように意見や考えを持てばいいかわからないということが大きいのではないかと思い、ノートを取り出してあれこれ書き出してみたら少しだけすっきりした。自分の自信のなさや不安は、腰を据えて学ぶことでしか解決しないのかもしれない、という気もしている。これは2022年の課題。ノートに書いている間、ずっとDOMMUNEのテリー・ライリーを聴いていて、それもよかった。

・2022.3.6

新宿で収録の立ち合いへ。帰り道、ビューティーアポセカリーに寄ろうと新宿伊勢丹へ。ReStyleの横で欲しかったVironのポップアップがやっていた。パリ発のビーガンフットウェアブランド、駒沢で八百屋さんをやっているという人が接客してくれて、たのしくてアップルレザーのスニーカーを購入。リンゴジュースを作る過程で出た皮や芯がレザーになるなんてすごい。リンゴジュースが大好きだからなんだか嬉しい。

・2022.3.5

いただいたBeMEのcbdのフェイスマスク、気持ちよすぎて気づくと畳で寝てた。こういうとき畳の部屋があってよかった、と思う。引っ越すととしても絶対畳の部屋がほしい。

春みたいで気持ちがいい日、梅ヶ丘のラーメン屋SHIBASAKITEI+、今までで一番好きかもってくらいおいしかったな。羽根木公園は梅が満開、向こう側に抜けると見覚えのある景色で、昔おばあちゃんちに行くときによく車で通っていた道だった。車から降りたことはほとんどなかった気がする。懐かしい、と思わずお母さんに電話。亡くなったおばあちゃんだったらこういうだろうな、って言葉が自然に浮かぶことが多くて、近くにいてくれるんじゃないかなとやっぱり思う。歩いてたら古書瀧堂という古本屋があって、こういう街の古本屋さんが近所にほしいな、と思うような古本屋さんだった。レジ前に安藤晶子さんのポストカードが。

夜はかおるさんとのぞみんと晃生と4人で飲む、いつものメンバーの安心感。その後、道端で知り合った知らない夫婦も加えて公園で飲んだ。酔っ払って何を話したかはほとんど覚えていない。

・2022.3.4

ニュースやタイムラインを見ながら、ウクライナの悲惨な状況はもちろん、欧州における人種差別的な報道や、ロシア料理店へのヘイト、日本も核武装せよといった思想、戦争反対と声をあげる人に対して「意味がない」という人たちなど、あまりにも多くの気になることがあって朝からしんどくなってしまった。

『メイドの手帖』を見始めたけれどすごく面白い。DVから逃れてシングルマザーとなった女性の貧困について描いた作品。音楽もすごく良くって、いい意味で軽やかな部分もあって。原作はまた全然違うみたいだけれどそっちも読みたい。

・2022.3.3

サイトオープンの打ち上げをせんとさん・まりこさん・ゆめさんと。どの仕事も過程が大事だよね、といった話をしながら、このプロジェクトは本当に過程でのやりとりがすごくよかったなあと感じた。せんとさんにこの春初めてのチューリップをいただいてうれしくって、夜道で街灯に照らして写真を撮った。

2022.3.2

ウクライナ難民を日本が受け入れるというニュースを見て、入管問題がこんなにも大きな問題になっている日本でなぜ、と複雑な気持ちになる。こっちはいいけどあっちはだめ、ダブルスタンダードがまかり通るこの世界で注意深くいないとすぐそっち側に呑み込まれそう。学びが足りない。Etsyで買っていた犬の切手が届いた。それぞれ違った表情を浮かべる犬たちの顔と、読めない言語。海の遠く向こうでも変わらず犬は愛されているのだという事実に心が少しだけ安らいだ。

・2022.3.1

大学の頃に広報として関わっていたとある演劇のメンバーで久々に集まることになり、LINEグループが生まれた。あっという間に13年も経っている。わたしはそこでカツオと呼ばれていた。活きがいいという理由らしい。

Playlist(2022/2)

  1. Pausenlied / 125 Rue Montmarte
  2. Party on a Floating Cake / 嶺川貴子, Dustin Wong
  3. Blindsided / Hovvdy
  4. East River Dawn / Laurie Spiegel
  5. Adventures of Tricky N Duke / Miso Extra
  6. Twilight / Ruth Radelet
  7. Momo / Hubert Lenoir
  8. Homage To A Friendship / The Zenmenn, John Moods
  9. Muchuu / Mei Semones
  10. Birthday / Gia Margaret
  11. What It Is / Amber Mark
  12. Sweetspot / Mess Esque

2022年2月の日記

・2022.2.28

ずっと前から少しずつ読んでいた荒井裕樹さんの『まとまらない言葉を生きる』を読み終える。大切な言葉、はじめて知った方、いろいろノートに書き写した。「誰の人生も要約させない」という言葉の力強さ。読み進めているカロリン・エムケ『なぜならそれは言葉にできるから』とも重なる部分があると思った。簡単に言葉にできないということ、それでも言葉を探していくこと、その両方を大事にしていきたい。横田弘さんの『われらは愛と正義を否定する』が読みたい。

・2022.2.27

休まないと、という気持ちで代々木上原をひさびさに散歩。昔このへんで一人暮らししてたけど、全然店を知らない。どこに住んでいても「その街で顔馴染みのあの人」みたいになることってこれまで一回もなくって、これからもなさそう。

Los Papelotesで古本を3冊くらい買った。店に入ってきた二人組が「本を読む人になりたいんだよね」と話していて、本を読む人になる、ということについて考えていた。前も2回くらいきたことあるインド料理屋、窓から差し込む光がやたらときれいで、壁に書かれた「spice+milk+something nice=chai」という言葉もかわいい。きらきらした街の隙間の違ったきらめきに、ほっとした。三軒茶屋でひさびさのtrope、luikで春の赤いコートを買った。

・2022.2.26

基本的に土日休みにしているのだけれど、なかなかうまく休みがとれていない。休まないと平日力が出ないのでバランスをとらなくてはいけないのだけれど。自分にとっての休み、が何をもって休みなのかがもはやよくわからない。でも、つい根詰めて集中しすぎてトイレに行くことさえも忘れてぶっ通しで仕事をしてしまうことがよくあって、そういう感じだとなかなか身体が持たないことはやっと理解できるようになってきた。そういう感じにはならないように、外で仕事して、暗いニュースばかり目をやってしまうので、明るい色のワンピースがほしいなあなんてことばかり考えていたらあまり仕事がはかどらなかった。

夜、アリ・フォルマンの『コングレス未来学会議』という映画を家で見た。主役のロビン・ライトが「俳優の絶頂期の姿をスキャンしてデジタルデータ化し、多くの映画にそのデータを用いる」という契約をする、という物語。ロビン・ライトは役者の名前そのままで出ている。デジタルデータ化については近い未来起こりそう(もう起こってる部分もある)と思うんだけれど、途中からアニメーションと実写を行き来して、現実と虚構がわからなくなる感じをかなり「起こりそう」な感じで描いていて、それがおもしろかったし、恐ろしかった。そもそも実体とは何なのか、2月はそういうことばかり考えている。

・2022.2.25

この日の日記はme and youのニュースレターに書きました。

・2022.2.24

お父さんとLINEでやり取りをしながら、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻のニュースを憂う。まだいまいち状況が飲み込めない。これまでもさまざまな戦争が起きてきたけれど、恥ずかしいことにその一つひとつに自分なりの言葉を持ててこなかった自覚がある。命が奪われることはあってはならない、戦争反対という考えをはっきりと打ち立てながら、なぜこのようなことが起きてしまっているのか、歴史を知り、同時にいまどのような情報が行き交っているのか見ていかなきゃなと思う。日本国内で起きている、この状況への反応も含めて。戦争、というと遠くで起きていることだと感じてしまうけれど、自分の生活の延長線で起きることだと感じる。自分自身や近くで起きていることも含めて、そこに繋がっていくような行動や考えが存在していないか、注意深く見ていきたいなと思った。

・2022.2.23

朝、お風呂の中で谷口菜津子さんの『今夜すきやきだよ』。最高の二人。出てくる登場人物がみんな好きだった。

下北沢で『春原さんのうた』を観た。そこにずっと暖かい温度が通っているようで、嘘のなさ、のようなものを感じた。一人ひとりそれぞれに何かを失いながらも光を見つけ、そこで生きている。沈黙を愛したいなと思ったのと、ショートカットに戻そうと思った。みんなでキノコヤに行きたい。

フレンテ明大前店のスープストックに行ったら、2007年からあったこの店が来月閉店してしまうようで、付箋でたくさんの声が集まっていたのを見て泣きそうになってしまった。喪失への感受性が豊かになったからかな。この場所に集っていた人の姿が目の前に浮かぶような気持ちでスープを飲む。本当は下高井戸シネマで映画を観ようとして明大前まできていたのだけれど、この気持ちのまま家に帰ろうと思って反対の電車に乗った。家に帰って畳で寝転びながらパンフレットを読んで、また泣いてしまった。

・2022.2.22

眠気がずっと続いてしまっている。愛さんの紹介で、仕事の合間に表参道の「美肌室ソラ」へ。すごく気持ちよかった、今度体験レポートも書く予定です。押すとこりがほぐれる場所についても教えてもらって、早速電車の中で押しながら帰った。近頃ヨガを始めたりストレッチもやったりスキンケアもいろいろ模索してるけれど、誰かに触れられる、触れられなければ叶えられない、ということも存在しているのだなあ、と考えた。

・2022.2.21

わたしたちのスリープオーバー収録。お風呂で最近の流れで気になって買った『Spectator vol.48 パソコンとヒッピー』を途中まで読む。

・2022.2.20

大学の美学美術史学専攻のゼミの子たちとcavemanでごはん。コース料理というものが久しぶり、ごはんに合わせてお酒が出てくるペアリングが大好きだったことを思い出した。卒業して10年以上経つけれど、ゆるやかにこうした繋がりがあることがとても支えになる。

上北沢のOpen Letterというスペースで河合浩さんの展示。河合さんが、作品の行き着く場所については「誰かの部屋にアクセントとして飾られた状態」だと話されているそうで、その姿勢がすごくいいなあ、と思った。いつかわたしの家にも飾りたい。スペースもとても素敵な場所だった。

マップをいただいたので、見ながら散歩。「カモシカ」と書いてある場所を探したけれど、見つからず。神田川沿いをひたすらに歩く。随分冷える日で、行き着いた公園の自販機で温かい飲み物を買おうとしたら、前に買っていた小さな子供がコーヒーを2本買っていて、1本手に取り「飲みますか?」と話しかけてくれて、びっくりしている間にどこかに駆けて行ってしまった。優しさであることは間違いないはずなのに、こんなことあまりないだろうから、この公園自体が幻のように思えておもしろかった。

薫さんとのぞみんと飲む。見たい映画、読みたい本がたくさん。飲んでると忘れちゃうから、もっとメモしておけばよかった。

・2022.2.19

朝、布団の中でたまたま見つけたDOZiNEの「現代魔女たちは灰色の大地で踊る──「思想」ではなく「まじない」のアクティビズム|磐樹炙弦 × 円香」という記事が最近lainやアマリア・ウルマンなどを見ながら考えていたことと繋がる感じがして興奮して晃生にシェアした。超長い記事なのでまた読み直したい。

下北沢SPREADで山本達久さん、石橋英子さん、日髙理樹さんのライブ『ヘルシーライブスタイル2022 [コロナ路地にて生まれた健康法は多々あれど、音楽はそうは行かぬと言語道断の雨霰]』。タイトルすごい。その場で、目の前で音楽が生み出されていくというのはライブでしか味わえないもので、SPREADはお酒もおいしくてそれもよかった。どこか遠くの国にいるような気分になって、ラーメン食べて帰った。

・2022.2.18

急に眠くなって深い眠りに落ちた。目覚めたらすごく元気に。ドラマ『恋せぬふたり』を続きから見る。世の中のほとんどのドラマが恋愛することが当たり前で、かつ異性愛が当たり前な中で、こうした登場人物たちがいつかもっと当たり前に登場してほしい。商店街のポイント交換のシーンよかったなあ。

・2022.2.17

恵比寿映像祭でアマリア・ウルマンのレクチャー・パフォーマンス集。パワーポイントを駆使して、消費社会、性差、ルッキズムなどの問題にユーモアを交えつつときにどきっとする表現で切り込んでいって、揺さぶられた。彼女もティーンエイジャーの頃インターネットではコミュニケーションができる感じがあったという話をしていて、同い年だけあって急に親近感が湧いちゃった。近頃、イメージ、リアルについて考えていたことなどといろいろ重ねながら見ていた。アマリアはlain見たらどんな風に思うんだろ。

・2022.2.16

小学生くらいから今に至るまでお話する機会があって、話しながら漠然と存在していた点と点が線で繋がっていく感覚があって、ヒーリングみたい、と思った。常に居心地の悪さを感じていた、というのが自分の原点で、いじめに遭っていたわけではないのだけれど、教室にいたくなくて保健室にいたこと、体育でペアになる相手が見つからなかったこと、一人で帰る帰り道にイヤフォンで聴いた音楽、誰とも会わずにインターネットに費やしていた時間、それらの一つひとつがなかったら今のようにはならなかっただろうから不思議だなと思う。日々が辛くて明日朝起きたら大人になってたらいいなと本気で思っていた、あの頃の感じはもう忘れてしまったようで自分のどこかで生き続けている。

・2022.2.15

そんなに多くのものはいらないから、健康に生きたいな、と思った。

・2022.2.14

テーブルに置けるIHヒーターと土鍋を買ったのだけれど、この冬買ってよかったものとしてNintendo Switchの次点くらいに入るなあ。90年代のアニメの話をしていて、『はれときどきぶた』のことをいつぶりかわからないくらいに思い出した。

・2022.2.13

恵比寿映像祭で海さんの『重力の光:祈りの記録篇』。見ながらぼろぼろ泣いてしまった。そこにいる場所にいる人たちが関わり合いながら、手を取り合いながら生きていて、作品も生きることも、みんなで作り上げていく姿に胸が打たれた。共に生きていくということ。上映後のトークで、海さんがかっこつけなくてもいいと思ったんです、といったことを話していて、それもよかった。短編『汚れきった天国』の次が『重力の光』で、二つの作品の繋がりを感じた。

六本木でSINA SUIEN有本ゆみこさんの展示会場にて、小林エリカさんと有本さんのトーク。トークの参加者の方々ひとりひとりの声が混ざり合うようですごくいい空間で、自分はどんな感覚を大切にしていきたいのか、思い出すような時間だった。zoom越しでしかお会いできてなかった杉原さんにも会えた。そのあとちらと海さんの上映の打ち上げに参加して、短い時間で会いたかった人にたくさん会えたりして、やっぱり街に出るっていいなあ。

・2022.2.12

1か月ほど働き詰めてしまいここ最近はあまり寝れていなかったからか、楽しみな用事があったけれど駅で具合が悪くなってしまい帰宅。やるせなさで落ち込む。10代の頃に見て衝撃をうけたアニメ『serial experimental lain』を見る。当時はこんなに皆インターネットをしていなかったし、SNSもなければVRもなくて、GAFAも台頭していなかったから、今見るとまた全然見え方が違うアニメだなと思った。何がイメージなのか、何がリアルなのか。

・2022.2.11

メディア立ち上げ大詰め、結局一日遅れてしまったし、夜になってしまったけれど、新しく始まった場所がとても愛おしく、一通り公開作業が終わった後もお風呂の中で携帯を開いて、端っこから端っこまで眺めていた。変わらない芯の強さと変わっていく柔軟さを共に大事にしながら、長く続けていきたいし、振り返りながら、積み重ねていきたい。一つ一つゆっくりと。She isをつくった時はずっと駆け抜けていて、そのときとはまた異なる気持ちを抱えている。

・2022.2.10

メディア立ち上げ大詰め、日記は書けず。

・2022.2.9

立ち上げ大詰めなので集まって仕事。こうやって何人かで近くで作業することって、前までは当たり前だったのだけれど、もう2年も基本的にリモートで仕事をしているから、新鮮すぎてつい話しかけちゃう。お菓子食べますか? とかそういうコミュニケーションでさえ懐かしい。

帰宅後も作業だ、と思いながら立ち寄った韓国料理屋で嬉しい偶然の出会いがあった。

・2022.2.8

安田菜津紀さんをお招きしてヒルサイドテラスでイベント。前回に引き続き学びにあふれていて、これから自分がどう行動していけばいいのかのヒントもいただいた。家帰ったらイメージ・フォーラムに行ってきた晃生から映画『牛久』の予告編を見た話を聞く。年始にたまたま寄った牛久に東日本入国管理センターがあることをまったく知らなかったのではっとして、自分たちの日常のすぐそばに問題は存在しているのだと改めて感じる出来事だった。映画は2月26日から。

・2022.2.7

わたしたちのスリープオーバーの収録。この日は日記書けてない。

・2022.2.6

寝起きに思いついた言葉で検索していたら、3つ目くらいにpdfファイルが出てきて、開いたら知り合いの演劇にまつわる資料だった。こんなことあるのか。

なんでもない日に突然手紙をもらって、それがすごくうれしくて何度も見返した。

・2022.2.5

お酒飲んでなんか変な感じになってしまったり、文字のコミュニケーションの難しさでやきもきしたり。ずっと通常運転でいるのはなかなか難しい。

2022.2.4

きれいごとのような言葉がますます苦手になってしまったなあ、と思う。必要以上に美しく見せたり、大きく見せる言葉には気をつけたい、とここ数年ずっと考えている。

喫茶店で仕事をしていたら、横のおじさんのiPadから何か音がしていて、目をやると将棋の対戦のYouTubeを見ているようで、熱心に何かを書き込んでいた。イヤフォンをしてくれないだろうか、とも思ったのだけれど、彼にとって何か大事な時間であるということが伝わってきて、誰にとってもこういうかけがえなのない時間ってあるよね、と思って少し幸せな気持ちになった。

2022.2.3

朝、合唱曲の話をしていて、YouTubeで「心の瞳」を見てぼろぼろ泣いた。合唱大会とか大嫌いだったのに。今後の人生で大勢で同じ曲を練習して歌う、ということはあるのだろうか。

00s nostalgia、という言葉を見かける。2000年代はたしかに自分にとってノスタルジアなんだけど、自分にとって見慣れないのは00年代のことがまだ消化しきれていないからなのかな。90年代の古着は近頃もうよく着るようになったけれど、00年代の古着はいまだにどきっとしちゃう。なんなんだろうか。

・2022.2.2

連絡がくるはずの相手から返ってこない、ということが連続して、なんだかしんとしてしまっているとき、自分がいない世界に迷い込んだような気分になる。編んでいたものの編み方が全部違っていたことにだいぶ進んでから気づいて、引っ張って全部解いたのが気持ちよかった。完成を望むのではなく編んでいる過程に癒しを感じていたから、大したことなかった。

・2022.2.1

Spotifyの背景に様々な問題が存在していることで、Spotifyで音楽聴くたびに複雑な気持ちになる。ニール・ヤングもジョニ・ミッチェルも撤退していて聴けない。いつの間にか音楽を聴くこととSpotifyを開くことがイコールになってしまっているけれど、Spotifyは一つのプラットフォームであり、そこには思想が宿るもの。とはいえ引き続きSpotify使っているんだけど、続報に耳を澄ませたい。