Link Pack(6/21〜7/12)

・6月後半からばたばた、me and youのwebサイトをオープンしたり、新しく性にまつわる話をはじめるpodcast「わたしたちのスリープオーバー」をスタートしたりしました。

・podcastを始めるに伴って読んでいたリン・エンライト著、小澤身和子さん訳『これからのヴァギナの話をしよう』がすんごく面白い。なぜこんなにも自分の身体のことを知らずにここまで生きてきてしまったのか?と不思議に思う。学校も親も教えてくれなかったよ。勝手に女性のオーガズムを定義付けたフロイトに憤りを感じる。家父長制は本当におそろしい。女性が過剰に興奮することを永久的に防ぐために、クリトリスに石炭酸を塗ることを勧めたケロッグもこわすぎてきれそうになったのでもうケロッグのオールブランは食べれない。『禁断の果実』というスウェーデンのフェミニズムコミックもおもしろかったので、二冊一緒に読みながらやんや言う会をやりたい。

・ノルウェーの国営放送がSexguidenというセックスの60の体位を伝えるwebサイトを公開、賛否両論呼んでいるらしい。このページになぜ作ったか書いてあるけれど、若者は性に関してポルノから影響を受けており、セックスについての有益なジャーナリズムはあまり存在していないということから、現実的で多様な性の表現に貢献したいという思いで様々な専門家にも話を聞きながら作ったみたい。以前からノルウェー国営放送は『Line fikser kroppen』(リーネが身体を整える)という番組で一般人のセックスを放送したりもしていたけれど、わたしはとても大事なことだと思った。日本のテレビはいまもセックスのことをだいたい下ネタとしてしか扱っていないよ。

・ジョニ・ミッチェル『blue』が50周年を迎え、Instagramフィルターが生まれたり、The New York Timesでは「50 Reasons to Love Joni Mitchell’s ‘Blue’」という特設サイトが立ち上がりHAIM、Graham Nash、Judy Collins、Perfume Genius、Natalie Mering(Weyes Bllod)など25人のミュージシャンたちがメッセージを寄せている。Blueのような作品を聴くと、Spotifyで1曲ずつ音楽を聴くことが増えたなかで、一枚のアルバムを通して聴くことはかけがえのないものだという気持ちになる。

・高島鈴さんのwezzyの記事「「コンプレックスこそ美しい」の先にある、閉鎖された社会」。<明るくて優しくてやわらかくて、見ているとなんだか「自分も変わろう」と思えてくる、そういうムードの「フェミニズムっぽい自己啓発」に、私は賛同しない。何度でも書くが、変わるべきは社会の方である。己を否定された怒り、苦痛、悔しさを、さらに己の労力を割いてわざわざ明るいものにすり替えたり、やわらかいもので覆い隠したりする必要はない。>というテキスト、何度も読み返し頷いた。「勇気を出して、あなたが変われば大丈夫だよ」「そのままでも素敵だよ」と優しく投げかけられると「そうなのかな」という気持ちがしてくる。そうした優しかったりやわらかかったりするものこそ注意しなくてはいけない。同時に、自分がなにか社会問題の個人化をしていないか注意深くありたい。

竹田ダニエルさんの「エンタメが死んでいかないようにするには」。計画性もなく緊急事態宣言が発令されてオリンピックの準備が粛々と進み、未だにワクチンが受けられていない人がこんなにも多い中で(わたしも)、「自分は自分の居場所だけでしか何もできない」という考え方をしている場合ではないなと思う。もちろん何ができるかはそれぞれだし一概には言えないけれど、大きな声を持っている人が「〜しかできない」ということは、いまの日本の社会にいらない諦めを植え付ける行為に繋がる気がする。「「餅は餅屋だけ」「自分のことだけをしろ」「前だけを向いて進め」というtoxic positivityや自己責任論から一刻も早く抜け出し、コミュニティの一員としてどう変化を起こすことができるのか。」本当にそうだと思う。

Lobsterrでブッククラブのことが書かれていた。ひさびさにNoname Book Clubのwebサイトを覗いたけれど、ああ本当すばらしいなあとなった。ローカルの本屋さんやライブラリー、他のブッククラブとのつながりをつくっているところが素敵だ。LiteratiというBook Clubのサブスクリプションサービスがあることを知った。子供向けからスタートして、大人向けとしてロクサーヌ・ゲイだったりさまざまな人がキュレーターとして参加しているみたい。

・オーストラリアのお気に入りマガジンfrankieを見ていて知ったすべての女性、トランス、ノンバイナリーを祝うイベント「Locker Room Talk」。1週間だけギャラリーをロッカールームみたいにしよう、ってコンセプトがかわいい。セックスについて話したり作品展示などもあるみたい。

AURORAによるプレイリスト、一曲目が松原みきの真夜中のドア。

樋口恭介さんがTwitterで唐突にオンライン英会話でしゃべった人たちを紹介していてそれがすごくよかった。最近オンライン英会話をさぼってたけど、あの未知の出会いの感覚を思い出さなくては。

・MonchiconにFaye WebsterLucy Dacusのインタビュー!Faye Websterがmei eharaさんの音楽に恋をして、一緒に作るようになったエピソードすごく好きだし、曲も大好き。Lucy Dacusの「Thumbs」と親指の話。たしかになんで親指って言うんだろう。

夫婦同姓の規定は「合憲」と決まったことについて、わたしは「”選択的”夫婦同姓なんだから選択できたらいい」と思っているのだけれど(勉強不足かもという部分がありつつ…)、「夫婦同姓には『家族の一員と対外的に知らせる』『家族と実感できる』という合理性がある」とした15年判決がどうしてもよくわからない。もしその理論なのであれば、どちらかの姓に入る必要はなく、フィンランドみたいに家族となったら新しく姓をつくる選択肢も増やせればいいのに、と思ったりもする(姓を選ぶのは“個人”の権利。夫婦別姓OKの国際夫婦3組それぞれの選択)。「名字が同一である」ことだけが家族であると対外的に知らせる、実感する方法なのか?もやもやしていたけれどこの記事がすごく勉強になった。名字誕生はいつから? 諸外国は?「選択的夫婦別姓」議論のため基礎知識

・だいすきな晶文社スクラップブックで伊藤亜紗さんの新連載。天気・体・社会の三者の関係。

・Alex GのBad Manのゲームボーイ風リミックス、マリオじゃなくてワリオなのがいい。

・春ねむりさんのインタビュー、「奪われてることにもっと怒っていい」よかった。

・チャン・リュル『キムチを売る女』、マーロン・リグス『タンズ アンタイド』、ダルデンヌ兄弟『その手に触れるまで』などを観た。国籍や宗教、肌の色、セクシュアリティ、それぞれが複雑に絡み合い差別や抑圧や暴力が生まれている。『その手に触れるまで』はイスラム原理主義にはまった少年の話だけれど、最近みていた超正統派ユダヤ人を描くnetflixドラマ『アンオーソドックス』のことを思い出した。正義ってなんだろう。前に『慶州』を観てだいすきになったチャン・リュルの『キムチを売る女』、何日経ってもいくつかのシーンが頭に蘇る。もう一度観たい。

・前に買って読みかけで読めてなかった『くたばれインターネット』、ちょうど頭に「くたばれ」という言葉が浮かんだのと、今日たまたま部屋の蜘蛛が本棚のそのへんに止まったので読み始めることにした。蜘蛛の導きに忠実に生きている。

・自転車で深大寺に行って、横にある神代植物公園へ。バラ園と大温室がすばらしくて感動。また行きたい。

・ときどき、自分が大切にしている考え方とはまったく違う考え方の人の考えを見にTwitterで検索をしている。あきらかな差別主義者ではなく、「差別に反対です」と言いながらも明らかに一部の人を排除しているという人が多数存在している、そういった複雑な構造に対して戦える言葉を蓄えないと、という思いと、いまの自分の無力さに苛まれて画面を閉じる。胸が苦しくなる。同時に自分もなにかしらの差別をしているのかもしれない、という自覚を持つ必要性を感じる。シスジェンダーでヘテロセクシュアルで、東京で暮らし、自分で好きな仕事をしてお金を得ているわたしはあまりにも多くの特権を持っている女性だ。その立場を自覚しながら、わたしにはなにができる?が頭の中でぐるぐる巡っている。この気持ちを忘れてはいけない。

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